石川直樹写真展2019@東京オペラシティアートギャラリー

写真展のタイトルは〈この星の光の地図を写す〉。今年1月6日の「日曜美術館」で山岳写真家として知られる田淵行男さんの特集番組が放映されたばかりですが、このとき解説者として出演していたのが石川直樹さんでした。山岳写真の世界を変えたと言われる田淵さんの遺志を継ぐ若き写真家のひとりです。

番組では、田淵さんの代表作「初冬の浅間」(1940年)の撮影場所を、石川さんが登山道を歩きながら思案する場面が印象的でした。当時はフィルム撮影、渾身の一枚は反対側の山から望遠レンズで撮ったことが分かりました。去年の8月30日、浅間山の噴火警戒レベルが2から1に引き下げられたことに伴い、火口周辺規制も解除されました。晩秋に浅間山(前掛山)に登頂したばかりだったので、年明けの番組で田淵さんが取り挙げられ、今もフィルムカメラを使いズームレンズに頼らない石川さんの20年を振り返る写真展に誘われたことに不思議な縁を感じます。

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今回の写真展の会場は東京オペラシティアートギャラリー。オペラシティビルの3階、初めて訪れる方には少し場所が分かりにくいかも知れません。入口は写真下をご覧下さい。

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L字型の会場は、Gallery 1,、Gallery 2、Corridorと3つに仕切られています。G1にはデナリ単独登頂(1998)や北極点から赤道を超えて南極点まで人力で縦断する〈Pole to Pole 2000〉の写真が展示されています。20代前半から世界に眼を向けて、写真家として独自の視座を確立していたとは大したものです。G2へ移動すると、中央にはテントが張られ、そのなかでK2(2015)に挑んだ際の動画を鑑賞することになります。テントの床には山をあしらった小さな絨毯が幾つも敷かれ、来館者は車座になってディスプレイに見入っています。相次ぐ雪崩で、石川さんはK2とブロードピークの登頂を断念することになりましたが、神々しいまでの山容を収めた写真からは、容易にてっぺんを踏ませない峻厳さが十二分に伝わってきました。てっぺんからカラコルムの山々を見渡すまで彼の挑戦は続くのでしょう。

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一番時間をかけたのは最後の展示でした。〈石川直樹の部屋〉には、登山道具や愛l読書を並べた本棚、旅先のお土産が所狭しと並べられ、ところどころ付箋に鉛筆でコメントが書かれていました。そのなかから、心温まるメッセージを幾つかご紹介しておきます。

・ぼくはここ初台で生まれました。これは家の近くで撮られた写真です。生まれた場所でこうした展示ができて嬉しいです。
・テントは最高の家です。このテントは二度目のデナリ遠征で使ったもの。目をつぶっていても立てられる。軽い。小さい。
・プジャの儀式でもらえるお守り。登山中は常に身につけている。f:id:uribo0606:20190203115802j:plain

ぼくの道具

ぼくの道具

・ぼくが世界で一番好きな動物はヤク。

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過酷な山行に幾度も挑戦し心身ともに消耗し切っているはずなのに、〈石川直樹の部屋〉からは心の温もりやゆとりが感じられます。遠征先の人々とのふれあいを大切にしている姿はとても魅力的です。なにより、愛読書や思い出の品、登山道具に対する愛着を包み隠さず披露する態度に頗る共感してしまいました。ヤクに言及した付箋を読んで思わずニンマリしてしまいました。というのも、以前、青蔵鉄道経由チベットを旅したとき、自分もヤクに惹かれて、八角街(バルコン)で嬉々として精巧なミニチュアを買ったからです。

本展鑑賞後に、『ぼくの道具』(2016年・平凡社)と『知床半島』(2017・北海道新聞社)を購入、著作に触れながら石川直樹のこれまでの軌跡を辿ってみるつもりです。

ムーティ×シカゴ交響楽団で聴くブラームスの交響曲第一番&第二番

昨夜、サントリーホールで開催された冠公演に招待されて、リッカルド・ムーティ×シカゴ交響楽団という夢の共演を聴いて参りました。外気温は5度前後、久しぶりに開場を告げるパイプオルゴールを聞きました。ムーティシカゴ交響楽団音楽監督で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団フィラデルフィア管弦楽団などの名門フィルを指揮した実績を持つ現役マエストロの頂点に君臨するひとりです。2018年のウィーンフィルニューイヤーコンサートで五度目の指揮台に上がったのは記憶に新しいところです。

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曲目はブラームス交響曲第一番(Op.68)と第二番(Op.73)。生涯で4つ作った交響曲のうち、第一番はベートーヴェンのシンフォニーの系譜を正統に承継することから、「第10交響曲」と呼ばれたりします。偉大な先達ベートーヴェンを意識したのか、交響曲第一番の着想から完成まで21年を要したといわれています。

重苦しい雰囲気で始まる序奏から、落ち着いた印象の第2楽章へ。短い間奏曲風の第3楽章を挟んで第4楽章に入ると、ストリングスのピチカートが軽快に奏でられ、トローンボンとファゴットがコラール風に歌い、歓喜の瞬間へと導いてくれます。

交響曲第二番はベートーヴェンの「田園」(第六番)に喩えられます。暗闇から光明へと劇的に展開する交響曲一番に比べて、二番は確かにのびやかなで明朗快活な印象を与えます。完成まで長い時間を掛けた一番とは対照的に、重圧から解放されたような躍動感溢れる曲目をムーティが実に楽し気に指揮してくれました。背筋をピンと伸ばして、左右正面へと豊かな身振り手振りで指示を出すエネルギッシュな指揮ぶりは、さすが偉大なマエストロ。とても77歳とは思えません。

舞台後方席で聴けたらなお良かったのですが、贅沢は言えませんね。サントリーホールはヴィンヤード型、カラヤンサントリーホールの設計に際して「コンサートは壁に向かって演奏するのではなくて、そこに集まった人たちと一体になって、一緒に、共に音楽をするのです」と初代館長の佐治敬三さんにアドバイスしたのだそうです。文字通り、客席とステージが一体となった素晴らしい演奏会でした。

アンコールはブラームスハンガリー舞曲第一番。アンコールピースの定番、アップテンポで力強い演奏にすっかり魅了されてしまいました。万雷の拍手の心地よい残響を耳元に感じながら、会場を後にしました。

東京駅丸の内駅舎(重文)は絵になります!

東京で好きなスポットはと問われれば、躊躇なく東京駅丸の内駅舎と明治神宮と答えます。どちらも東京を代表するランドマークですが、歴史的価値において、他の追随を許さないスポットだと断言できます。明治神宮に関しては、常緑広葉樹を植えて明治神宮の森を作り上げた本多静六先生の生誕150年にあたる2016年に当ブログで取り上げたので、今日は東京駅丸の内駅舎について少し掘り下げてみることにします。

先日、東京ステーションギャラリーを訪れた際、「東京駅のみどころ」(2017年12月版)と題する縦長のパンフレットを入手しました。東京ステーションシティ運営協議会という団体が発行しているこのパンフレットは、なかなか有益な情報を提供してくれます。後述する具体的な復原作業も一部このパンフレットのなかで言及されています。

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東京駅乗り入れている路線は、在来線9路線、新幹線4路線に地下鉄丸の内線を加えて14路線。ですから、東京駅は広大で東西ではまったく表情が異なります。東側の八重洲口は、帆を模したモダンな屋根が特徴的でグランルーフと呼ばれています。こちらは、かなり離れて見ないと斬新なデザイン性を体感することは出来ません。

東京駅の顔といえば、国の重要文化財に指定されている丸の内駅舎。平成24(2012)年に創建当時の姿に復原されて、惚れ惚れするような芸術的建造物に生まれ変わりました(かつて、丸の内駅舎のモデルはアムステルダム中央駅だとされてきましたが、建築様式が異なることを理由に近年は否定する見解が有力だそうです)。そして、平成29(2017)年には、ロータリーと長いあいだ視界を遮ってきた工事用の障壁が撤去され、駅前広場から丸の内駅舎の全容を見渡せるようになったのです。駅舎と駅前広場は、行幸通りから皇居へと連なる統一的景観を形成し、その美しさといったらまさに東京のシンボルです。周辺高層ビルとは対照的に、丸の内駅舎は低層で圧迫感がなくレトロな化粧レンガが目に和みます。両者は互いに反発するのではなく、東京の過去と現代を有機的に結びつけて見事な調和(ハーモニー)を実現しています。日没後、駅舎は21:00までライトアップ(照明デザイナーは面出薫さん)され、昼間とは全く違う表情を湛えます。ライトアップにも工夫が凝らされ、幻想的な光景を演出してくれます。

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東京駅を設計したのは名匠辰野金吾大正12年関東大震災に遭った際も丸の内駅舎は被害なし、その堅牢さこそ建造物の根幹です。ところが、終戦の年、空襲で3階部分が焼失し、その後、長期間に渡って手を加えられることはありませんでした。費用面の制約が大きかったからでしょう。掛かった復原費用は約500億円、空中権の売却で捻出されたのだそうです。東京の玄関口イコール日本の玄関口、着工から5年の歳月を要した大規模工事(免震工事を含む)に挑んだ関係者の着想と英断に心底敬服します。

褐色の化粧レンガに白い花崗(かこう)岩を帯状に配したデザインとビクトリア調のドームは「辰野式」と呼ばれ、創建当時の姿を再現するためには手間ひまのかかる職人仕事が欠かせませんでした。化粧レンガの再現、覆輪目地の保存・復原、天然スレート屋根の復原など、数えきれない細部にこだわった作業の集積が美しい丸の内駅舎を甦らせたのです。

世紀のフェルメール展狂想曲@上野の森美術館

上野の森美術館知名度は、トーハク・都美・国立西洋美術館が林立する上野恩賜公園にあって、やや見劣りするのではないでしょうか。開館は1972年、唯一の私立美術館です。ところが、近年、「怖い絵展」(2017年)、「ミラクエッシャー展」(2018年)と大行列の出来る展覧会を立て続けに企画しています。

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今回の「フェルメール展」では、現存点数35(諸説あり)しかないフェルメール作品8点を日本に集結させるという奇跡的離れ業を演じてくれました。3点は初来日だそうです。こうなると来館者が殺到すること請け合いですから、「日時指定入場制」という異例の措置が講じられました。早めにチケットをネット予約しておこうと思った時期に、今年1月9日からさらに1点(「取り持ち女」)加わってVERMEER 9/35になると知って、会期後半のこの週末、入館することにしました。

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2018年11月3日から始まった本年1月から会期終了日の2/3までの図録付前売券@5000円がお得とあって、早々と予定枚数に達したようです。前売券は2500円、一般的な美術展のそれより1000円以上高い計算です。しかしながら、この破格のお値段もよくよく考えてみれば、収蔵先の5カ国6美術館を見て廻れば途方もない費用と時間がかかる訳ですから、むしろお値打ちなのです。

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指定入場時刻の15分前に現地に赴くと、200人くらいがすでに行列を作っていました。幸い、1/19(土)は快晴のおだやかな1日となり絶好の行楽日和。入場して嬉しいサプライズだったのは、「音声ガイド」(ナレーション:石原さとみさん)が無料な上に、無味乾燥な出品目録に代えて手帳サイズの作品解説ハンドブックが頂けたこと。フェルメール作品に加え同時代のオランダ黄金時代の傑作すべてに丁寧な解説が加えられていて、絵を見ながら事物に込められた寓意(アレゴリー)を読み解くことができます(例:楽器は恋愛を暗示する)。ほかにも有益な解説満載で、フェルメールの「手紙を書く女」に描かれた黄色い上着フェルメールの財産目録に記載されていたとは初耳でした。

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オランダ黄金時代の作品群のなかでは、特に、ヘラルト・ダウの「本を読む老女」とハヴリエル・メツーの一対の「手紙を書く男」と「手紙を読む女」のクオリティの高さに驚愕させられました。当時、肖像画というジャンルが急速に富裕層に浸透し、フェルメールと同時代に優れた画家が輩出した証しです。彼らは決してフェルメールの前座などではなく、肩を並べる作品群を生み出した傑出画家でした。

紅殻色の展示室の背景色が、「フェルメール・ルーム」に入るとフェルメールブルーに変わります。9点が一堂に会した特別展示室は圧巻でした。”rich moment”〜贅沢なひととき〜とはこの瞬間のために用意された言葉に違いありません。数点は過去見たことがありますが、こうして並べて見てみると、フェルメールの息遣いが伝わってくるようで、格別の感動を覚えました。フライヤーにあるとおり、フェルメール本人も目にしたことがないであろう奇跡の光景です。後期の傑作「手紙を書く夫人と召使い」の 前ではしばらく動けなくなりました。

フェルメールの最大の魅力は、ありふれた暮らしのなかにある一瞬の輝き(ときめき)を捉えた点にあるように思います。フェルメールが好んで描いた手紙というモチーフは、一瞬を切り取る上で欠かせないものだったのでしょう。風俗画と言ってしまえばそれまでですが、光と影が織りなす情景は実に穏やかで(“tranquil scenes”)、日本人固有の感性に静かに訴えかけてきます。千足伸行氏は静謐かつ無名的な日常と表現しています。間接光を採り入れる絵は陰翳礼讃にも通じます。宗教画や歴史画と違って、深い文化的教養がなくても共感できるフェルメール作品はなにより親しみやすい。その上、絵のサイズは狭小日本住宅にぴったりで、威圧感がありません。フェルメール全点の面積を合わせても、レンブラントの「夜警」のサイズに満たないのです。世界中にファンは多けれど、フェルメール作品は日本人にとって特別な存在であり続けることでしょう。本展覧会は、2月16日から大阪市立美術館へ巡回します(フェルメール作品は6点公開、東京会場にはなかった「恋文」が登場します)。

フェルメール9点を含め展示作品はわずか49点でしたが、じっくり時間をかけて鑑賞することができました。最後にもうひとこと、珠玉の展覧会でした。

吉村芳生(よしむらよしお)展レビュー@東京ステーションギャラリー

[超絶技巧を超えて]というサブタイトルがついた吉村芳生展は、その緻密な描写において、観る者すべてを圧倒する内容でした。このアーティストに馴染みのない人が見れば、写真展だと見紛うこと間違いありません。

入口近くには、代表作の「365日の自画像」(1981-82年)や17mに及ぶ金網のプレス痕をひたすらなぞった「ドローイング 金網」(1977年)という大作が展示されていました。驚くべき哉、自画像も金網も紙に鉛筆で描かれたものなのです。単眼鏡を使って観察すればさすがに鉛筆描きだと分かりますが、自然体で鑑賞しているだけでは鉛筆描きと見破れないかも知れません。同時期に鉛筆で描かれたという「友達シリーズ」と題する友人知己をモデルにした作品も鉛筆描き、精緻さにおいて、さながらスナップ写真です。来る日も来る日も、自撮りした自分の写真を凝視して鉛筆で写しとっていく作業は、9年間に及んだといいます。「世界一多くの自画像を描いた画家」という形容は、作者への最大の賛辞に他なりません。

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第1章のタイトル「ありふれた風景(Everyday-life Scenes)こそ、吉村芳生のライフワークの源泉だったのです。日常生活のなかで、身の周りのモノや自分の顔をしげしげと眺める機会は殆どありません。対照的に、作者はそうしたモノや自分(あるいは友人や家族;)の顔に材を求めて、そうした対象物を凝視し続けたわけです。とりわけ心惹かれたのは「ジーンズ」と題する作品(1983年)でした。リーバイスジーンズのフロントボタンや洗いざらしの質感が見事に再現されています。紙幅を2.5mm四方のマス目で区切って、濃淡を9段階に描き分けていくという気の遠くなるような作業の賜物です。さながら、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」の如。病気に罹ったり災害に遭ってはじめて、人は何気ない普段の暮らしの有り難みを実感するといいます。作者は本能的に日常生活の本源的価値を嗅ぎ取っていたのでしょう。日常生活こそ切なく愛おしい存在なのだと作者は教えてくれているようです。

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前述の自画像から時を隔てて取り組んだ作品が「新聞と自画像」。細密に写しとられた新聞第一面を背景に自画像を描いたものです。その日の災害や事件などニュース内容に敏感に反応した作者の表情が印象的です。作者の相貌は年を重ねて頭髪が薄くなり皺も増えて、初老を意識させます。振り返れば、世紀末から21世紀の幕開けにかけて社会的事件や天災地変が相次ぎました。東日本大震災時の「3.11から」と題した全8種の作品からは、怒りや喪失感といった作者の荒ぶる感情がとめどなく溢れてきます。

時間の経過に寄り添うこうした作品群を見ていて、60年代に河原温が手掛けた日付絵画(Date Painting)を思い出しました。河原もまた、単色地(黒など)に白文字で日付という至ってシンプルな作品を毎日ひたすら描き続けました。ルーティンと映るこうした地道な営みは、作者自身の生存確認であり、時間経過に埋没しがちな日常生活において、わずかな自身の変化(或いは外界の変化)を見逃すまいとする作者の決意表明にも映ります。

そんな修行僧にも似た反復継続作業はやがて転機を迎えます。山口県徳地町に転居した1985年以降、単色の鉛筆画はファーバーカステル社製の色鉛筆による多彩色画へと大きく変容します。第2章「百花繚乱」では、コスモスやケシをモチーフにした色鮮やかな絵がひときわ光芒を放っていました。身近かな自然に生命の躍動感を見出し、ほとばしるような筆致で揺るぎのない構図を完成させています。晩年、藤棚を描いた「無数の輝く生命に捧ぐ」(2011年)は作者が渾身の力を注いだ傑作です。惜しくも2013年に早逝された吉村芳生の声価はこれから益々高まっていくことでしょう。画壇で評価の確立した内外の物故作家に偏らず、地方で活躍した画家にスポットを当てた東京ステーションギャラリーの企画力には脱帽です。

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2019年初春歌舞伎公演はビッグサプライズ!~十三代目團十郎誕生へ~

成人式の今日、清々しい青空の下、JR有楽町駅から歩いて新橋演舞場へ。歌舞伎座の昼の部(開演11:00)と勘違いして、開演より1時間以上前に現地に到着してしまいました。しばらくすると、カメラマンがふたり、慌ただしく自分の前を横切っていきます。続いて、演舞場スタッフがフライヤーを無言で配り始めるではありませんか。数分経ってから、少し気になったのでそのフライヤーを受け取ろうと人混みをかき分け、スタッフに近づき一枚受け取りました。

そこには、
速報! 歌舞伎座かわら版
2020年5月、6月、7月の歌舞伎座公演にて、
市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露!
また、海老蔵長男堀越勸玄が8代目市川新之助初舞台!

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おいおい、劇場スタッフ、もっと騒げよと言いたくなりました。「かわら版だよー来年は十三代目市川團十郎誕生だよ」くらい声を上げるところなのに。こんな歴史的イベントの発表日に、海老蔵・勸玄君親子の共演を観られるとは、今年は春から縁起がいいわいなと独りごちた次第。

この日の演目は、「義経千本桜 鳥居前」、「極付幡随長兵衛公平法問爭(こんぴらほうもんあらそい)」、「三升曲輪傘売」。いずれも新春にふさわしい実に艶やかな舞台でした。「鳥居前」の舞台は、お正月らしく伏見稲荷大社前。廣松(父友右衛門が九郎判官義経役)が静御前を艶やかに演じ、ラストで獅童(忠信実は源九郎狐)が狐六方の引っ込みをユーモラスに披露します。「幡随長兵衛」では海老蔵が町奴長兵衛を演じ、倅長松を勸玄君が好演。長松は、面子を重んじ一人永野十郎左衛門邸へ乗り込もうとする長兵衛の背後に回り、左右に顔を振って必死で説得を試みます。劇中親子の今生の別れのシーンを実の親子が演じるわけですから、涙なくして観られません。結局、家族や手下の反対を押し切って長兵衛は一人水野の屋敷へ乗り込み、湯殿で討たれてしまいます。花道に近い席だったので、海老蔵が焚いた伽羅の甘い残り香がときおり鼻腔をくすぐりました。台詞や動きが随分増えて難しい役どころの長松を、勸玄君は見事に演じ切りました。新之助襲名にあたり、やりたい役は幡随長兵衛と言い切る勸玄君、さすが未来の海老蔵です。

最後は平成27(2015)年9月初演の「三升曲輪傘売」、新吉原で石川五右衛門(海老蔵)が傘売りに扮して曲輪の新造たちに傘商いをするというすじがき。舞台正面には満開の桜、その周りを逆V字型に置屋が軒を連ねます。見どころは着膨れした五右衛門の身体から次々と飛び出す色とりどり大小様々の傘々。まるでマジックショーを見ているようです。短い演目ながら、華やぎがあって、趣向に富んでいて、実に目出い舞台でした。

劈頭のかわら版サプライズに輪をかけたのは、傘売り五右衛門が正体を露わにした幕引きで観客席におひねりの振る舞いがあったこと。投げ込まれた手ぬぐいの一つをラッキーにもダイレクトキャッチ、こりゃ春から縁起がいいわいわいと内心ほくそ笑みました。手ぬぐいには「強烈ナ努力」と書かれていました。海老蔵が好きな言葉だそうです。

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新年はシュトラウスを聴きたい

新年早々、ウィンナワルツを聴きに東京オペラシティコンサートホールへ。本場ウィーンでは、毎年元日に楽友協会大ホールでウィーンフィルニューイヤーコンサートが催されます。世界100カ国へ衛星中継されるくらいですから、自分も含めて、世界中のファンがこの日を楽しみにしているのです。いつの日か、チケットを入手して現地で聴けたらと思うのですが、生きているうちに叶うかどうか。

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東京でも元日から3日連続でサントリーホールにおいてウィーン・フォルクスオーパ交響楽団によるニューイヤーコンサート2019が開催され、9日はウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラが東京オペラシティコンサートホールに登場ですから、日本でもウィーンのフィルハーモニーによるニューイヤーコンサートは風物詩として定着してきたのではないでしょうか。もちろん、こうした演奏会はウィーンフィルニューイヤーコンサートの世界的知名度から派生したものであるには違いありませんが、なんと言ってもシュトラウスファミリーの楽曲全般が明るく軽快で、新年を迎えたばかりの人々の気持ちを華やぎに満ちたものにしてくれるからではないでしょうか。前半の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は運動会に流れる誰もが知っている定番曲、インターミッション(下はCD販売の様子)を挟んで、後半最初に演奏された「春の声」(ヨハン・シュトラウス二世)は、いつ聴いても心を浮き立たせてくれます。

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シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラの名物指揮者はペーター・グート。年齢不詳ですが80歳近いのではないでしょうか。ヴァイオリニストでもありますから、弓を片手に指揮する場面も印象的です。楽団員には高齢の方も目立ち、円熟の演奏に期待が昂まります。オペレッタの王様「こうもり」でスタートした演奏会は、ギャロップポルカあり、皇帝円舞曲ありの実に愉快なプログラムでした。ソリストはソプラノのアネッテ・リーピナとバリトンの平野和(ひらのやすし)。本場ウィーンを拠点に活躍する平野さんの日本人離れした声量と容姿に、会場からは万雷の拍手が送られていました。

音楽に合わせて、オペラの名場面では、スロヴァキア国立劇場バレー団から男女二人のダンサーが登場し流麗なパフォーマンスを披露してくれました。ニューイヤーコンサートの真骨頂はフィルとバレーパフォーマンスのコラボに尽きます。あっという間の2時間が過ぎて、最終曲は「美しき青きドナウ」。続いてアンコールは「百発百中」「颯爽と」とポルカ・シュネルが2曲続き、定番「ラデツキー行進曲」がフィナーレを飾りました。アンコールの間は手拍子ありポルカの軽快なリズムに合わせたハンドパフォーマンスありと、客席を巻き込んだ舞台演出に観客は大歓びでした。壇上には蝶ネクタイ姿の男の子と女の子が招き寄せられ、中編成のオーケストラを指揮するという楽しい余興つきでした。その間、ソリストと指揮者は客席をめぐり、歓声に応えてくれました。