映画『ヒトラーのための虐殺会議』(2023)で知る「ヴァンゼー会議」の恐るべき全容

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが主導したホロコーストの計画は、ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で開かれた所謂「ヴァンゼー会議」によってその方向性が決定づけられました。たった90分のこの会議が、やがて欧州を震撼させることになるホロコーストの発端だったのです。1942年1月20日に密室で開催された「ヴァンゼー会議」の出席者はわずか15名。そこに書記の女性がひとり加わり、議長は国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒが務めます。映画を視聴してから気づいたのですが、オフィシャルサイトに出席者の座席表(下記・鳥瞰図)が掲載されています。親衛隊高官、ナチ党局長クラス、省庁の次官級幹部らが出席しての秘密会議ですから、出席者の出身母体や肩書をあらかじめ頭に入れて観ると便宜です。

映画の原題”DIE WANNSEEKONFERENZ”(「ヴァンゼー会議」)が日本公開時に『ヒトラーのための虐殺会議』と改題されたのは、「ヴァンゼー会議」自体が日本人に殆ど知られていないからでしょう。映画を観ると、原題や英語タイトル(”The Conference")が至ってシンプルな理由に合点がいきます。密室会議の議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」、討議の対象は身の毛もよだつような内容にもかかわらず、会議は事の実相に微塵も触れることなく淡々と進んでいきます。会議の主催者ラインハルト・ハイドリヒに理詰めで反駁するのは、内務省次官にして法律家のヴィルヘルム・シュトゥッカートだけです。内務次官がこだわるのは自らが起草・法制化に努めた反ユダヤ人主義法「ニュルンベルク法」の遵守であり、ユダヤ人の定義を拡大解釈しようとするナチス高官を徹底的に論破します。しかし、そこにあるのは形式主義や省庁間や軍部の縄張り意識だけで、人道主義や人倫が顧みられる刹那は一切ありません。会議が小休止する場面でヴァンゼー湖畔が映し出されますが、どんよりとした鈍色の空が先行きを暗示するようで、とても不気味に感じられます。終始、無表情な出席者の様子からは、600万人のユダヤ人が虐殺される悲劇を微塵も想像することは出来ません。戦場は人から感情や思考力を奪うと言われますが、ドイツ国民から熱狂的に支持されたナチス・ドイツの異常性はこの会議に凝縮されています。


映画『ヒトラーのための虐殺会議』オフィシャルサイトより

ユダヤ人を根絶やしにするという前代未聞の計画に対して、誰ひとり異議を唱えることなく、会議は予定どおり終了します。

本映画は、アドルフ・アイヒマンが作成したといわれる議事録(「ヴァンゼー文書」)に基づいています。集団的陶酔をユーフォリアといいます。熱狂ほど恐ろしいことはありません。集団が思考停止するとき、人の狂気は現実のものとなります。「ヴァンゼー会議」は、人心が陥りやすいユーフォリアの究極の闇を静かに語って聞かせます。