18日、都美で開催中のボッティチェリ展の入場者が10万人を超えたと知って、今日、上野の森に出掛けました。9:30開場の少し前に現地に着くとすでに戸外に長蛇の列ができていましたが、会場内は思ったほどの混雑もなく、じっくりイタリアの至宝を鑑賞することが出来ました。
今回の展覧会、ボッティチェリの画業を一望する大回顧展と称するだけあって、20点以上ものボッティチェリ作品がイタリアはもとより世界各地から集められたのだそうです。ボッティチェリ総作品数の約1/5が東京に集結した格好です。代表作のひとつ、『プリマヴェーラ』の来日こそ叶いませんでしたが、『東方三博士の礼拝』や『書物の聖母』(初来日)を拝むことができます。
イタリア・ルネッサンスの最盛期に、メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチ(会場には胸像がありました)の庇護を受けて数々の宗教画を遺したサンドロ・ボッティチェリ、実は本名ではありません。皮なめし職人の4人息子の末っ子として生まれ、兄貴のジョバンニが大食らいで大酒飲みだったことから、末っ子の彼にも「小さな樽」という意味のボッティチェッリというあだ名が付いてしまったのです。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi)、あだ名の方が日本人には馴染みやすいのは確かですね。会場の出口に、『東方三博士の礼拝』の右端に堂々と描かれたボッティチェリの肖像パネルが飾ってありました。
古今東西の傑作を見るにつけ、王侯貴族の文化が爛熟期を迎えた時にこそ偉大な芸術が成立するという皮肉な歴史的事実を再確認させられます。修道士サヴォナローラ(後に火刑に処せられます)がフィレンツェの腐敗を批判すると、ボッティチェリも神秘主義的な宗教画も手掛けるようになりますが、後世の評価は芳しくないようです。
油絵具というマテリアルが存在しなかったルネッサンス期、ボッティチェリの描いた宗教画は板に生卵を水で溶いたテンペラで描かれました。油絵と比べると、テンペラ画の色調は断然明るく描線が際立って見えます。ボッティチェリの死後も最高級の文化財として大切に継承されてきたという事情もさることながら、今回の展覧会ではテンペラ画の真価をとことん見せつけられた気がします。ボッティチェリが具体的にどのようにテンペラ画を作成したのか、展示のなかで一切解説がなかったのが少し残念でしたが・・・。
宗教画を読み解くのはキリスト教のバックボーンのない日本人には至難の業、そのせいで、我々はどうしてもイコンを観る前に解説を読んでしまいがちです。しかし、鑑賞態度としては如何なものでしょうか。やはり解説は後付けにして、無心に絵と対峙してみるべきだと思います。そして、絵画に描かれたザクロ(再生復活の象徴)や貝殻(永遠性を象徴)の意味するところを先ず自分なりに考えてみる方が愉しい気がします。