高野山宿坊「一乗院」徹底ガイド(後編)

高野山の朝は早い。宿坊に館内アナウンスが流れる6:00までには身支度を整えておきましょう。早めに就寝したせいで5時過ぎに目が覚めましたが、決して時間的にゆとりがあるわけではありません。お手洗いや歯磨き、着替えとあっという間に30分余りが過ぎてしまいました。布団も畳んだりと室内整理をしたりする時間も必要です。女性はお化粧もありますから、5:00に起床するくらいの方がよろしいかと思います。

(勤行篇)朝の勤行は6:30スタートですが、6:15に入堂することが出来ました。本堂は聖域、入口で塗香を両手に塗って清めます。戸外の気温は2度前後、本堂にはストーブが二台置かれています。本堂を凛とした空気が支配しています。吐く息は白く、自然、身が引き締まります。勤行が始まるまでの15分あまり、ご本尊の弥勒菩薩を囲むように整然と安置されたご位牌に向かってお参りをしながら、ぐるりと一周します。早めに本堂に入れば、勤行前にゆっくり一周できますし、正面でご本尊と対面できる位置に着席できます。床に正座ではなく椅子に座れますので、身体の不自由な方も安心です。この日の参加者は30名くらいだったでしょうか、ジャンパーやフリースを着込んだ用意周到な中年夫婦が目立ちました。我が家は薄着でしたが、厳しい寒さを体感できる3月下旬に勤行に参加できて、却って良かったと思っています。3月下旬でこの寒さ、真冬の朝勤行を想像するだけで身体も心も洗われる気がします。

半鐘が鳴らされ、入堂した住職を中心に左右3人ずつ若い僧侶が控えます。読経の声が本堂に響き渡るなか、参加者は一様に、ご本尊に向かって居住まいを正します。身じろぎもせずに読経と時折鳴らされる銅鑼の音に集中していると霊気さえ感じます。こうして、30分あまりの読経が終わると、参加者は本堂入口で受け取った般若心経を開いて、僧侶たちと共にお勤めを行うことになります。初めて般若心経を手にする方も多かったのでしょうか、もう少し息継ぎが揃って大師御宝号「南無大師遍照金剛」を合唱できると理想的でした。

読経が済むと、ご住職から法話を頂戴します。2004年に登録された世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道>には高野山が含まれています。<高野山は決して遺産ではなく、今も脈々とお大師様の教えが息づいている聖地なのだ>と住職は強調されておられました。雪の日も嵐の日も、一日とて休むことなく繰り返される早朝の勤行こそ、その証に他なりません。帰りしな、様々な花が描かれた見事な格天井に魅了されました。本堂は文化財クラスだと思います。

勤行が済んで部屋へ戻ると7:30過ぎ。布団は片づけられ、朝食の準備が整っていました。勤行を済ませたせいでしょうか、こんな晴れやかな気持ちで朝食を頂くのは久しぶりでした。

(阿字観篇)阿字観に申し込んでいたので、集合時刻の8:10に受付に馳せ参じました。8名の参加者が若い僧侶に従って2階の大広間に移動、そこで真言密教由来の瞑想法を体験することに。阿字観には4段階あり、今回体験するのは入門編にあたる<阿息観(あそくかん>。次いで、<数息観(すそくかん)>、<月輪観(がちりんかん)>を経て、<阿字観>へと進むことになります。

前方正面には、蓮華の花の上に梵字のアが書かれた小ぶりの軸が掲げられています。畳の上には、参加者分の座布団と<阿字観作法>と書かれた冊子が置かれていて、先ずは座布団をふたつに畳んで、右足を左足のももに乗せる<半跏坐>という態勢をとります。手は<法界定印>、左手の上に右手を重ね、親指を軽くつけて輪っかを作ります。このとき、両手はお臍のあたりが定位置となります。

瞑想に入る前に身体を前後左右に揺すって、長時間安定して瞑想できる自然体の態勢を整えます。背筋を伸ばして肩の力は抜いてリラックス。両眼は半分閉じて、俯き加減で半畳先がぼんやり見えるような<半眼>にします。

態勢が整ったところで、いよいよ<調息>と呼ばれる呼吸法の練習です。腹式呼吸でゆっくりと不浄の気を口から吐き出します。出し切ったところで清浄な霊気を鼻孔から吸入します。口で吐いて鼻から吸入という呼吸を繰り返します。

やがて、室内照明は消され、灯明のなかで、僧侶に従って宇宙根源のアの音を発声しながら、各々のペースで呼吸を繰り返します。やがて、アの発声をやめて無音のアを念じながら、宇宙本源との一体感を感じる静かな鼻から鼻への呼吸へと転じていきます。<正観>と呼ばれるステージです。この間、様々な雑念が胸中を去来しますが、振り払う必要はないそうです。

僧侶のおりんの合図で約1時間の<阿息観>は終了、<半跏坐>と<法界定印>を解いたら、両手を頭上にかざし、ゆっくりと腰まで弧を描くように下げ、この動作を数度、反復します。

2日目は、勤行に続けて阿字観を体験したことで、高野山で心洗われる貴重な時間を持てました。一乗院には湯川秀樹博士が幾度も逗留したのだそうです。日常から離れて、また高野山で阿字観を体験したいと心底思いました。10:00にVISAカードで支払いを済ませ、一乗院を後にしました。この数年、8万人を超える日本通の外国人が「宿坊」に泊まるのだそうです。ホテルと勘違いする輩も少なからずいるようですが、日本人が高野山の「宿坊」体験をしないでやり過ごすのは勿体ない、そう思いました。

高野山宿坊「一乗院」徹底ガイド(前編)

高野山には現在117の寺院が存在し、そのなかに、参拝者や観光客が宿泊できる「宿坊」と呼ばれる比較的規模の大きい寺院が52ヶ寺含まれています。寺社仏閣の数において他を圧倒する京都でさえ、参詣者や観光客に開放されている「宿坊」は決して数多くありません。高野山の「宿坊」の数は、間違いなく日本一ではないでしょうか。日本一高所にあるというスクランブル「千手院橋」交差点には、高野山宿坊協会という立派な施設さえありました。しかも真言宗という一宗派だけで52カ所ですから、高野山という聖地の「宿坊」に泊まり、非日常の世界を経験しながら1日を過ごす価値は計り知れません。今回、数ある「宿坊」のなかでも評判が頗る高い「一乗院」(22室)に宿泊することにしました。「一乗院」の開基は平安時代前期、定紋は藤、九条家菩提寺という大変由緒ある「宿坊」です。以下、予約からチェックアウトまでの一連のフローを、2019年3月下旬の宿泊体験に基づいて、前編(1日目)と後編(2日目)に分けてご説明します。

1)予約

公式HPやじゃらんなどの旅行サイトで空室を確認してから予約を入れます。部屋のサイズで多少宿泊費は異なりますが、そもそも客室数が圧倒的に少ないので、平日・祝祭日問わず、2~3ヶ月前から予約を入れておくことをお勧めします。「一乗院」に限らず、どの「宿坊」もかなり前から予約を入れておかないと希望日の宿泊は叶いません。

2)チエックイン

チェックインは15:00から17:00まで。自家用車で現地に向かう場合は、渋滞などで到着が遅れないようにゆとりをもってスケジュールを立てておきましょう。山門前の駐車場では若い僧侶が丁寧に出迎えてくれます。入口で内履き(スリッパ)に履き替えたところで、「塗香(ずこう)」と呼ばれるお清め香を両手に塗って清めます。ここですでに「宿坊」が一般の宿泊施設ではないことを強く意識させられます。修行の場所だということを滞在中は忘れないようにしましょう。門限は21:00、この時間を過ぎると閉門されてしまうので「宿坊」に戻れません。

3)館内案内と「竹」の間

若い僧侶が部屋まで案内して下さいます。入口向かって左の部屋はDVDや書籍を見ることのできるライブラリーになっています。途中、見事な回遊式庭園や大名が宿泊したという上段之間を通り過ぎます。上段之間の曼陀羅や狩野深齊の襖絵は必見です。宿泊者は自由に鑑賞できます。

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部屋(「竹」の間)に着くと、共同トイレ(とても清潔です)の場所・金庫の使用法・夜間の施錠法などの説明を受けます。このとき、写経(1000円)と翌朝の阿字観(1000円)を予約します。「竹」の間の床の間には竹の掛け軸。天袋にも竹があしらわれていました。床の間の落掛には初めて目にする切り絵が飾られていました。お尋ねしたところ、一年の無病息災・招福を祈念するしめ飾り<吉祥宝来>ということでした。切り絵は<壽>という字だそうです。

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4)夕食

17:30頃から各部屋に夕食が配膳されます。大変豪華な精進料理のフルコースで三の膳までありますから、宿泊する日の昼食は控えめにしておくべきです。献立には「春の花山吹」とあります。胡麻豆腐、蒸しちらし寿司、百合根や伏見唐辛子の油物などなど、高級料亭の趣です。アルコールはご法度かと思いきや、ビールや燗酒も注文できました。般若湯と隠語で勧められるかと思いきや、お酒も大丈夫ですよと勧められました。配膳も僧侶の修行の場ですから、スマホ撮影はNGとなります。

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5)写経

チェックインから夕食まで慌ただしく時間が過ぎます。写経は夕食後にテーブルを使って集中して行うといいでしょう。筆ペンと般若心経を印刷した紙+下敷が与えられますが、追加料金を支払えば毛筆で写経することもできます。写経は一字一字心を込めると綺麗に仕上がります。

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6)布団敷と暖房

写経中に宿坊従業員(宿坊寺院には僧侶のほかに、宿坊従業員・厨房従業員・料理人・パートもいます)が布団やマットを部屋に運び入れ、手際よく、寝所の用意をして下さいます。浴衣と帯は備えつけられています。3月下旬ですと、室内は暖房機器がフル稼働、寒がりの方はフリースなど防寒対策をして臨みましょう。

7)入浴

16:00~22:00までが入浴時間です。翌朝は入浴できません。浴室には洗場が5カ所、中風呂は天然の檜製、温泉ではありませんが、2009年に全面改装されたそうで清潔感溢れる浴室です。この日の中風呂からは美しい坪庭を臨むことができます。夏場(6月~9月)はともかく、それ以外の時期の最低気温はマイナス5度~10度前後。3月下旬で就寝時の外気温は0度でした。従って、入浴はなるべく遅い時間になさった方が湯冷めせずに済みます。

8)就寝

消灯時間はありませんが、お手洗いを済ませ、旅の疲れを癒すべく11:00には就寝すべきです。翌朝6:00には起床のアナウンスがあり6:30から勤行が始まりますから。

ロングセラーと惜しまれながら消えてゆく明治フルーツ牛乳

平成の御世もあと二ヶ月足らず。先週、「明治フルーツ」牛乳が4月1日に販売終了になるというニュースを聞いて少なからずショックを受けています。月に何度か通う贔屓の日帰り温泉にも明治の自動販売機(meiji健康ステーション)があって、180mlガラス瓶入り「明治フルーツ」は自分のなかでは断トツNo1の商品です。もう飲めないとなると、湯上りの楽しみのひとつが喪われてしまいます。「明治コーヒー」は続けるのだそうですが、圧倒的に軍配は「明治フルーツ」に上がります。「明治コーヒー」を販売終了にしてくれた方がダメージは遥かに軽微でした。新聞記事で知ったわけですが、リンゴ、バレンシアオレンジ、パイナップル、洋ナシ、バナナ、レモンと6種類の果実と乳製品で構成されているとは初耳でした。他社製品にはない爽やかな風味はこの絶妙なブレンドの賜物だったわけです。紙パックは一部で継続販売されるようですが、まろやかな風味に切り換えられるとか。風呂上がりには紙パックより瓶入りが断然お似合いです。

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奇をてらった新商品より、長く愛されてきた定番商品が好きでついつい手を伸ばしてしまいます。NHK連続テレビ小説まんぷく」のモデル日清食品創業者の安藤百福さんが開発したチキンラーメンは、「明治フルーツ」と同じ1958年に発売されましたが、テレビ放映の影響もあって2018年の売り上げは過去最高を記録したそうです。生卵入りのチキンラーメンは小腹が空いたときには絶対に手放せません。チキンラーメンは常備しておくべき必須アイテムです。日本初の乳酸菌飲料「カルピス」も今年7月7日に発売100周年迎えます。2012年から会社はアサヒグループホールディングスの傘下に入っていますが、「カルピス」ブランドは健在です。ジムトレの後は、カロリー0の機能性表示食品「カラダカルピス」を愛飲しています。「明治フルーツ」もいつか復活してくれることを願っています。

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ユニクロの酒蔵Tシャツを買ってみた!

学生の時分、ユニクロが存在していたら、きっとインナーからアウターまですべてユニクロ製品で済ませたことでしょう。安価で良質なユニクロ製品に恵まれた今の学生さんが羨ましい。お値段が手頃なファストファッションと称しながら、種類もカラーバリエーションも豊富で街なかでユニクロフリークを見かけたとしても、即座にユニクロファッションかどうか見分けられない点も高く評価しています。最近、ユニクロの新聞チラシを見ていたら、北斎Tシャツに目が止まりました。早速、近所の大型店舗で現物を確認、残念ながらいずれも絵がうるさくて好みには合いませんでした。幸い、近くの棚にあった酒蔵Tシャツに目移りし、結局、自分用に「獺祭」、高知出身の同級生のために「酔鯨」を購入しました。Mサイズは少し窮屈、中肉中背の男性ならLサイズがお勧めです。大型店舗限定販売の由、都内でも大型9店舗限定で現物は品薄のようです。オンラインショッピングの方が好みのTシャツのサイズが見つかる可能性が高いかも知れません。ちなみに、ネイビーブルーの「獺祭」Tシャツの裏側の裾には、カワウソが獲った魚を並べている可愛らしいイラストがさりげなく配されていました。こんな遊び心は大歓迎です。3月に入ってリリースされたこの酒蔵シリーズ、巷では日本酒好きのハートを鷲掴みしているようです。

現在、販売されている「酒蔵」シリーズは11種類、以下のとおりです。
酔鯨(高知県)
南部美人(岩手県)
天狗舞(石川県)
出羽桜(山形県
梵(福井県
獺祭(山口県
月の桂(京都府
剣菱兵庫県
越乃寒梅(新潟県
浦霞宮城県
七田(佐賀県

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シネマレビュー「八甲田山」(1977年公開)

昨年、「八甲田山」の<4Kデジタルリマスター版>が制作されたと知り、またこの名作を見たくなくって、家族も寝静まった深夜に録画を再生することに。まだまだ高価な4Kテレビは我が家にはありませんので、残念ながら、撮影監督木村大作さんが言う鮮やかに蘇ったという画像は拝めませんでしたが・・・・

これで本映画を見るのは三度目、「天は我々を見放した」という北大路欣也のセリフで有名なクライマックスは脳裡に焼きついているのですが、肝心のキャストの記憶は頗る頼りなくて、村山伍長役の緒形拳や若き日の秋吉久美子が案内役で登場することは、すっかり忘却の彼方でした。それにしても、士官クラスのキャストは小林桂樹三國連太郎加山雄三高倉健北大路欣也錚々たる顔ぶれでした。のみならず、映画タイトルも原作と同じ「八甲田山死の彷徨」だとばっかり記憶していたので、内心不明を恥じるばかりでした。八甲田山雪中行軍遭難事件が起きたのは1902(明治35)年1月のことでした。

昨年、この大遭難事件について『八甲田山 消された真実』(伊藤薫著/山と渓谷社)という本が上梓され話題になりました。神田大尉率いる青森歩兵第五連隊は210名中199名が死亡、一方、徳島大尉率いる弘前歩兵第三十一連隊は下士官中心の37名(+1名の新聞記者)という少数精鋭で臨み、全員生還。これほど対照的な雪中行軍の顛末ともなれば、小説家ならずとも創作意欲をそそられるはずです。山岳小説の第一人者新田次郎の手腕ですべてがまことしやかに見えますが、実際は史実に反する記述も多いと同書は指摘します。最後の生き残り小原元伍長の2時間余りの録音を入手した著者はその乖離に驚きを禁じ得なかったといいます。

未曾有の山岳遭難事故の真実を隠蔽するために、当時の第五連隊の事故報告書は著しく歪曲されたものだったのです。以下、人名は実名です。雪中行軍の発案者は陸軍参謀ではなく、第三十一連隊の福島大尉。対抗心を燃やして急遽、雪中行軍を命令したのは津川第五連隊長でした。当時、全国各地を襲った猛烈な寒波がごく短期間(一説には三週間程度)の準備期間しか与えられなかった神成大尉を窮地に追い込んだのはむべもありません。小説や映画では、両連隊とも相当な準備期間を与えられたことになっていますが、創作でした(小説には罪はなく報告書に捏造があったと理解しています)。驚いたのは、責任を負うべき津川連隊長がその後少将に昇進し、寡黙で沈着冷静な福島大尉は実は功名心の強い男で、道案内人を奴隷のように扱っていたことも明らかにされました。第三十一連隊の成功は決して美談ではなかったわけです。救出されピストル自殺したとされる山口少佐の暴走も一因でしたが、神成大尉の盲従ぶりが事態の悪化に拍車をかけたようです。

小説や映画が史上稀に見る山岳遭難を世に広く知らしめた功績は大だとしても、ドラマティックな小説や映像の背後に隠された真相にも目を向けないと遭難した将兵やご遺族は浮かばれません。最大の疑問は、のちの日露戦争において、八甲田山遭難事件の教訓が本当に生かされたのかどうかです。映画で見る貧弱な装備が、その後の寒地研究・訓練の成果を基に、見違えるような本格的装備に生まれ変わったとはとても思えないからです。

八甲田山 消された真実

八甲田山 消された真実

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

シネマレビュー「女王陛下のお気に入り」〜時代背景を読み解きながら〜

第91回アカデミー賞の授賞式(日本時間2月25日)の迫るなか、封切りされたばかりの「女王陛下のお気に入り」を真っ白な頭で鑑賞してきました。大本命「グリーン ブック」と並んで本作の下馬評は頗る高く、本年度アカデミー賞最多10部門にノミネートされています。一切、紹介記事の類いを読まずに劇場に足を運びました。第83回アカデミー賞作品賞含む4部門ほか多数の映画賞受賞に浴した「英国王のスピーチ」への連想も手伝って、本作への期待が膨らみます。

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映画の舞台は、名誉革命の後の英国。メアリー二世が天然痘のため死去、ついで王位を継承したウィリアム三世も即位後まもなく落馬で首の骨を折って死去。映画の主役はウィリアム三世の跡目を継いで1702年に即位したアン女王、スチュアート王家最後の国王です。折しも、英国はスペイン継承戦争の真っ只中。主戦派で名誉革命擁護のホイッグ党と和平派トーリー党との対立は激しさを増していきます。史実ではアン女王はトーリー党贔屓でした。一方、1707年にはイギリス史上極めて重要なイングランドスコットランドの合邦が実現します。即ち、「グレイト・ブリテン」の誕生です。こうした時代背景を頭に入れて観ると、本作への理解が深まります。

アン女王(1665-1714)を演じるのはオリヴィア・コールマン。アン女王といえば、サー・ゴドフリー・ネラーが描いた肖像画(写真下のユトレヒト条約記念金貨にも採用されています)が有名ですが、オリヴィアの風貌は肖像画に瓜二つ。肥満体で糖尿病や痛風に苦しめられ、戴冠式では終始車椅子に座ったままだったそうです。ジョージとの夫婦仲は良好で17回も妊娠しながら、流産や死産に祟られ生まれてきた子供もひとりとして成人せず、私生活は薄幸でした。最期(49歳でした)は太りずぎて、正方形に近い棺を用意しなければならなかったと伝えられます。今でも、紅茶の様式と伝えられる<クイーン・アン・スタイル>の創始者のイメージとはずいぶん隔たりを感じます。

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本題の映画に戻りましょう。豪華絢爛な宮廷において、女官長役のレイチェル・ワイズと侍女役エマ・ストーンが、アン女王の寵愛をめぐって熾烈な権力争いを繰り広げます。《ごめんあそばせ、宮廷では良心は不用品よ。》というキャッチコピーさながら、二人の対立は残忍かつ陰湿な様相を帯びていきます。アン女王の閨房で起きる出来事をきっかけに二人の対立は決定的になります。三大女優の熱演は実に見応えがあります。結末にはやや不満が残りますが、作品賞はともかく主演女優賞や助演女優賞の有力候補に挙げられるのも納得です。

歌舞伎レビュー「暗闇の丑松」(2019年2月歌舞伎座昼の部)

渡世人を主人公にする小説を「股旅物」と呼びます。「股旅物」と聞けば、誰しも寅さんシリーズを思い起こすのではないでしょうか。二月大歌舞伎昼の部で初めて観ることになった「暗闇の丑松」は、その「股旅物」の系譜に連なる演目で、『瞼の母』や『一本刀土俵入』で知られる長谷川伸が六代目菊五郎にために書き下ろした歌舞伎作品です。

あらすじはざっとこんな感じです。一時の激情から殺人を犯した料理人丑松(菊五郎)は、愛妻お米(時蔵)を兄貴分の四郎兵衛(左團次)にあずけて江戸を立退きます。一年が経ち、四郎兵衛の為に身を穢され板橋の妓楼に売られていたお米と偶然再会します。お米は騙されて身売りされた事情に理解を示さない丑松に絶望し、その夜、首吊り自殺してしまいます。やがて、丑松は四郎兵衛の非道に気づき、江戸へ戻るや四郎兵衛夫妻を手にかけてしまいます。

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昭和9年初演だそうですが、すんなりと入っていける演目です。ただ、全篇を貫くのは丑松が背負った業の重さ。この日、昼の部は「義経千本桜(三段目の鮨屋)」から始まりましたから、観客席の空気は幕間を挟んで重苦しいままでした。序幕、夜中の長屋で繰り広げられるお米と母お熊(橘三郎)との言い争いに端を発して、お米の人生は大きく狂い始めます。序幕切れで屋根伝いに暗闇へと消える二人の姿が実に暗示的です。

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丑松がお米を強欲な母親から解放するために刃傷沙汰に及び、お米は丑松が信頼していた兄貴分の四郎兵衛宅に身を寄せるものの、騙されて女郎に身を落としてしまいます。一度狂い始めた人生の歯車は、皮肉なことに後戻りすることはありません。

二幕目、妓楼の丑松・お米の再会シーンは見応えたっぷりです。四郎兵衛に騙された経緯を静かに語るお米、その言葉に耳を傾けようとしない丑松。ふたりの切ない胸の内はすれ違ったままです。返盃したお米が座敷を後にすると、丑松は妓夫の三吉(亀蔵)と話して初めてお米の言葉が本当だったことを知ることになります。お米はこのときすでに裏の銀杏の木に首をくくって果てていて、妓楼は俄かに騒然となります。戸外は篠突く雨、その効果音と相俟って「神立だろうと思うんですが、やがてこいつあ地雨に変わりますぜ」と若い衆のセリフが暗転したふたりの運命と共鳴します。

大詰めの湯屋の場面で、丑松が四郎兵衛を殺めることになりますが、序幕「浅草鳥越の二階」階下の殺人同様、復讐相手四郎兵衛の殺害シーンは登場しません。「二人を殺っちまった」と丑松に言わせて観客の想像に委ねる序幕といい、湯気の立ち上るリアルな湯屋で、湯屋番(橘太郎)や客が大騒ぎする様子から舞台裏での四郎兵衛殺害を仄めかすのは、役者の表情や所作に注目して欲しいという劇作家からのメッセージに他なりません。褌姿がよく似合う橘太郎演じる番頭さんのリズミカルな働きぶり(名人芸でした)にすっかり気を取られて、今回は肝心の劇作家長谷川伸のメッセージを受け止め切れませんでした。一見賑やかな湯屋の舞台が、却って丑松の心の闇を際立たせていることに気づくのが遅すぎました。

本演目の最大の眼目は、四郎兵衛の妻お今(東蔵)を殺めるシーンにあったのでしょう。丑松を裏切った四郎兵衛はナレ死ですから。丑松のためを思って身売りしたのに、四郎兵衛夫妻のみならず誤解から発したとはいえ丑松からも縁切られては、お米は絶望するしかありません。逆にお今は丑松に媚を売ってくる。どこまでも真っ直ぐな丑松は、こうした女の性が許せなかったのでしょうか。数奇な運命に翻弄されるお米はもとより、丑松の刹那の心情を理解するにはこの舞台はなかなかに深淵です。次の機会には刮目して観たいと思います。