生誕110年東山魁夷展@国立新美術館

11/30(金)は国立新美術館の夜間開館日。この日は夕方から六本木に移動し、サントリー美術館で「扇の国、日本展」を観て、その足で国立新美術館に向かいました。久しぶりの美術展のハシゴ、両展覧会とも出品数が比較的少なかったので、じっくり鑑賞することができました。

会期終了日まで残り3日と迫った西端110年東山魁夷展。18:00に入場、入場待ちこそありませんでしたが、館内はかなり混雑していました。かつての六本木はどちらかといえば雑然とした印象が強くて敬遠気味のエリアでした。ところが、六本木ヒルズ(2003年)に続いて、東京ミッドタウン(2007年)、国立新美術館(2007年)が相次いで完成すると、街並みが一変、青山霊園や乃木坂周辺景観との一体感が生まれ、都内でも足繁く通うお気に入りエリアとなりました。なかでも、昨年10周年を迎えた六本木エリアのランドマーク国立新美術館は収蔵品を持たないユニークな美術館として、時を重ねるごとに記憶に残る展覧会の開催が増えてきた印象です。

今回の東山魁夷展もそのひとつです。そのハイライトは何と言っても奈良・唐招提寺御影堂の障壁画。中学生の頃、 NHKのドキュメンタリー番組で障壁画制作過程を見て以来、一度現地を訪れ鑑賞したい思い続けてきた東山画伯の畢生の大作です。国宝鑑真和上坐像や障壁画の特別拝観は唐招提寺開山の鑑真大和上の命日前後だったはず。その命日がたまたま自分の誕生日だったので記銘しています。

6回目の渡海でようやく日本の地に降り立った鑑真大和上。大和上は5回目の渡海で両眼を失明していますから、日本の風景をその眼で確かめることはできませんでした。鑑真大和上が見ることの叶わなかった原風景を障壁画に蘇らせようと、東山魁夷は日本全国の海山を旅します。2000枚を超えるスケッチを描いたそうです。63歳で障壁画制作を引き受け、小下図から中・大下図、実物大下絵まで描いて周到な準備を重ね、10年の歳月をかけて完成させたという障壁画の全作品の再現展示は圧巻でした。まさか、東京でお目にかかれるとは思いも寄りませんでした。特に、水墨画の手法で鑑真大和上の故郷中国の山水を描いた第2期障壁画に惹かれました。風になびく柳と大胆な余白が印象的な「揚州薫風」や「桂林月宵」からは、障壁画制作という一大画業に心血を注いだ東山画伯の鎮魂の祈りが伝わってきます。

障壁画の再現展示を過ぎると、長野県信濃美術館東山魁夷館(谷口吉生設計)所蔵の晩年の作品群が展示されていました。出口には、「白い馬の見える風景」シリーズの代表作、「緑響く」の大パネルがお出迎え。いっとき、シャープの液晶テレビAQUOSのCMで有名になりましたね。たまたま今秋、「緑響く」のモデルとなった御射鹿池(みしゃがいけ)(写真下)を訪れたばかりだったので、新緑の景色も見てみたくなりました。この池は農業用のため池で、魚が棲めない強酸性のため、酸性を好むチャツボミゴケが繁茂して水面に映る景色が青緑に輝き、晩秋ともなれば紅葉が映えるというわけです。この絵がパリの個展で行方不明になって、画伯が再制作したものだとは知りませんでした。

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戦中戦争直後にかけがえのない肉親や兄弟を喪うという絶望の時期に、一縷の希望を託した有名な「道」(1950年作・青森県種差海岸)を描いて、東山魁夷は地歩を着実に固め、やがて国民的画家と呼ばれる偉大な存在へと邁進していきます。個人的には、欧州の街並みや京都の風景を描いた作品よりも、寧ろ、千葉の鹿野山周辺を描いたという第3回日展で特選に輝いた「残照」(1947)や青緑の樹林帯の中心に注ぐ滝を描いた「青響」(1960)といった自然をテーマにした初期の作品群に魅力を感じます。若い自分から大作を手掛けてきた東山魁夷画伯、その優れた画業を回顧する意味で、唐招提寺御影堂障壁画を再現展示させた生誕110年展覧会は実に有意義な企画でした。