中国共産党・党大会閉幕〜習近平はなぜ第2の毛沢東をめざすのか?〜

5年に一度開催される中国共産党の党大会が10月22日に閉幕しました。注目すべきは、トップ7を構成する最高指導部すなわち政治局常務委員会7名とこれに続くトップ25すなわち中央政治局25名の構成がどう変化したかです。

驚いたのは、序列第2位の李克強(リー・クォーチャン)首相と汪洋(ワン・ヤン)全国政治協商会議主席が最高指導部から退いたこと。ふたりは67歳。「党大会時に67歳以下は続投、68歳以上は引退」というこれまでの不文律に従えば、ふたりは定年前ですから留任も可能だったはず。自ら退任を申し出たとも伝えられますが、習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)が排除したと見るべきでしょう。一方、69歳の習近平は慣例を破って盤石の体制を敷いて3期目を迎えようとしています。

新たに国家指導部の常務委員に入った李氏を含む4人は、いずれも習氏の地方時代の部下といった側近や信頼の厚いメンバー。最高指導部の構成を見るかぎり、習近平国家主席への権力集中が強まり、独裁色が旗幟鮮明になったと言えるでしょう。

「文藝春秋」十一月特別号が<習近平の仮面を剥ぐ>と題した特集を組んでいて、興味深く記事を読みました。党大会前の記事にもかかわらず高い精度で最高指導部の人事を占っています。その出自抜きでは習近平を語ることは出来ません。習主席の父親・習仲勲周恩来総理の右腕で国務院副総理にまで上り詰めた党幹部でした。亡くなった戦友の弟夫妻が書いた小説がきっかけで、父親は16年に及ぶ審査と下放、投獄を経験、息子の習近平も日本に少年鑑別所に相当する「少年犯管理教育所」に収容され、やがて農村に下放されてしまいます。

1966年に始まり10年に及んだ文化大革命のせいで辛酸を嘗めた習親子にとって、毛沢東は憎むべき独裁者であるはずなのに、なぜ習近平主席は毛沢東を真似る政治を展開するのか、文春特集記事のお蔭で腑に落ちました。

13歳からまともな教育を受ける機会を奪われ、洞窟の灯りを頼りに読書に励んだ習近平は、文革末期に推薦(工農兵大学生)で清華大学へ進学。一方、李克強首相は文革で閉ざされていた大学入試再開に伴い受験生が殺到するなか、難関・北京大学法学部に合格・進学しています。習近平は、大学時代の専門は化学工業にもかかわらず後年法学博士の学位を取得しています。西側メディアは代筆疑惑を訴えています。極言すれば、文革で刷り込まれた毛思想こそが習近平の精神的拠り所であり、恐怖政治による政敵排除は当然の帰結のように思えてきます。

復権した父・習仲勲が、異なる意見を持つ者に反動派というレッテルを貼ることを強く戒めているのに対し、息子・習近平は異論を述べた者を反党者と決めつけ厳しい言論統制を敷いています。香港に対する厳しい政治統制がそれを象徴しています。行き着く先は、台湾統一を実現させて民衆を熱狂の坩堝に投じ、毛沢東を超える領袖になること。

「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」とかつて孟子は述べています。人民が栄えることが貴いのであり国家は二の次であり、君主は国家に仕える存在で民のための政治を行わない君主は不要だという意味です。反儒教キャンペーンを展開した毛沢東に対して、習近平はこうした儒教思想に対してどう向き合うつもりなのでしょうか。