吉村芳生(よしむらよしお)展レビュー@東京ステーションギャラリー

[超絶技巧を超えて]というサブタイトルがついた吉村芳生展は、その緻密な描写において、観る者すべてを圧倒する内容でした。このアーティストに馴染みのない人が見れば、写真展だと見紛うこと間違いありません。

入口近くには、代表作の「365日の自画像」(1981-82年)や17mに及ぶ金網のプレス痕をひたすらなぞった「ドローイング 金網」(1977年)という大作が展示されていました。驚くべき哉、自画像も金網も紙に鉛筆で描かれたものなのです。単眼鏡を使って観察すればさすがに鉛筆描きだと分かりますが、自然体で鑑賞しているだけでは鉛筆描きと見破れないかも知れません。同時期に鉛筆で描かれたという「友達シリーズ」と題する友人知己をモデルにした作品も鉛筆描き、精緻さにおいて、さながらスナップ写真です。来る日も来る日も、自撮りした自分の写真を凝視して鉛筆で写しとっていく作業は、9年間に及んだといいます。「世界一多くの自画像を描いた画家」という形容は、作者への最大の賛辞に他なりません。

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第1章のタイトル「ありふれた風景(Everyday-life Scenes)こそ、吉村芳生のライフワークの源泉だったのです。日常生活のなかで、身の周りのモノや自分の顔をしげしげと眺める機会は殆どありません。対照的に、作者はそうしたモノや自分(あるいは友人や家族;)の顔に材を求めて、そうした対象物を凝視し続けたわけです。とりわけ心惹かれたのは「ジーンズ」と題する作品(1983年)でした。リーバイスジーンズのフロントボタンや洗いざらしの質感が見事に再現されています。紙幅を2.5mm四方のマス目で区切って、濃淡を9段階に描き分けていくという気の遠くなるような作業の賜物です。さながら、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」の如。病気に罹ったり災害に遭ってはじめて、人は何気ない普段の暮らしの有り難みを実感するといいます。作者は本能的に日常生活の本源的価値を嗅ぎ取っていたのでしょう。日常生活こそ切なく愛おしい存在なのだと作者は教えてくれているようです。

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前述の自画像から時を隔てて取り組んだ作品が「新聞と自画像」。細密に写しとられた新聞第一面を背景に自画像を描いたものです。その日の災害や事件などニュース内容に敏感に反応した作者の表情が印象的です。作者の相貌は年を重ねて頭髪が薄くなり皺も増えて、初老を意識させます。振り返れば、世紀末から21世紀の幕開けにかけて社会的事件や天災地変が相次ぎました。東日本大震災時の「3.11から」と題した全8種の作品からは、怒りや喪失感といった作者の荒ぶる感情がとめどなく溢れてきます。

時間の経過に寄り添うこうした作品群を見ていて、60年代に河原温が手掛けた日付絵画(Date Painting)を思い出しました。河原もまた、単色地(黒など)に白文字で日付という至ってシンプルな作品を毎日ひたすら描き続けました。ルーティンと映るこうした地道な営みは、作者自身の生存確認であり、時間経過に埋没しがちな日常生活において、わずかな自身の変化(或いは外界の変化)を見逃すまいとする作者の決意表明にも映ります。

そんな修行僧にも似た反復継続作業はやがて転機を迎えます。山口県徳地町に転居した1985年以降、単色の鉛筆画はファーバーカステル社製の色鉛筆による多彩色画へと大きく変容します。第2章「百花繚乱」では、コスモスやケシをモチーフにした色鮮やかな絵がひときわ光芒を放っていました。身近かな自然に生命の躍動感を見出し、ほとばしるような筆致で揺るぎのない構図を完成させています。晩年、藤棚を描いた「無数の輝く生命に捧ぐ」(2011年)は作者が渾身の力を注いだ傑作です。惜しくも2013年に早逝された吉村芳生の声価はこれから益々高まっていくことでしょう。画壇で評価の確立した内外の物故作家に偏らず、地方で活躍した画家にスポットを当てた東京ステーションギャラリーの企画力には脱帽です。

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