村上肥出夫と長谷川利行の共通点

長良川画廊東京ギャラリーで開催中の村上肥出夫展(~4/15まで)に足を運びました。過日、画廊主のO氏から頂戴した図録を見て以来、村上肥出夫の絵に興味を掻き立てられています。

彫刻家本郷新に才能を見い出された村上肥出夫(1933-2018)は、1963(昭和38)年に新作150点を引っ提げ銀座松坂屋で大個展を開催し、一躍、画壇の寵児となったのです。当時の週刊誌を見るとその盛況ぶりがよく分かります。無名青年画家の個展にエールを送ったのは、林武や東郷青児を始めとする錚々たる顔ぶれの画家たちでした。村上肥出夫を高く評価したのは、画壇に留まらず、文豪川端康成石川達三らでもあったのです。30代全盛期の作品を見れば、誰しも、大胆な構図と厚塗りされた艶やかな絵の具の質感に圧倒されてしまうのではないでしょうか。川端康成自裁したとき、仕事部屋に残されていた油彩は、村上肥出夫の「キャナル・グランデ」(写真下)でした。村上肥出夫と交流を重ねた川端康成は、1968年(昭和43年)の個展に寄稿して「異常な才能と感受性の絵。豊烈哀号の心情を切々と訴へて人の胸に通う」と讃えています。順調に推移するはずだった画業は、岐阜へ帰郷後、次第に翳りを帯びていきます。1997年(平成9年)に岐阜県益田郡萩原町の自宅アトリエが全焼してしまいます。爾来、精神に変調を来した村上肥出夫は、療養生活を余儀なくされ、2018年7月11日に波乱に満ちたその生涯を閉じたのでした。

村上肥出夫の大胆で自由闊達な筆遣いと豊饒なマチエールはヴァン・ゴッホに通じます。「日本のゴッホ」と呼ばれた長谷川利行(1891-1940)と村上肥出夫にはずいぶん共通点があります。ふたりとも父親は警察官、独学で絵を学び、その日暮らしに近い生活を営みながら、路上や酒場で絵を売って生計の足しにしていた点は計ったかのように符合します。長谷川利行は、やがて酒で身を滅ぼし、三河島の路上で行き倒れ、運ばれた養育院でほどなく49歳の生涯を終えました。長谷川利行の場合は、死後数十年経ってから再評価の機運が高まり、多くの公立美術館で回顧展が開催されています。

ふたりの絵を見比べた場合、村上肥出夫の絵により才能の耀きを感じるのは自分だけでしょうか。初期の暗い色調の油彩にこそ希望の光が力強く宿っているようにも見えます。遊学先のパリやイタリア・ベニスで描かれた鮮やかな風景画からは新境地を開拓する気概が伝わってきます。画壇の巨匠が絶賛した過去は決してフロックではなかったのだと思えてなりません。残念なことに忘れられた存在となりつつある村上肥出夫の画業を今一度振り返る意味でも、そして再評価の契機に繋がるような大規模な回顧展を、歿後10年の節目あたりで是非見てみたいものです。

(参考)http://www.nagaragawagarou.com/exhibitions/murakami-hideo.html