ブックレビュー:『上級国民/下級国民』は書名こそセンセーショナルだが・・・

橘玲さんは、かねてより、サラリーマン人生の危うさに警鐘を鳴らしてきた論客のひとりです。本書はタイトルこそセンセーショナルで、「上級国民」は事実上の「一夫多妻」なのだと指摘して興味をそそろうとしているかに見えますが、内実は至極真っ当な現代社会論です。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などの代表作の延長線上にある作品だと言い切れます。「上級」・「下級」という聞き慣れない形容はネットスラングに端を発したものだそうです。以前からある上流・下流という階層使い分けとはニュアンスが異なり、「専門家」・「非専門家」という区分に近いようです。幸福を手に入れられるのは「上級国民」だけだと主張する本書は、ある意味、過激です。

本書は、バブル崩壊以降、日本の労働市場に起きた様々な現象を分かり易く分析してみせます。例えば、GDP成長率の急落や、1990年代半ばを起点として始まった若者の<フリーター→パラサイト・シングル→ひきこもり>という下降ストリームを取り上げ、明快にその原因や要因を論じています。2010年以降になると、「8050問題」が顕在化、やがて「9060問題」が本格化するのでしょう。バブル崩壊後は、いったん社会のレールから弾き飛ばされると再び軌道に戻れない所謂「這い上がれない時代」になったものだと、当時、雇用環境の著しく不安定な外資系金融会社に身を置いていた自分も、はっきりと危うい時代の到来を認識していました。

平成が「団塊の世代の雇用を守る」ための30年であったとすれば、令和の前半は確実に「団塊の世代の年金を守る」ための20年になるだろうと、本書は悲観的予測を提示します。無能な官僚が実効性のある社会保障改革を先送りして対症療法を繰り返した結果、日本は着実に「下級国民」が溢れる貧乏くさい社会になるという予測は、もはや驚くに値しません。むしろ、同時進行する「国家破産」というシナリオの下、実際に社会生活の現場で何が起こるかを想像してみると、空恐ろしくなります。島国なので「難民化」もピンとはきませんが、生活困窮者が暴動を起こしたり、略奪行為に及ぶ可能性も否定できません。あくまで個人的な見解ですが、都市インフラ(上下水道や計画道路整備、或いはゴミ収集・処理など)が崩壊し、かつて被差別部落が存在したように階層に応じて居住地域が分化していくような分断社会を予見してしまいます。現に、米国では知識層の集まる「スーパーZIP」(例:NYやワシントンDC)という居住地区が誕生する一方、下流階級が集まる吹き溜まり地域が拡大しています。

「モテ」と「非モテ」の分断と題するPart2では、少し視点が変わり性別の違いにフォーカスしています。なるほどその通りと頷かされたのは次の点です。

・女は男より幸福度が高い(エロス資本を失った壮年期においても)←女性の方がつながりを作るのが上手く、男性は孤独になりやすく、年をとると友達もいなくなって孤立してしまいがちです。

Part3では、日本だけではなく世界中で蔓延している「上級/下級」の分断を取り上げています。トランプ政権誕生もブレグジットを決めた英国も、「知識社会化」・「リベラル化」・「グローバル化」への反動だと言います。ポピュリズムはすなわち「下級国民による知識社会への抵抗運動」に他なりません。「経済格差」は「知能の格差」に他ならないという残酷な現実は受け容れるしかないでしょう。その「経済格差」がなくなれば、より激しい分断の世界「性愛の格差」がはっきり姿を現すと橘さんは主張しますが、これはさすがに絵空事でしょう。

あとがきで処方箋が提示されていますが、著者の言うように、万人に有効なものではありません。ただ、はっきり言えることは、大学で教授されることなどにさほどの価値はなく、むしろプロミング技術を身に着けたり、IT社会で「評判資本」をマネタイズしていくような能力を獲得する方が遥かに有益だということです。世界の近未来予想図は、きわめて視界不良でかぎりなく翳りを帯びたものだということを肝に銘じて、生きるしかありません。

上級国民/下級国民 (小学館新書)

上級国民/下級国民 (小学館新書)