終活のススメ〜『葬式は、要らない』が売れる理由〜

かつて、オウム真理教を擁護したために勤務先の女子大を追われることになった島田裕巳さんの近著『葬式は、要らない』は葬式無用論を唱える実用本のように見えて実は立派な宗教入門書です。日本人の死生観をおさらいする上で大変参考になりました。タイトルの<終活>を見て<就活>の誤植ではないかと早合点された方もいるかも知れませんが間違いではありません。<終活>とは「終わりの活動」の略で人生のエンディングを自分らしく迎えるために生前から準備を始めることを意味します。もっと分かり易く言えば、死後を想定して遺言や葬儀、或いはお墓について考えることです。筆者の仲間内ではまだこの話題が口の端に上ったことはありませんので筆者のような<終活>積極派は同世代では完全なマイノリティです。しかし、映画『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞し国境を超えて支持された背後に縁起でもないとタブー視しがちな人の死やお葬式を見つめ直す気運の高まりを感じます。生前葬直葬家族葬、自然葬という新しい弔いの形が誕生しつつあるのもそうした趨勢を象徴しています。人が言葉をもたなかった時代、遠く離れた家族の間を、そして生者と死者の橋渡しをしたのは『おくりびと』にも登場した石文(いしぶみ)でした。特定の宗教に対する信仰がなかった古来から日本人には祖先崇拝のDeNAが刷り込まれていたに違いありません。くだんの島田さんは日本人がお墓参りに熱心なことを指して「お墓参り教」と名付けていますが、青山霊園への改葬を進めている筆者も「お墓参り教」の信者のひとりです。敬愛する白洲次郎が死の5年前に残したという有名な遺言、「一.葬式無用、一、戒名不用」も今風に云えば見事な「終活」ではありませんか。生前、次郎さんはお墓について一切言及されていませんが、兵庫県三田市(心月院)に妻正子さんが生きた足跡にと造られたお墓が存在します。死を考えることはより良く生きることに繋がります。これから少しずつ<人生の後半戦>を考えていこうと思います。

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

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