これからの弔いのあり方

去年のある日の忘年会のこと、なぜ改葬の話に及んだのか定かではありませんが、自分が田舎にあった父母の墓を青山霊園に移したことを話すと、同郷の後輩がいたく興味をそそられたようです。彼も生活の拠点がずっと東京で親亡きあとの娘さんのことを考え始めたからに違いありません。後輩もそろそろこれから弔いのあり方を考える時期を迎えたのかと、少し距離感が狭まったように感じました。

一方、田舎に残してきた老親の介護で月に一度帰郷を余儀なくされている丸の内勤務の同級生もいます。一人っ子の上に故郷に頼るべき親族もいないからでしょう。こうなるとまだ改葬のことを考える心のゆとりはないでしょう。

そもそもお墓や葬儀とは誰のためにあるのでしょうか。最近は大多数の人が口を揃えて<自分の葬式無用、お墓も要らない、散骨でも樹木葬でも構わない>と云います。子供に迷惑かけたくないと生前葬を執り行う人も増えてきました。つい最近では登山家の故田部井淳子さんも生前葬をしていますね。しかし、簡素であれ終活でお葬式代を工面し、近くにお墓もあれば、子供はあれこれ選択肢に迷うことはありません。

基本的に葬式やお墓は先に死んでいく親のためではなく子供のため(大切な人と言い換えてもいいいでしょう)にあるものだと考えます。我が家の場合、妻や自分の子供のことを考えての改葬だったということです。少子化の昨今、子供がひとりしかいなければ自動的にその子供が祭祀主宰者となります。祭祀主宰者とは「葬儀の喪主、法事の施主を務めた人、あるいは死亡届等を提出した人等、ご遺骨を守っていく立場にある人」を指します。私と妻がなくなると子供はまず葬儀をどうするか、火葬した後は遺骨をどうするかの判断に迫られます。よほど亡き親との関係が悪くない限り、子供は家族葬くらいはするでしょう。ところが、仮に先祖代々の墓が子供の生活拠点と離れた場所にある場合、納骨や墓参りに将来にわたって経済的にも時間的にも負担を抱えることになります。下手をすると田舎にある墓地の所在や管理方法を知らないということがあり得ます。

従って、子供あるいは孫の住む土地へあらかじめ改葬を済ましておけば子孫には便宜です。経験では、改葬後、家族で墓参をする機会がかなり増えました。都立霊園の場合は分骨を認めませんので、やや障害がありますが、民間霊園であれば改葬に際して分骨も柔軟に受け容れてくれる可能性があります。また、都立霊園の場合、子供にお墓の継承者がいなければ合同埋蔵施設に移して合祀できるのです。

先月、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓』の著書もある第一生命経済研究所主席研究員の小谷みどりさんが、朝日新聞紙面でこんな風に述べているのが印象的でした。まったく同感です。

<日本人はふたつの死生観を持っています。「死んだら無になる」と考えるのは。自分が死んだ場合。大切な人が死んでも無になるとは思いません。「千の風になって」でも、風になって見守ってくれると考える。宗教を信じない、信仰はないと言いながら、大切な人が無になるとは思っていません。>(2018年1月20日朝日新聞朝刊)


〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 (岩波新書)

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