「ブックスマート」 vs 「ストリートスマート」

さる10月22日に開催された教育フォーラム「朝日教育会議2022」(成蹊大学X朝日新聞共催)の基調講演録を紙面で読んで、思わず膝を打ってしまいました。フォーラムのテーマは「地球規模の思考力を育む~サステナビリティを推進するグローバル人材の育成」とあります。仰々しいテーマに見えますが、要は世界に通用する人材をどう育成するのかを議論しようというわけです。

基調講演をしたのは成蹊学園理事長の江川雅子さんです。複数の外資系金融機関を経てHBSでMBAを取得、女性初の東大理事を歴任した華麗なる経歴の持ち主です。東大では、グローバル時代に必要とされるスキルを学生たちに身に着けてもらおうと留学機会を提供するなど改革に取り組んだのだそうです。

居場所を日本に限定せず、世界中のどこででも生き抜けるようになるには6つの能力が必要だと江川さんは言います。

●論理的思考力 ●異文化力 ●自分で考える力 ●コミュニケーション能力 ●教養 ●ストリートスマート

20代で都銀から外資系金融機関に転職したとき、6番目の「ストリートスマート」という耳慣れない口語表現をボスのF氏から教わりました。反対語は「ブックスマート」です。盛んに本を読んで知識だけは頭に詰め込んでも実践を伴わない人は「ブックスマート」だと揶揄されます。「頭でっかち」と言い換えても構いません。これに対して、本や座学では決して習得できない世渡りの知恵を身に着けた人を「ストリートスマート」(street smart or street wise : having the shrewd awareness, experience resourcefulness needed to survive in an urban environment )と呼びます。江川さんは、社会でいろんな人と接して培われる対人能力に加え、判断力や柔軟性を兼ね備えた人だと補足します。職場で能書きばかり垂れる人が何と多かったことか。「ストリートスマート」と呼ばれるようになるには相当な修練が必要です。「ストリートスマート」のバディは5番目の「教養」です。欧米の一流ビジネスマンと比べると、日本人の教養レベルはお世辞にも高いとは言えません。英米人とコミュニケーションをとる場合、彼らの考え方の根底にある「聖書」や「シェイクスピア」に関する一定の理解は欠かせません。同様に、日本人として日本文化全般にわたって基本的知識だけは最低限身につけておく必要があります。歌舞伎や能などの伝統芸能や日本の食文化について英語で解説できるようになれば、相手との距離は一気に縮まること請け合いです。

20代から30代にかけて勤務先が提供してくれたビジネススクールの授業や特別誂えの集中マネジメントコースは、その後の人生を切り拓く上で血となり肉となりました。1番目の論理的思考力はとても重要です。「論理的思考力」は明快な筋道を示せば国を問わず人を説得できるという意味で心強い武器になります。英語による「コミュニケーション能力」と「論理的思考力」を磨いておけばまさに鬼に金棒です。2番目の「異文化力」は異文化適応能力だと理解しています。日本を離れて海外で仕事をするとき、衣食住にはじまりビジネス慣行に至るまで彼我の差を思い知らされます。こうした環境変化に柔軟に適応できて初めて海外での生活が成立するのです。

江川さんは若いときにぜひ海外経験をして欲しいと言います。まったく同感です。江川さんは言及していませんが、6つのスキルセットと並んでもうひとつ大切なポイントがあります。それは心身ともにタフであることです。

ルーデュモンのボージョレ・ヌーヴォー(2022年)

コロナ禍のせいでこの2年、ボージョレ・ヌーヴォー解禁日(11月の第3木曜日)のお祭り騒ぎはすっかり鳴りを潜めてしまいました。行動規制も解除された今年は、ちょっと贅沢なボージョレ・ヌーヴォーを注文してあります。造り手は、ブルゴーニュの神様アンリ・ジャイエ氏が認めた日本人醸造家仲田晃司さんです。今年は限定特別仕様で「Lou Dumont 2020V」の赤ワインすべてのAOPの熟成に使用した樽を使ったのだそうです。税込4400円の代物です。解禁日の今朝、ENOTECAオンラインショップの在庫を確認してみたところ、仲田さんのボージョレ・ヌーボーは見事に完売でした♫。今夜は、仲田さんのボジョレ・ヌーヴォーで乾杯です♫。

ボージョレ・ヌーヴォーに使用されているブドウ品種は「ガメイ」という黒ブドウです。果実味豊かな点がボジョレー・ヌーヴォーの最大の持ち味です。今年は天候に恵まれぶどうが理想的に完熟したのだそうです。そんなグレートヴィンテージにふさわしいようにと仲田さんがこだわったのは特製エチケット(現代美術家ジェラール ピュヴィス)と重厚なボトルです。

2022年のボージョレについて仲田氏は次のように述べています。

★6月も晴天続きで、乾燥による水不足が心配されはじめましたが、必要な時に必要な量、まさしく恵みの雨が降りました。病害もなく、雹も降らず、完璧な6月となりました。★高台区画ゆえの開花時の昼夜の温度差によって、今年もクリュール(花ぶるい)が多く発生し、大部分のぶどうがミルランダージュ(非常に凝縮した小粒のぶどう)になりました。★私は2006年から公式にヌーヴォーを造りはじめたのですが、7月上旬の現時点までで言えば、今年は2015年や2019年はもちろんのこと、過去最高だった2020年ヴィンテージをも凌駕する、「神がかった年」です。★1ヶ月半後の収穫までこのまま理想的に推移すれば、私の過去17ヴィンテージの中で最高品質のワインになるのはもちろん、ボージョレ全体でも、「過去100年間で最良のヴィンテージ」を「上書き」することになると思います。

EVは重たすぎないか?~EVは本当に地球温暖化対策の切り札なのか?~

メルセデス・ディラーのベテラン担当者Oさんと定期的にクルマ談義をすることにしています。1年以上続く世界的な車載半導体不足でショールームへ新車を見に行く機会が激減しているので、つい先日、近場の焼鳥屋さんへOさんを誘って一杯やったところです。話題の中心は否応なくEVに関することばかりです。昨年7月、メルセデス・ベンツが「2030年完全EV化」方針を発表して以来、日本でも同社は立て続けにEQA・EQB・EQCとシリーズのラインアップを拡充しているからです。

現時点ではどうしてもEV購入に前向きになれません。従って、メルセデスがガソリン車の供給を停止するタイミングで最後のガソリン車に乗り換えるなど、中期的プランを練っておく必要があります。EVはこれまで地球温暖化対策の切り札と呼ばれてきましたが、個人的にはそう判断するのは時期尚早だと思っています。そして、近い将来、EVに対する風向きが変わるのではないかと密かに期待したりもします。

Oさんから指摘されて初めて知ったのは、EVの車両重量がガソリン車に比べ途方もなく重いということです。昨年、購入したばかりの自家用SUV(GLA35)の重量1690kgに対して、同クラスのEQAの重量は300kg増しの1990kgです。電動化の弊害の際たるものはバッテリー搭載に伴う車重の飛躍的増加です。車重の増加は走行性能や燃費性能に悪影響を及ぼすため百害あって一利なしのはずです。加えて、人身事故が起きた場合の被害者への衝撃増加も気懸りです。

最大の懸念材料はタイヤの摩耗です。Oさんからはガソリン車であってもSUVは重たいのでタイヤの交換は2年に一度が望ましいとアドバイスを貰っています。300kg重たいEQAの場合、タイヤへの負担はより過酷に違いありません。2019年7月、英国政府は「クルマの排出ガス以外の汚染物質(NEE)対策が必要だ」という研究結果を明らかにしました。Non-exhaust Emission(s)とは排出ガス以外の排出物を指し、タイヤの摩耗、ブレーキパッドの摩耗、道路の損傷などから発生する微粒子のことを言います。こうしたマイクロプラスチックは海洋汚染の元凶でもあるのです。一般・高速道路の整備コスト増大も予想されます。

気温上昇が抑えられる代償として海洋生態系への影響が危惧されています。ほかにも、自動車の安全運転に欠かせないEVの修理や点検が万全な態勢で行われるのかという不安は払拭できないでいます。究極のゲームチェンジャーであるEV化の流れに今ひとつ得心がいかないのは無理からぬことなのです。

中国共産党・党大会閉幕〜習近平はなぜ第2の毛沢東をめざすのか?〜

5年に一度開催される中国共産党の党大会が10月22日に閉幕しました。注目すべきは、トップ7を構成する最高指導部すなわち政治局常務委員会7名とこれに続くトップ25すなわち中央政治局25名の構成がどう変化したかです。

驚いたのは、序列第2位の李克強(リー・クォーチャン)首相と汪洋(ワン・ヤン)全国政治協商会議主席が最高指導部から退いたこと。ふたりは67歳。「党大会時に67歳以下は続投、68歳以上は引退」というこれまでの不文律に従えば、ふたりは定年前ですから留任も可能だったはず。自ら退任を申し出たとも伝えられますが、習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)が排除したと見るべきでしょう。一方、69歳の習近平は慣例を破って盤石の体制を敷いて3期目を迎えようとしています。

新たに国家指導部の常務委員に入った李氏を含む4人は、いずれも習氏の地方時代の部下といった側近や信頼の厚いメンバー。最高指導部の構成を見るかぎり、習近平国家主席への権力集中が強まり、独裁色が旗幟鮮明になったと言えるでしょう。

「文藝春秋」十一月特別号が<習近平の仮面を剥ぐ>と題した特集を組んでいて、興味深く記事を読みました。党大会前の記事にもかかわらず高い精度で最高指導部の人事を占っています。その出自抜きでは習近平を語ることは出来ません。習主席の父親・習仲勲周恩来総理の右腕で国務院副総理にまで上り詰めた党幹部でした。亡くなった戦友の弟夫妻が書いた小説がきっかけで、父親は16年に及ぶ審査と下放、投獄を経験、息子の習近平も日本に少年鑑別所に相当する「少年犯管理教育所」に収容され、やがて農村に下放されてしまいます。

1966年に始まり10年に及んだ文化大革命のせいで辛酸を嘗めた習親子にとって、毛沢東は憎むべき独裁者であるはずなのに、なぜ習近平主席は毛沢東を真似る政治を展開するのか、文春特集記事のお蔭で腑に落ちました。

13歳からまともな教育を受ける機会を奪われ、洞窟の灯りを頼りに読書に励んだ習近平は、文革末期に推薦(工農兵大学生)で清華大学へ進学。一方、李克強首相は文革で閉ざされていた大学入試再開に伴い受験生が殺到するなか、難関・北京大学法学部に合格・進学しています。習近平は、大学時代の専門は化学工業にもかかわらず後年法学博士の学位を取得しています。西側メディアは代筆疑惑を訴えています。極言すれば、文革で刷り込まれた毛思想こそが習近平の精神的拠り所であり、恐怖政治による政敵排除は当然の帰結のように思えてきます。

復権した父・習仲勲が、異なる意見を持つ者に反動派というレッテルを貼ることを強く戒めているのに対し、息子・習近平は異論を述べた者を反党者と決めつけ厳しい言論統制を敷いています。香港に対する厳しい政治統制がそれを象徴しています。行き着く先は、台湾統一を実現させて民衆を熱狂の坩堝に投じ、毛沢東を超える領袖になること。

「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」とかつて孟子は述べています。人民が栄えることが貴いのであり国家は二の次であり、君主は国家に仕える存在で民のための政治を行わない君主は不要だという意味です。反儒教キャンペーンを展開した毛沢東に対して、習近平はこうした儒教思想に対してどう向き合うつもりなのでしょうか。

キムタクの威光いまだ衰えず~「ぎふ信長まつり」の主人公は英傑信長ではなくキムタクだった~

10月6日、岐阜市内で開催された第66回「ぎふ信長まつり」に約46万人が来場したと大きな話題になっています。翌朝の全国紙がこぞって騎馬武者姿のキムタクをカラー写真付きで紹介しています。他界して久しい両親のふるさと岐阜は、自身にとっても中・高時代の多感な時期を過した場所でもあります。7年前、中学の同窓会で繁華街の柳ケ瀬を訪れたときの寂れた印象を当ブログで取り上げたことがありますが、衰退著しい岐阜市に市の人口40万人を大きく上回る観客がキムタク目当てで殺到するというニュースに正直かなり驚いています。恥ずかしながら「ぎふ信長まつり」なるイベントが存在することさえ知りませんでした。歴史を紐解いてみたところ、驚くべき哉、1957年から連綿と続く秋のイベントだったのです。2009年、JR岐阜駅北口に市政120年を記念して「黄金の信長像」が設置されたことも・・・全くのブラインド。

それにしても、県庁所在地でありながら冴えない地方都市とカリスマ的人気を誇るキムタクの取り合わせはどう考えてもミスマッチです。家人が隠れキムタクファンなので、こっそり騎馬武者行列の観覧とトークイベント参加の抽選に応募していたのですが、あえなく落選の憂き目に遭いました。長良川の鵜飼以外これといった観光スポットもない岐阜市ですから、内心、当選確率はかなりあると踏んでいましたが、完全な誤算でした。蓋を開けてみれば、騎馬武者行列観覧申込に応募したのは96万人強、最終倍率は64倍だったそうです。トークイベントに至っては驚異の151倍だとか。

地元十六銀行の試算では岐阜県内への経済波及効果は39億円。まさにキムタクさまさまです。有名タレントを動員したイベントが地方活性化の切り札なのかと思わせます。その昔、30代同僚女性の多くがSMAPのメンバーとして活躍していたキムタクをべた褒めしていたことを鮮明に思い出します。当時、操り人形のようなジャニーズタレントのなかにあってSMAPだけは確かに異質の存在でした。今年11月13日で50歳を迎えるキムタクは、SMAP解散後もドラマやCMで大活躍です。近年、TVドラマ『教場』(長岡弘樹原作)で警察学校の鬼教官役を演じたキムタクの演技を見て、<どんな役を演じてもキムタク>という既成概念が根底から吹っ飛びました。

キムタクの威光いまだ衰えず!詰まるところ、「ぎふ信長まつり」狂騒曲で注目を浴びたのは英傑・信長ではなく、キムタクだったという訳です。キムタクが「別格」であることをまざまざと見せつけられた第66回「ぎふ信長まつり」でした。

岸田劉生作《切通之写生》@東京国立近代美術館

戦争画と共に「MOMATコレクション」で見ておきたかった作品のひとつが岸田劉生作《切通之写生》(1915・重要文化財)でした。美術の教科書や画集で幾度も目にしたことのある岸田劉生の代表作《切通之写生》の実物を目にするのは今回が初めてです。

第一印象は思ったより小さな油彩画だと感じたこと。キャンヴァスのサイズは56X53cm、iPhoneポートレートモードで撮影した写真を掲げておきます。このサイズだと画家の視点で細部まで観察できてしまいます。ありふれた光景を描いた作品ですが、坂を仰視する独特の構図には想像力を掻き立てる要素が幾つも潜んでいます。安定した構図に見えて、白壁、道、土手の延長線上にあるはずの消失点(vanishing point)は1点で交わりません。ところが、鑑賞していると一見不自然な構図も次第に目になじんできます。右下から長く伸びる電柱の影が気になります。季節は晩夏を思わせますが、画面左下の石の側面に几帳面にも1915年11月5日と制作年月日が記されています。さらに、2本の電柱の影の上部にも小さな影が描き込まれています。こうなると画面右手に拡がる景色をあれこれ詮索したくなります。

手掛かりとなる朧げな記憶は過去の展覧会にありました。2014年に世田谷美術館で開催された「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」展の図録を引っ張り出して確認すると、同時期の作品《代々木附近(代々木附近の赤土風景)》に2本の電柱や剥き出しの赤土がしっかりと描き込まれています。急ピッチで土地造成の進む様子が手に取るように分かります。電柱は2本だけでどうやら架線前のようです。左手・伯爵邸の立派な白壁とは対照的な前景の荒々しい表土に視点が釘付けにされます。

切通之写生》と《代々木附近(代々木附近の赤土風景)》を見比べてみると、制作日が20日しか違わないのに双方の景色は微妙に異なります。完成度の頗る高い《切通之写生》に対して、《代々木附近(代々木附近の赤土風景)》は習作のひとつに思えてなりません。都会育ちの劉生が結婚を機に雑木林の広がる代々木に移り住んで、大地の息遣いを肌で感じながら生活するうちに、日々変化する無名の景色に愛着を覚えていったのではないでしょうか。

岸田劉生自身はこんな言葉を遺しています。

「道を見ると、その力に驚いたものだ。地軸から上へと押し上げている様な力が、人の足に踏まれ踏まれて堅くなった道の面に充ちているのを感じた」(岸田劉生画・文、北沢憲昭編集『岸田劉生 内なる美』二玄社

2022年「文化の日」の過ごし方~東京国立近代美術館から神田神保町へ~

東京に暮らすようになって四半世紀以上になります。とりわけその有難味を実感するのが秋です。「食欲の秋」や「スポーツの秋」は全国津々浦々で楽しめますが、「芸術の秋」となるとファーストクラスの美術館が集中する東京は桁違いの魅力に溢れています。独法国立美術館だけとっても、6施設の内5つは東京所在ですから、東京はまさにアートの宝庫なのです。そして、「文化の日」は多くの博物館や美術館で常設展示を無料で鑑賞できます。

久しぶりに竹橋の東京国立近代美術館を訪れました。都心一等地北の丸公園に在るこの美術館を新築寄贈したのは、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)の創設者・石橋正二郎氏です。正面入口の小さな掲示板にそう記載されています。

我が国の近現代美術の流れを通覧できる所蔵作品展「MOMATコレクション」(~2023年2月5日)は大勢の来館者で賑わっていました。なかでも、「戦争の時代ー修復を終えた戦争記録画を中心に」というタイトルの下、展示された大家の戦争画に目を瞠りました。太平洋戦争中、戦意鼓舞に加担したのは藤田嗣治「哈爾哈河畔之戦闘」・「大柿部隊の奮戦」・「薫(かおる)空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す」)だけでなく、小磯良平「カンパル攻略(倉田中尉の奮戦)」)や宮本三郎「本間、ウエンライト会見図」)らも陸軍省嘱託として従軍し戦争画を描いていたのです。

こうした戦争画は、戦後GHQに接収され、1970年に「永久貸与」という形で日本に返還された経緯があります。今回は、経年劣化による傷みの修復が終了した作品を中心に展示されています。東京国立近代美術館に収蔵されている戦争画(大半が洋画)は153点あると言われていますが、その全てを公開する展覧会は未だ開催されていません。戦争に協力したとして批判の矢面に立つ藤田嗣治の大作からは、かつて加藤周一が語ったように、戦争を賛美したりや軍人を英雄視する態度を看て取ることはできませんでした。戦局が悪化するにつれて重苦しくなる色調に、寧ろ画家自身の悲痛な魂の叫びが宿っているように思えました。戦後77年、そろそろ、これまでタブー視されてきた戦争画を一挙公開する展覧会が開かれてもいい時期ではないでしょうか。

東京国立近代美術館を出たその足で、3年ぶりに古本まつりが開催されている神田神保町へ向かいました。信号待ちの神保町交差点で空を見上げると、いわし雲がたなびいています。行列の絶えない「さぼうる2」名物の「ナポリタン」で腹ごしらえして、ワゴンセールを見て回りました。仏文学者鹿島茂さんがプロデュースした「PASSAGE by ALL REVIEWS」をはじめとするシェア型書店など新たなスポットも次々と誕生し、トポス神保町のワクワク感は健在でした。