京都縦貫道で行く海の京都(2)〜「天橋立図」にも描かれた籠神社と成相寺〜

天橋立の絶景を目の前にすると、自然の造形に勝るものはないなぁと強く感じ入ってしまいます。「日本三景」をはじめ、三名園、三名城、三大仏、三大祭・・・wikiに日本三大一覧という頁があるのをご存知ですか。国民性でしょうか、日本人は何にでもランキングをつけたがりますね

古くからの景勝地、松島、天橋立、宮島がいつから「日本三景」と呼ばれるようになったのか気になって調べてみると、江戸時代初期、全国を行脚した儒学者林春斎林羅山の息子です)が著した『日本国事跡考』に三処奇観たりとその名が記されていました。

それより遥か以前に雪舟等楊が「天橋立図」(京都国立博物館所蔵)を描いていますから、景勝地としての天橋立の声価は室町時代後期には確立していたのでしょうか。写真機の存在しない時代に画僧雪舟が描いた「天橋立図」は、前回触れた「昇龍観」でも「飛龍観」でもない東側から捉えた独特の構図で「雪舟観」と呼ばれています。今回は足を運べませんでしたが、宮津市獅子崎に「天橋立雪舟観展望休憩所」が設置されています。

雪舟観」は山頂よりも700メートルも高い視点から描かれていて、細部に異同はあるものの、航空写真かと見紛うほどリアルです。雪舟の比類なき画力と想像力には感服するしかありません。右手に、ことさら目立つように朱で描かれているのが世野山成相寺(なりあいじ)です。西国三十三所第二十八番札所でもあります。傘松公園からは登山バスに乗って7分ほどかかります。訪れてみると、まだ山頂には残雪があって、古来から山岳宗教の修験場だったというのも頷けます。五重塔も平成になって復元されたということでした。



順番が逆になりましたが、雪舟の「天橋立図」に細部まで描き込まれている丹後国一宮の籠神社(このじんじゃ)も参拝しました。延喜式にも登場する由緒正しい式内社で、豊受大御神がこの地から伊勢神宮遷座したと伝えられ、元伊勢籠神社と呼ばれています。その証として、本殿欄干の擬宝珠に五行思想に由来する「五色の座玉(すえだま)」が設置されています。この「五色の座玉」があるのは伊勢神宮と籠神社だけなのです。写真撮影禁止のため、公開されている画像を添付しておきます。「唯一神明造り」も二社にのみ許された神社建築様式だとか・・・唯二だろうと突っ込みを入れたくなりますが、格式の高さはお分かり頂けるかと思います。