「西郷どん」最終回に寄せて~瑛太が大久保利通を好演!~

毎年、その年の大河ドラマが終わるといよいよ年の瀬という思いをあらたにします。平成最後の「西郷どん」の前半、島津斉彬の治下、主人公西郷吉之助が脇役に退いたような印象を与える群像劇の様相を呈して、些か不満が募りました。しかし、終わってみればさすが大河ドラマ、幼少期からの朋友西郷吉之助と大久保一蔵が明治維新を境に袂を分かち、それぞれ違った道を歩み始める過程を丁寧に描いて、史実の凄みを存分に見せつけてくれました。大河ドラマ史上、下から3番目の平均視聴率(12.7%)とは意外な感じがします。とまれ、薩摩藩出身のふたりがつかず離れずの関係を保って、理想的な同心円を描いてみせたからこそ、明治維新は成功したのだと思います。西郷にあえて逆賊の汚名を着せた大久保は今日でも地元鹿児島を中心に評判が頗る芳しくないようですが、廃藩置県(1871年)、廃刀令秩禄処分(1876)と矢継ぎ早に新政府の政策を断行する大久保の不退転の決意にむしろ共感させられた後半でした。

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人望の厚い西郷(鈴木亮平)と理詰めで組織統制を重視する大久保(瑛太)は実に好対照、配役もズバリ的中でした。特に、岩倉使節団帰国後の瑛太の演技は回を重ねる度に凄みを増し、西欧列強に一刻も早く追いつくために島津久光や西郷さえ切り捨てる覚悟、そこには不惜身命の決意があったに違いありません。盟友西郷が西南戦争で落命した翌年の1878年に、大久保(享年49歳)も紀尾井坂の変で斬殺されてしまいます。なんという運命の悪戯でしょう。懐中には西郷から送られた手紙二通があったといいます。大久保は公共事業に私財を投じていたために死後8000円もの借財(現在の1億円超に相当)が残ったそうです。

西郷隆盛は、内村鑑三の『代表的日本人』の第一章で五人の代表的日本人のひとりとして取り挙げられています。死後、上野公園に銅像が立ち、鹿児島には南洲神社の墓地の隣に顕彰館が建設された西郷さん。これに比して、大久保は故郷で納骨叶わず墓所青山霊園にあります。大久保もまた無私の人であり、天の声に耳を澄ませたひとりではなかったか、そんな思いに駆られた「西郷どん」最終回でした。

2019年度松竹歌舞伎会の特別会員にランクアップ!〜ランクアップに掛かるコスト分析〜

2018年の歌舞伎座は、高麗屋三代同時襲名の華やかな舞台で始まりました。年初から精力的に観劇した甲斐あって、来年(2019年度)は松竹歌舞伎会の特別会員に昇格することになりました。数日前届いたお知らせで特別会員登録を確認できました。一般会員にはこうしたお知らせはありません。お知らせとともに記念品として特製スケジュール帳を受け取って、ささやかな幸福感に浸っているところです。

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特別会員の登録条件は年間14ポイントを貯めること。1公演につき1ポイントが付与されますが、同一公演で家族や友人のために複数枚購入してもあくまで1カウントです。従って、特別会員になるには、一年間にひとりで最低14公演に足を運ぶ必要があります。ただ、歌舞伎座だけでなく松竹傘下の南座(京都)や新橋演舞場での公演も対象になります。複数の劇場が利用できない地方在住者の場合、14ポイントをゲットするのは決して容易ではありません。

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歌舞伎ファンが特別会員やその上のゴールド会員をめざす唯一つの理由は、非会員より3日、一般会員より1日早くチケットの手配ができるからです。高麗屋三代同時襲名のような大名跡の襲名披露公演があるときは、桟敷席はもとよりトチリ席など前方良席は激しい争奪戦の対象となります。

特別会員の最低条件14ポイントをクリアするためには、どれくらいの金銭的・時間的コストがかかるのでしょうか。各公演すべてを歌舞伎座の一等席で観劇すると、年間約25万円程度掛かります。一番安い三階B席@4000円であれば年間56000円也。いずれにせよ、人気のある公演だけでなく、玄人好みの渋い公演や他の劇場(コクーン歌舞伎など)にも足繁く通ってポイントを積み上げないと、なかなか特別会員にはなれません。ゴールド会員ともなると、歌舞伎座の昼と夜の公演を年間通してすべて観るという勘定になります。次に時間的コストについて触れておきます。歌舞伎の観劇は幕間も入れると都合4時間は見ておく必要があります。往復交通機関による移動時間も加味すると。14ポイントの観劇に必要な時間は80時間〜100時間くらいになるのではないでしょうか。

松竹歌舞伎会のランクアップには相応のお金と時間を投資しなければならないことがお分り頂けたでしょうか。めでたく特別会員なっても、その有効期間は1年間。近い将来、海老蔵の「十三代目市川團十郎」や勸玄君の「八代目市川新之助」の襲名披露を良席で観ようとすれば、歌舞伎ファンは不断の努力を惜しんではなりません。来年1月に開催される歌舞伎座の初春大歌舞伎や新橋演舞場の初春歌舞伎公演予約は12月スタート、2020年度のポイントレースはもう始まっているのです。

「武四郎涅槃図」の世界

世田谷区岡本2丁目にある静嘉堂文庫美術館を久しぶりに訪れました。国宝天目茶碗三点の最高峰稲葉天目を所蔵することでつとに知られる美術館です。なんと言っても立地が素晴らしい。切り立った国分寺崖線の一画、岡本静嘉堂緑地にあって、戦後は手つかずの自然が維持されたせいか、取り巻く周辺環境は申し分ありません。丘陵の豊かな緑と住民には些か不便な急坂がいつ訪れても新鮮に感じられます。

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今回は北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の生誕200年記念展を鑑賞してきました。2013年以来の武四郎展鑑賞です。静嘉堂文庫は膨大な古典籍や古美術品を所蔵する専門図書館として有名ですが、総数900点に及ぶ松浦武四郎旧蔵コレクションも所蔵しています。今回の展示資料の多くは、静嘉堂文庫自慢の古美術品とは必ずしも似つかわしくない考古遺物の類で、正直、違和感を覚えます。コレクションの調査にあたった静嘉堂文庫の司書の方によれば、収蔵に至った詳しい経緯は不明だそうです。さりながら、岩崎彌之助(写真:胸像)の私邸を手掛けた大工棟梁柏木貨一郎が武四郎とも親交があり、その縁で彌之助が一括で買い取ったと考えても不合理ではありません。

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13年間に6回も蝦夷地にわたり、アイヌ人と深く親しく交わり、現在の北海道だけではなく樺太北方四島に関する膨大な著書を遺した松浦武四郎の旧蔵コレクションに目をつけた三菱財閥第二代総帥彌之助の慧眼や恐るべしです。

松浦武四郎記念館(松坂市)が所蔵する「武四郎涅槃図」に登場する多彩な古物の実物を鑑賞できたのが今回の一番の収穫でした。武四郎と生前、深い親交のあった河鍋暁斎(1831〜89)に5年の歳月をかけて描かせたという「武四郎涅槃図」、その奇想天外な発想には脱帽です。さながら当世流行りの終活ではありませんか。自分が手元で愛で慈しんだ石仏、地蔵菩薩立像、西行法師坐像などなど、大好きなものに囲まれて死地を迎えたいという願いを涅槃図で生前に実現してしまう松浦武四郎の稚気、愛すべしです。完成した時期は全国から古材を集めて拵えた書斎「一畳敷」が完成した年と一致します。

涅槃図は「北海道人樹下午睡図」とも呼ばれ、河鍋暁斎の代表作に数えられ、重文に指定されています。今年は、涅槃会で京都三大涅槃図を観たばかり。会場では残念ながら「武四郎涅槃図」は複製だったので、いつか、松阪の記念館を訪れて、オリジナルを拝もうと思っています。

フランス人にたぎる革命の血潮〜マクロン政権への不満〜

今月1日、クリスマスシーズンを迎えたパリ、しかも観光名所の凱旋門周辺で、マクロン政権に対する大規模な抗議デモが行われ、数百名の逮捕者が出たと報じられました。直接のきっかけは燃料税の引き上げだったようですが、これに限らずマクロン政権への様々な不満が一気に市民の抗議行動へと駆り立てたのだと見られています。結局、現政権は燎原の火の如く全国に広がりかねないデモの鎮静化を図ろうと、燃料税の引き上げを一時的に凍結する措置を講じました。

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文化芸術の都市パリとデモという組み合わせに違和感を覚える人は多いのではないでしょうか。かつて、日本にも政治的に熱い時代が存在しました。特に、60年代から70年代にかけて、安保や三里塚闘争をめぐって日本中に拡散した過激な学生運動や抗議活動は今もなお語り継がれています。しかし、浅間山荘事件以降、急速に学生運動の勢いが萎んで為政者にとって好都合な状況が生まれて久しいのです。結果、今や、政治的無関心層、無党派層が圧倒的多数派となって、日本人は政治的に去勢されてしまった感さえあります。日本人という民族には政治的活動や意見表明を持続するDNAが欠けているようにも思えます。

これに対して、フランス人は政治的意見表明をすることを躊躇わないと言われています。フランス革命の嚆矢は1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃。フランスの三色旗の青色が意味するのは自由、その自由や権利を血で血を洗って市民が獲得してきた経験値は、脈々と現代のフランス人に受け継がれているように思います。1968年5月に起こった「5月革命」から50年の節目の年に起きた今回の騒動も、決して偶然ではないような気がします。しかも、大学制度改革に対する不満もマクロン政権不信の火種であり、「5月革命」との近似性が見いだせます。これまでバカロレアさえ通れば、高校時代の成績やバカロレアの点数にかかわらず、アルゴリズム計算に基づき、ある意味、平等な選抜が行われていたフランスの大学入試制度は、今年1月から「パルクールシュップ」が施行されて一変。内申書や試験成績も加味され、人気学部へ進学しようとすると厳しい選抜プロセスが待ち構えています。ある意味、三色旗のもうひとつのカラー白が意味する平等、教育機会の平等が危機に直面しているともいえます。政治的な不満が募れば、SNSによる口コミなんて穏便な手段に頼らず、伝統的な示威行動も辞さないフランス人には、今も革命の血潮がたぎっているのでしょう。

ラ フランス VS ル レクチェ 食べ比べ

めったにお目にかからない幻の洋梨ル レクチェが近所のスーパーの店頭に並んだので、ラ フランスと食べ比べをしてみることに。

「西洋梨の貴婦人」と称されるル レクチェは明治期にフランスから導入された西洋梨。栽培が難しいので今やフランスでは生産されておらず、日本では新潟県の生産農家が熱心に普及に努めているようです。スーパーで購入したル レクチェも新潟産でした。

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まずは、外見の違いを整理してみることにします。ラ フランスは女性名詞でル レクチェは男性名詞……レクチェは17世紀の果樹園芸家の名前に由来するようですね。

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(色) ラ フランスは黄緑色、ル レクチェは鮮やかな山吹色をしています。
(香り)ル レクチェの方が甘く芳醇な香りがします。
(大きさ)ほぼ同じ大きさ、大きいものだと330gくらいあるそうです。

ル レクチェも収穫したては黄緑色をしていて、1ヶ月ほど保温室で寝かせる「追熟」というプロセスを経て、きれいな黄金色に変身するそうです。出荷時は黄金色になっています。あとは食べどきがいつかということですね。食べどきの目安は、甘い香りが漂いはじめ、手に持つと柔らかい弾力が感じられるようになったらOKです。肝心の味覚はというと、ル レクチェの方が酸味が強く、ラ フランスより柔らかい食感で桃に近い印象でした。味は甲乙つけがたいと思います。サラダにして、凝縮した酸味とシャッキとした食感のアメーラトマトと混ぜると美味しさが際立つように思います。12月が最盛期のル レクチェ、しばらく旬の味覚が楽しめそうです。

国立新美術館のアフターはラ オリーバで決まり

ときどき、ナイトミュージアムに出かけたくなります。黄昏どきに入場して閉館時刻までじっくりアートを鑑賞する時間は、何物にも代え難い贅沢なひとときだからです。退館して夜空を見上げれば、静寂のなか幻想的な月明かりに出会えることも。

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先月末の国立新美術館が まさにそうでした。美術館の門扉あたりから眺める六本木ヒルズを背景にした夜景も美しく思わず立ち止まってしまいました。国立新美術館は金曜日と土曜日に限って20:00まで開館していますから、仕事帰りに立ち寄るのがオシャレですね。

空腹は温かいコーヒーでしばらく誤魔化して、ディナーは美術館のあとで。東山魁夷展を観た後向かったのは、徒歩数分の場所にあるスペイン食堂「ラ オリーバ」。スペースはさほど広くないので金曜日の夜は予約がマストです。スタッフの丁寧な応対には好感がもてます。サービス全般が行き届いている上、お食事もドリンクもリーズナブルな価格で提供されます。

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この日の食前酒はCAVA、前菜にはハモンイベリコベジョータを注文。骨付き原木からスライスしてくれます。パエリア(イカスミもあります)は時間が掛かるので最初に注文しておきましょう。あとは定番、トルティーヤとアヒージョあたりがおススメです。ドリンクのセカンドはサングリアを注文しました。外国人もよく見かけますし、女性が多いのもお店の評判がいい証拠です。なにより、外苑東通りから少し小道に入った立地にありながら、コスパがずば抜けています。外国人ゲストの後記口コミでも推奨されているイベリコ豚のローストも次回挑戦してみたいですね。

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We had very good dinner at La Oliva. Spanish taste, good Spanish wine and a nice environment. We recommend Spain iberico loin grilled! It was great. A place to go again.

生誕110年東山魁夷展@国立新美術館

11/30(金)は国立新美術館の夜間開館日。この日は夕方から六本木に移動し、サントリー美術館で「扇の国、日本展」を観て、その足で国立新美術館に向かいました。久しぶりの美術展のハシゴ、両展覧会とも出品数が比較的少なかったので、じっくり鑑賞することができました。

会期終了日まで残り3日と迫った西端110年東山魁夷展。18:00に入場、入場待ちこそありませんでしたが、館内はかなり混雑していました。かつての六本木はどちらかといえば雑然とした印象が強くて敬遠気味のエリアでした。ところが、六本木ヒルズ(2003年)に続いて、東京ミッドタウン(2007年)、国立新美術館(2007年)が相次いで完成すると、街並みが一変、青山霊園や乃木坂周辺景観との一体感が生まれ、都内でも足繁く通うお気に入りエリアとなりました。なかでも、昨年10周年を迎えた六本木エリアのランドマーク国立新美術館は収蔵品を持たないユニークな美術館として、時を重ねるごとに記憶に残る展覧会の開催が増えてきた印象です。

今回の東山魁夷展もそのひとつです。そのハイライトは何と言っても奈良・唐招提寺御影堂の障壁画。中学生の頃、 NHKのドキュメンタリー番組で障壁画制作過程を見て以来、一度現地を訪れ鑑賞したい思い続けてきた東山画伯の畢生の大作です。国宝鑑真和上坐像や障壁画の特別拝観は唐招提寺開山の鑑真大和上の命日前後だったはず。その命日がたまたま自分の誕生日だったので記銘しています。

6回目の渡海でようやく日本の地に降り立った鑑真大和上。大和上は5回目の渡海で両眼を失明していますから、日本の風景をその眼で確かめることはできませんでした。鑑真大和上が見ることの叶わなかった原風景を障壁画に蘇らせようと、東山魁夷は日本全国の海山を旅します。2000枚を超えるスケッチを描いたそうです。63歳で障壁画制作を引き受け、小下図から中・大下図、実物大下絵まで描いて周到な準備を重ね、10年の歳月をかけて完成させたという障壁画の全作品の再現展示は圧巻でした。まさか、東京でお目にかかれるとは思いも寄りませんでした。特に、水墨画の手法で鑑真大和上の故郷中国の山水を描いた第2期障壁画に惹かれました。風になびく柳と大胆な余白が印象的な「揚州薫風」や「桂林月宵」からは、障壁画制作という一大画業に心血を注いだ東山画伯の鎮魂の祈りが伝わってきます。

障壁画の再現展示を過ぎると、長野県信濃美術館東山魁夷館(谷口吉生設計)所蔵の晩年の作品群が展示されていました。出口には、「白い馬の見える風景」シリーズの代表作、「緑響く」の大パネルがお出迎え。いっとき、シャープの液晶テレビAQUOSのCMで有名になりましたね。たまたま今秋、「緑響く」のモデルとなった御射鹿池(みしゃがいけ)(写真下)を訪れたばかりだったので、新緑の景色も見てみたくなりました。この池は農業用のため池で、魚が棲めない強酸性のため、酸性を好むチャツボミゴケが繁茂して水面に映る景色が青緑に輝き、晩秋ともなれば紅葉が映えるというわけです。この絵がパリの個展で行方不明になって、画伯が再制作したものだとは知りませんでした。

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戦中戦争直後にかけがえのない肉親や兄弟を喪うという絶望の時期に、一縷の希望を託した有名な「道」(1950年作・青森県種差海岸)を描いて、東山魁夷は地歩を着実に固め、やがて国民的画家と呼ばれる偉大な存在へと邁進していきます。個人的には、欧州の街並みや京都の風景を描いた作品よりも、寧ろ、千葉の鹿野山周辺を描いたという第3回日展で特選に輝いた「残照」(1947)や青緑の樹林帯の中心に注ぐ滝を描いた「青響」(1960)といった自然をテーマにした初期の作品群に魅力を感じます。若い自分から大作を手掛けてきた東山魁夷画伯、その優れた画業を回顧する意味で、唐招提寺御影堂障壁画を再現展示させた生誕110年展覧会は実に有意義な企画でした。