週末、上映期限の迫った「アイヒマンを追え」を観ようとBunkamuraル・シネマに出掛けました。ドイツ映画賞において最多6部門で受賞を果たした話題作にもかかわらず、都内で上映館は2つしかありません・・・。ナチスドイツ降伏後のドイツ国内における戦争犯罪人の追及をテーマにした作品だけに、南京大虐殺をはじめとする戦争犯罪と正面から向き合わずに戦後70年余りを徒過してきた日本人こそ、観るべき映画ではないかと思います。
アイヒマンとは、ユダヤ人移送にあたって主導的役割を果たしたナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンのことです。戦後、アルゼンチンに逃れたアイヒマンは偽名(リカルド・クレメント)を騙って潜伏します。当時のアルゼンチン大統領ファーレルは親ナチのファシスト、副大統領ファン・ペロンもファシズムに傾倒していたため、アイヒマンやメンゲルをはじめ多くの元ナチ高官が匿われていました。フランコ政権下のスペインも逃亡先のひとつでした。
国外に逃れた戦争犯罪人の追及が、物理的な意味で困難を極めたことは想像に難くありません。映画の主人公は、国外に逃れたアイヒマンの行方を追うヘッセン州検事総長のフリッツ・バウアーです。ユダヤ系だったバウアー検事総長は北欧で10年以上亡命生活を送り、戦後、公職に復帰します。彼の存在がなければ、西ドイツ社会は司法を通じてホロコーストという現実に向き合わずに済んだのかも知れません。
ホロコーストを主導した元ナチス高官の断罪が進まなかったもうひとつの理由は、戦後の西ドイツ政財界で指導的立場にあった人々の多くがナチスに加担した触れられたくない過去を持っていたことです。連邦刑事局や情報機関までもが身内であるはずのバウアー検事長の動静を探り、陰に陽に捜査の妨害を企てます。ホロコーストをドイツ国内の司法で裁くことは、触れてはいけない社会のタブーにメスを入れることだったのです。バウアー検事長の鼻先で次々と起こる妨害工作に観客は義憤すら覚えます。
戦後も不都合な真実に目をそむけてきた日本とは対照的に、近年、ドイツ人が最も触れられたくない過去に真正面から向き合って、ホロコーストやナチスをテーマにした映画を次々と製作している点に敬服しています。1960年にアイヒマンはイスラエルの諜報機関モサドによって拘束されますが、背後でバウアー検事長が重要な役割を果たした事実は長きにわたって封印されてきました。そのため、バウアー検事総長の足跡はドイツ人社会においてさえあまり知られてこなかったそうです。
1973年生まれのラース・クラウメ監督は、ドイツ社会のもうひとつのタブー、同性愛を禁じた刑法175条に着目して、アイヒマン追及に検事総長と実在しない部下カール検事の人間関係を巧みに絡ませ物語を膨らませていきます。ともすれば増幅していまいそうな憎悪や復讐の感情を抑制した点に、この映画の魅力があるように思いました。