今やセダンは絶滅危惧種なのか?〜クルマが「ステータスシンボル」の時代は終わった〜

頻繁に自家用車を乗り換える性分ではないので、平均すると1台当たり5年は乗っている計算です。今年は車検の年ということもあり、4月に念願のSUV(GLA35)に乗り換えたところです。この数年、自家用車で登山やトレッキングに出掛ける度に、高速道路を走るセダンがめっきり少なくなったと感じ、セダンを山裾に駐車する際は気恥ずかしさを覚えるようになりました。一般道でも目立つのはワンボックスとSUVです。

元々ファミリーカーの代表格4ドアセダンが嫌でクーペ(メルセデスCLK)を乗り継いできたのですが、クーペも時代遅れのように感じています。セダンにせよ、クーペににせよ走っていて一番癪に触るのは車高が低いことです。信号待ちで停車している時、見下ろされると大いに気分を害します。Google検索すると、セダンの共起語に<ダサい>が登場します。

2020年度の新車販売台数ランキングを見ると、セダン売上が低迷していることが顕著に看て取れます。セダンだけのモデルでトップ50にランクインしているのは32位のトヨタ「クラウン」と45位の同「カムリ」だけなのです。トップ50のうち20台がSUV又はSUVを含むラインアップという現実は象徴的ではありませんか。かつてトヨタの売れ筋モデルだった「マークII」(マークX含む)はひっそりと2019年12月に生産を終了しています。昨年11月には、クラウン現行モデルを以て販売終了という衝撃的な内容の報道がありました。真偽の程は定かではありませんが、トヨタと言えばフラッグシップモデル「クラウン」(写真下)という時代が終焉を迎えていることは明らかです。

なぜセダンが廃れSUVが台頭してきたのか?一番大きな要因は<クルマがステータス>だった時代をセダンが引きずっているからなのでしょう。トヨタであれば、カローラからスタートしてコロナに乗り換えいつかはクラウンに乗りたいという価値序列がセダンから染み付いて離れません。セダンに乗っていること自体、クルマが「ステータスシンボル」だった時代を体現しているようで何とも格好が悪いのです。セダン=「ダサい」は、あながち的外れの形容ではなさそうです。

マーケティングでは、共通のニーズを有する顧客層を「セグメント」と呼んでいます。クルマの場合、車両寸法や全長、価格、イメージ、装備などを複数要件を勘案して、AセグメントからEセグメントまで細分化されているのです。セグメンテーション自体が価値観が多様化する時代と逆行しつつあるのです。

トヨタ同様、メルセデスもSクラスを頂点にE、C、B、Aクラスと下るに従い、価格も車両サイズも小さくなっていきます。ところが、SUVの場合、因習とも言えるこうした価値序列体系から解放(逸脱)されており、主体的にクルマを選びとるという態度がより鮮明になるような気がします。自分のライフスタイルや価値観に合ったクルマを選ぶと言い換えてもいいのかも知れません。それは、オフィス街でスーツ姿のサラリーマンやOLの姿が少数派に転落する軌跡や社用車文化の衰退とも奇妙に符合します。

2010年以降、世界的なブームを巻き起こしたクロスオーバーSUVは、一時的なトレンドではなく、謂わば終身雇用制を前提にした年功序列に象徴される窮屈極まりない旧い社会体制へのカウンターパンチの連打のように思えてなりません。コロナ禍にあって、ポルシェ「カイエン」をはじめ輸入車SUV販売は快調そのものです。英国の古き良き伝統を継承するベントレーSUV「ベンティガ」(写真上)が記録的な販売台数に達しているのも頷けます。Eクラスが売れないと嘆くメルセデスのディーラー担当者に同情しつつも、レッドリスト入りして久しいセダン復権の道は遠くて険しいとつくづく思うのです。