ブックレビュー:団鬼六の異色評伝『赦す人』

稀代の官能小説家団鬼六(だんおにろく)の著作を一冊も読んだことはありません。氏の作品といえばかろうじて映画化された『花と蛇』を知る程度です。最近、愛読作家のひとり大崎善生(おおさきよしお)の旧作『赦す人』(2012年刊行)を手にする機会があって、頁をめくる度にグイグイと引き込まれ、気がつけば一気に読了していました。団鬼六の波瀾万丈なる生き様もさることながら、豪放磊落な人柄が実に魅力的でした。

将棋雑誌の編集長を歴任した大崎氏の代表作といえば『将棋の子』や『聖の青春』をすぐ思い浮かべます。本書を読む前、『パイロットフィッシュ』のような繊細な純文学作品も手掛ける大崎善生が、どうして官能小説家団鬼六に関心を抱いたのか、不思議でなりませんでした。しかし、この疑問はすぐに氷解しました。ふたりを結びつけたのは「将棋」でした。後述の「将棋ジャーナル」が廃刊となった1994年、ふたりは将棋会館近くの鰻屋で出会います。

戦後日本文学の裏の金字塔と称される『花と蛇』をはじめ数々の官能小説を生み出した団鬼六は、巨万の富を築き、横浜桜木町に後に「鬼六御殿」と呼ばれることになる300坪の豪邸を総工費5億円をかけて建設します。ところが好事魔多し、将棋アマ六段の腕前の氏は、経営危機に陥った「将棋ジャーナル」を買収し、破綻するまで5年間で同社に1億5千万円を投じて窮地に陥ります。バブル崩壊の影響も災いして、とうとう豪邸を2億円という安値で手放す羽目に。初老の団鬼六に残されたのは巨額の借金、ほどなく浜田山の借家暮らしに転落します。豪邸の見切り処分のみならず、撮影用のSM機材に至っては粗大ゴミ処分に400万を要し、自慢の刀剣コレクションは信頼する売り主に騙され殆どが贋作だったという有り様。その間、5歳下の元教員で堅物の三枝子夫人が46歳にしてまさかの不倫に走り、離婚。2000年に白血病で世を去ります。不幸は続き、晩年には、うら若き愛人が自死を選び、氏は悲嘆にくれることになります。

ブックタイトル『赦す人』は、自らの所業への贖罪もあったにせよ、別れた妻や騙した人を赦す団鬼六の度量を表す巧みな形容です。団鬼六の周りには魅力的な人物が蝟集してくるのです。大崎善生との邂逅も必然だと思えてなりません。団鬼六の評伝とことわりながら、随所に作者大崎善生自身の苦悩の入り混じった人生が吐露され、やがて団鬼六の破天荒な人生と奇妙な糸で繋がれていくのです。高校時代から古今の小説を読破し作家を志しながら、大崎氏は、進学すると書けなくなり、日本最大の将棋道場と言われた新宿将棋センター(2021年2月に閉店)に通い詰めるようになります。氏は周囲の勧めもあって、日本将棋連盟に就職、将棋との関わり合いを深めていきます。かたや天賦の文才に恵まれた団鬼六、かたや棋力は非凡に及ばず作家になる夢も断って編集者の道を歩き始めた大崎善生、対照的なはずのふたりの人生が少しずつ距離を縮めていきます。こうして生まれた異色の評伝『赦す人』は、作家大崎善生に委ねられたからこそ、傑作ノンフィクションとして成立したのだと思います。

2011年5月6日、団鬼六食道がんで亡くなります。享年79歳でした。弔辞を読んだのは、米長邦雄永世棋聖(翌2012年他界)、幻冬舎社長見城徹、そして元女優の谷ナオミさんでした。大手出版社が団の傑作官能小説を文庫所収に尻込みするなか、幻冬舎が大作『花と蛇』を幻冬舎ストロー文庫に全10冊所収したのは、偏に社長見城氏の懐の深さに依るのでしょう。数々の団鬼六語録のなかから、幾つか紹介して、締めくくります。

「真面目なことをやりながら、不真面目なことをやるのが、人生一番楽しい」

「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ」

「愛人は車のスペアタイアのようなものだ」

「死は観光や」

梅雨入りまじかの自宅周辺点景~紫陽花やアカンサスが満開です~

今年は九州~東海地方が記録的早さで梅雨入りになりましたが。関東甲信越はいまだ梅雨入りの発表がありません。マイバースデーの6月6日は雨模様。スポーツジムへの通い道である近所の玉川上水縁を歩くと、梅雨どきの風物詩、色とりどりの紫陽花が満開で目を楽しませてくれます。

紫陽花はガクアジサイを原型種とするれっきとした日本原産の花。万葉集にも2首詠まれているくらいですので、「アジサイ」より漢字の「紫陽花」表記がお似合いです。語源は、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったのだという説が有力だそうです。「紫陽花」という美しい漢字名は、唐時代の詩人白楽天が誤って別の花をそう呼称したのが始まりだとか。いつの間にか「紫陽花」が定着したのが怪我の功名であったとしても、これほどふさわしい漢字表記はありません。

紫色の大輪の紫陽花の存在感は抜群です。近年よく見かけるようになった、引き立て役の白い「アナベル」に惹かれています。北米原産で学名は"Hydrangea arborescens ‘Annabelle`(ハイドランジア・アルボレスケンス・アナベル)"、和名は「アメリカノリノキアナベル」と呼ばれます。園芸種「アナベル」は直径30㎝前後の大輪の花を咲かせる上に手間いらず。おまけに、時間経過と共に花色が変化していくのが大きな魅力です。蕾は平たい半球形でライムグリーン、次第に丸みを帯びていき、純白の花を咲かせます。玉川上水縁に誰が植えつけたのでしょうか、不思議でなりません。

我が家の駐車場の片隅ではアカンサス(和名:葉薊[はあざみ])が開花しています。写真のように花径が長く伸びて、穂状の花を稠密につけています。紫色の萼と白い花弁のコントラストが美しく、濃緑色で光沢のある大きな葉は見応え十分です。アカンサスは、ギリシア建築を代表する意匠であり、アーツ&クラフツ運動の旗手ウイリアム・モリスの代表的なアイコンのひとつでもあります。

去年に続くコロナ禍の梅雨どきにあって、紫陽花やアカンサスの逞しい生命力に触れれば、沈みがちな気分を明るく前向きにしてくれること請け合いです。

「ジレットモデル」の罠~髭剃りの替え刃だけではなかった~

ジレットモデル」はれっきとしたマーケティング用語です。この言葉を耳にしたことがなくても、誰しも普段の購買生活において、この「ジレットモデル」の罠に嵌っているのです。「ジレット」でピーンと来た方はセンス抜群です。シェーバーで有名な「ジレット」は世界最大の一般消費財メーカーP&Gのブランドです。高級そうな髭剃り(ホルダー)に替え刃が2個ついた、売れ筋の<ジレット フュージョン5+1>セットが2980円です。ところが、ホルダー抜きの替え刃は8個入りで2880円ですから、替え刃1個当たり360円で販売されていることになります。半永久的に使えそうなホルダーの単価は2260円と格安ですが、替え刃はお高い印象を拭えません。タイプによっては、ホルダーがタダ同然の商品も存在します。ここから明らかなように、本体部分(ホルダー)を安く提供し、付属品の替え刃で稼ぐというのが「ジレットモデル」だということになります。

もうひとつ、代表的な「ジレットモデル」を挙げるとすれば、プリンターとインクジェットの組み合わせです。キャノンの売れ筋プリンターPIXUSであれば、1万円ちょっとで購入できますが、ご存じのように詰め替え用のインクは3本セットで3000円近くしますから、消耗品で稼ごうという魂胆は明らかです。もう少し視野を拡げれば、スマホ購入時の本体無料を謳う一方、使用期間を縛って使用料(サービス)で稼ぐかつてのスマホビジネスも「ジレットモデル」の一種です。ただ、最近はキャノンと競合するエプソンが大容量のインクタンクを導入し、こうしたビジネスモデルを転換する動きも見られます。

要は「ジレットモデル」であることを承知の上で買うことです。いいものを長く使いたいという観点から、自宅では20年以上ミッションスタイルのソファを愛用しています。毎日使っていればファブリックが時間の経過と共にくたびれてきますので、10年単位で張替えが必要になってきます。そろそろ張替え時期かと思い、見積もりを取ってみたところ、当初購入価格に匹敵するくらいの費用が掛かることが分かって愕然としているところです。10年前の張替えのとき、それ位の金額を支払ったはずなのに、すっぽり記憶から抜け落ちていました。ソファの張替えというメンテナンス費用を購入時に意識していたかというとまったくブラインドでした。ともすれば家具、電化製品、ピアノのような耐久消費財については、メンテナンス費用という視点が欠落しがちです。最近は、腕のいい職人さん不足で、手仕事を伴うメンテナンス費用は年々高騰すると覚悟しておいた方が良さそうです。

劣勢続きの日本の株式市場の見通しは昏いまま

5月29日付け日経新聞に掲載された<株失速が暴く企業の自力>と題する記事内容は目から鱗でした。かねてより日本企業の労働生産性の低さは指摘されていたものの、改めてOECD加盟37ヶ国中26位だと知らされると、一層、日本の株式市場への不信感が募ります。各種指標を海外企業と比べてみると、日本企業の競争力の低下は顕著なのです。

日本企業のEBIT増加率22%(米国38%・欧州37%)
日本企業のROE5.7%(米国10.5%・アジア7.7%・欧州6.4%)

海外ではワクチン接種が進み、米国ダウ平均は年初来+13.5%。一方、日経平均は+5.1%と相当に出遅れているのです。記事の筆者梶原誠本社コメンテーターによれば、PBR(1%を割ると企業の清算価値を下回る)が0.80%どまりなのは市場が成長性に懐疑的だからだそうです。金融緩和の縮小即ちテーパリング(tapering)が進めば、ますます、グローバル市場における企業の投資選別は厳しくなるのでしょう。

今日6月1日付け日経朝刊は<揺らぐ「リスク回避の円買い」>と題して、通貨円に対する投資妙味が衰えていると指摘しています。これまでとは様相が明らかに異なってきているのです。国際紛争や経済危機のリスクに強い通貨は、主要3通貨で見れば、米ドル、ユーロ、日本円の順番だそうです。日本は30年連続で対外純資産残高世界1位(356.9兆円)をキープしてきましたが、この10年でドイツが猛追、肉薄してきています。

こうした点を踏まえると、公的年金はもとより私的年金株式投資が向かう先は圧倒的な成長率を誇る米国市場一択しかないと思えてきます。足元、2010年の欧州債務危機時期に仕込んだ虎の子サムライ債の満期償還が始まっています。マイポートフォリオのおける対外資産比率を50%以上にすべき時期が到来しているのだと自分に言い聞かせているところです。

【新緑の奥多摩】高水三山プチ縦走+御岳山

目下の悩みは、緊急事態宣言延長に伴う長引くスポーツジム休業で、週2~3のトレーニングがままならないことです。代わりに、5月のGWと週末は近場の奥多摩へ通って、トレーニングに励んでいます。体重が普段より1~2kg増えたり、体脂肪率が20%を超えるだけで、登山の負担は桁違いに増すので要注意なのです。梅雨入り前の晴れ間を縫って、大多摩ウォーキングトレイル、川苔山に続く新緑の奥多摩第三弾は、高水三山プチ縦走に御岳山を足してみました。

ホリデー快速おくたま1号の最後尾車両に乗り込むと、一番奥に大きな輪行バッグが4つ立てかけてあります。小柄な女性が輪行バッグを携え同じ三鷹駅から乗車。これで輪行バッグは5つになりました。カラフルなウェアをまとった大勢の登山客に5人のサイクリスト、車内の雰囲気は否が応でも華やぎます。

高水三山は、高水山(759m)、岩茸石山(793m・イワタケイシヤマ)に惣岳山(756m・ソウガクサン)の3つのピークを指します。JR青梅線軍畑駅を起点にこの高水三山をプチ縦走、終点はJR御嶽駅となります。軍畑駅前は大勢の登山客でごった返していました。気温が次第に上昇し、前半の高水山をめざす上り、時間にして80分前後、軍畑駅からの標高差500m超はなかなかタフでした。高水山山頂からは一転緩やかな尾根歩き、うっかり標識を見落とし、岩茸石山へ向かう分岐点(写真下赤丸地点)を通り過ぎてしまい、引き返す羽目に。10分前後のロスタイムが発生、こうしたミスで体力を消耗するのは禁物です(猛省!)。ランチ休憩は、フラットなスペースがあって唯一展望の効く岩茸石山山頂で決まりです。しばらくすると、大人数の中国人グループが反対方向から山頂に到着、彼らの弾けるような笑顔に癒されました。上成木バス停から升ヶ滝経由でアプローチしたのでしょうか。

惣岳山から御嶽駅までコースタイムにして75分。途中、急な腹痛に襲われ初めての雉撃ちというアクシデントに見舞われ、後半のペースダウンは想定外でした。13時前に終点御嶽駅に到着、自販機の冷たいミネラルウォータで乾いた喉を潤しようやくリフレッシュ。その後、バス、ケーブルカーを乗り継いで御岳山・武蔵御嶽神社を参拝してきました。次回は、奥の院(写真右下は武蔵御嶽神社奥の院遥拝所です)、御前山(1405m・ゴゼンヤマ)、大岳山(1267m・オオダケサン)にチャレンジです。

朝日新聞論壇時評(「コロナ禍と五輪」)を読んで

今日の朝日新聞朝刊が東京オリンピック開催の是非をめぐる論壇の空気を伝えています。「コロナ禍と五輪」と題する論壇時評の評者は東大院情報学環の林香里教授。前任津田大介を引き継いだ、朝日新聞論壇時評欄初の女性評者だそうです。冒頭、女史は大多数の国民の声を代弁するかのようにこう述べています。

「いったい、東京五輪パラリンピックはこのまま開催するのか、中止するのか、延期するのか。新型コロナワクチンの普及も見通せない。霧のかかったような見通しの悪さに、イラーっと来ているのは私だけではあるまい」

東京オリンピック2020の日程は2021/7/23~8/8(33競技339種目)、続くパラリンピックの日程は8/24~9/5(22競技539種目)となっています。オリンピック開会式まで2ヵ月を切った今なお、いざ開催という機運が一向に盛り上がらないのは、コロナ禍収束の見通しが立たないからに他なりません。国民生活に大きな足枷となっている緊急事態宣言は解除されるどころか、九分九厘、6月20日まで延長されそうです。開催国日本は、視界不良どころか、視界ゼロに近い惨憺たる状況に置かれているのです。

折しも梅雨どき、イラーっというより、ヒトの脳は宙ぶらりんな状態がもたらす不快感を断固として拒絶します。正常な思考回路が受けつけようとしない違和感と不快感が、開催国日本の偽らざる市民感情ではないでしょうか。IOCのバッハ会長やコーツ調整委員長が五輪開催を声高に叫べば叫ぶほど、五輪は国民から分断され遠ざかっていく気がしてなりません。オリンピックと危機緊急事態宣言はどう転んでも両立しないのです。新型コロナ禍の世界的蔓延は今世紀最大の危機的状況であり、対極にある祝祭オリンピックと交わることはないのです。

本間龍氏は辛辣にこう批判します。「世界的に見て、東京五輪は税金を湯水のように使って民間企業を肥やす「祝賀資本主義」のもっともグロテスクな完成型で、歴史に記録されるだろう」。祝祭の中心にいるのはメディアを支配する広告代理店電通と大手新聞社、五輪開催の是非をめぐるメディアの論調がどうにも生ぬるいのはむべなる哉です。その姿は軍部の暴走にNOと言えなかった太平洋戦争当時のメディアとぴったり重なります。NHKさえ拡声器の役割を果たし、メディアは例外なく「五輪翼賛プロパガンダ」を展開しているわけです。泥沼の日中戦争から太平洋戦争へと戦線を拡大し自滅した大日本帝国の蔭に官製国民統合団体、大政翼賛会がありました。開催都市東京都、政府、大会組織委員会、メディアの4者はさながら令和版五輪翼賛会なのです。いつの時代も愚者は歴史に学ぼうとはしないようです。

かくいう朝日新聞社は五輪のオフィシャルスポンサーという立場にありながら、5月26日の社説で菅政権に五輪中止を求める勧告を行っています。八代英輝弁護士は二枚舌だと揶揄しています。自縄自縛とはこのことです。

歴史探偵を自認されておられた故半藤一利さんは、草葉の陰で嘆いておられるに違いありません。

絵看板の鳥居清光さん逝く

歌舞伎座正面を挟んで両脇にあるのがおなじみ絵看板です。そこには昼夜の演目ごとに主な登場人物が描かれていて、歌舞伎ファンにとって歌舞伎座入場前にこの絵看板を眺めることは謂わばルーティンなのです。友人知己と観劇する場合は、絵看板前が格好の待ち合わせ場所でもあります。今朝、新聞でこの絵看板を手掛ける鳥居清光さん(享年83歳)が亡くなったことを知りました。

歌舞伎座によれば、毎月書き下ろしで、上演中の「五月大歌舞伎」(28日まで)(写真下は第3部の絵看板)の絵看板も清光さんが描き、「六月大歌舞伎」(同3日初日)の絵看板も制作中だったそうです。

かなり前にはなりますが、松竹歌舞伎会会報誌『ほうおう』に掲載された記事を読むまで、ずっと男性絵師の手によるものだとばかり思っていました。芝居小屋の絵看板の歴史は元禄時代まで遡ります。清光さんは絵看板の伝統を受け継ぐ鳥居派9代目(1982年襲名)にして初の女性絵師でした。鳥居派の絵の特徴は「瓢箪足」に「蚯蚓書(みみずがき)」、初代清信の時代から変わらぬ描法だそうです。9代目は、東京藝術大学日本画を専攻、卒業後日生劇場のデザイン室に籍をおいた時期もあるそうですが、その後、鳥居派の技術習得のため父清忠に師事されました。清光さんが手掛けた色鮮やかで柔らかなタッチの絵看板は、歌舞伎座に欠かせない景色の大切なひとこまでした。衷心よりお悔やみ申し上げます。