今日10月5日が山崎豊子展の最終日。正午に丸の内ホテルで不動産業者と打ち合わせがあったので、その直前に会場の日本橋高島屋に立ち寄ることにしました。
展示内容が地味な文学展の最終日なので空いているかと思いきや、会場は中高年の女性で大賑わいでした。山崎豊子さんが亡くなって今年で3年が経ちますが、自分も含めて数多くの読者が今も作家山崎豊子に並々ならぬ関心を抱いている証左だと感じました。
中学生の頃、『白い巨塔』を手にして以来、彼女の長編小説を愛読してきました。たまたま海外赴任中に『大地の子』が出版され、涙なくして読み進められなかった記憶は今も鮮明です。代表作の殆どが壮大なスケールを以て紡ぎ出されるので、読者は瞬く間に作品世界の虜にされてしまいます。展示された創作ノート、取材ノート、取材写真、録音テープの山を見ると、作者が如何に心血を注いで作品を産み出したかが分かります。取材に訪れた国は17か国に及び、中国では胡耀邦主席と会談し、中国の官僚主義に苦言を呈して『大地の子』の取材許可を取り付けます。フランスの高級レストランのメニューの注釈、陸軍省の見取図、文化服装学院の出版物・・・などからは徹底した取材の跡が見て取れます。特に感銘したのは進行表でした。壮大な作品スケールの蔭に作者の緻密な計算が窺えます。
近年、再びテレビドラマ化された『不毛地帯』や『白い巨塔』を見るにつけ、これほど映像と親和性の高い小説を数多く世に送り出した山崎豊子は不世出の作家なのだと再認識させられます。小説世界の抜きん出た構想力は、駆け出しの新聞記者時代に培われていたことを知りました。直木賞受賞時に述べた植林小説を書きたいという決意は、その後、大きく結実します。そしてなにより、個人にとって、国家とは何か、戦争とは何かを問う小説を書き続けようとする信念は、生涯揺らぐことはありませんでした。山崎作品の抗い難い魅力の源泉はその信念に他なりません。
戦後、日本人が精神的に堕落し不毛な状況に陥っていることに警告を発し続けた山崎豊子さんの言葉を、我々は今一度反芻すべきときを迎えているように思います。