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「那智の滝」はご神体だった!

今年3月下旬、初めて紀伊半島の深奥にまで分け入って、念願の熊野詣を果たしました。自宅を4時に出発、最初の目的地「熊野速玉大社」に着いたのは11時過ぎでした。車の走行距離は539km、その日は白浜まで移動しましたから、延べ650kmを走った計算です。

熊野那智大社に近づくと生憎の雨。傘をさしての参詣となりました。社殿は467段の石段の上(標高約330m)にあって、夫須美神(ふすみのかみ)が御主神です。「熊野那智大社」のルーツは、「那智の滝」への自然信仰に遡るだけに、一帯にスピリチュアルな雰囲気が漂っています。御神木の「楠」の樹齢は800年、護摩木に家内安全と書いて、お胎内くぐりも体験しました。お隣には南紀最古の建築「青岸渡寺」(創建は4世紀にまで遡ります)の本堂(1590年に秀吉が再建)があって、ご本尊の如意輪観音は、インドから渡来した裸形上人が那智の滝壺で見つけたものと言われています。同寺は、西国33ヵ所観音霊場めぐりの一番札所でもあります。

本堂の後方には朱色の三重塔が聳え、那智の滝を臨む景色は実にピクチャレスク。雨天で狙った写真撮影は叶わず、写真はネットから拝借したものです。今回は山全体が烟ってこの絶景は拝めませんでしたが、却って、草木緑が潤っていい塩梅でした。決して負け惜しみではありません。

眼下にお茶屋さんが見える辺りまで来ると、那智の滝が見えてきました。石畳の急坂を下ると、飛瀧(ひろう)神社の鳥居があります。本殿はありません。眼前の滝を拝むことになります。「那智の滝」自体が御神体なのです。拝観料を払うと、お滝拝所舞台にまで進めます。滝の落ち口で三筋なって落下するところも確認できます。

白洲正子さんは、『西行』(昭和63年)のなかで「那智の滝は、滝そのものが御神体である。(中略)西行那智に籠っていたのに、滝については一言も語らず、その周辺のことしか歌っていないのは、神は礼拝するもので、触れてはならぬという信念に徹していたのであろうか」と述べています。落差133mの日本一の名瀑を前に敬虔の念が募り、言葉は要らないと感じたのでしょうか。西行の「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる」という歌に、当時の誰よりも神仏を崇拝していた西行の思いが込められていると白洲正子さんは言います。

6月25日の朝日新聞宗教学者山折哲雄さんが「風景にとどまらない信仰の滝」と題した文を寄せて、根津美術館所蔵「那智瀧図」(国宝・作者不詳)(唯一の垂迹画)に言及しています。ドゴール政権で文化相を歴任したアンドレ・マルローが「那智瀧図」に魅せられ、熊野山中に足を運び画家の視点を発見したというエピソードに触れ、マルローは滝が権現の化身であることに気づいていないと辛口のコメントも付け加えています。さはさりながら、キリスト教信者の多いフランス人に自然に霊が宿ると考える日本独特の宗教観に気づけというのは、少々無理があります。右上部の月はともかく、滝手前の拝殿の屋根も凝視しないと気づかないかも知れません。

紀伊半島そのほとんどが山。古来から自然を畏敬し、崇め、信仰を深めていった日本人にとって、熊野は、昔も今も、俗界と隔絶した聖域なのです。