ブックレビュー:『アウシュビッツのタトゥー係』

昨年9月に出版された本書は、すでに50ヵ国以上で翻訳され世界的に注目を集めており、2020年の今年、BBCドラマ化が予定されています。原題は”The Tatooist of Auschwitz”、ロンドンで出版されました。著者ヘザー・モリスは、過酷な運命を生き抜いたルドウィグ・アイゼンバーグ氏から丹念に聴き取りを重ね、フィクションに仕立てて本書を世に送り出します。さりながら、著者は物語のなかの出来事はほぼすべて現実に起きたことだと述べています。

ブックタイトルのタトゥーは、平和な日本ではファッションタトゥー同様、何ら変哲のない言葉のひとつと受け止められがちですが、史実に詳しい方であれば、数ある強制収容所のなかでも被収容者に識別番号を刻んだのはアウシュビッツだけだということをご存知でしょう。入所時に身体を傷つけ一生拭い去ることのできない刻印を施すことがいかに残虐なことか、想像するだけで戦慄を覚えます。本書の各ページや章立てにあしらわれた入墨を思わせる数字は、読者にタトゥーへの意識を絶えず喚起します。

主人公ラリは、故郷のスロヴァキアからアウシュビッツに連行され、被収容者に入墨を施す仕事を与えられます。収容所で仕事を売ることは命を永らえることを意味します。彼をタトゥー係に誘ったぺパン(パリの経済学者)は、命の恩人でした。一方、労働力としてカウントされない弱者は次々と命を奪われていきます。ラリ自身も体調を崩して危機的状況を迎えますが、周囲に助けられ、救った男が代わりに死地へ赴きます。恩人ぺパンも忽然と姿を消してしまいます。ラリは見張り役のバレツキという若い親衛隊員と懇ろになり、上手く立ち回ることで命を繋ぎます。被収容者の宝飾品などの持ち物を密かに入手し、出入りの村民に渡して代わりに食料を受け取るという具合です。被収容者から憎まれるカポ同様、ある意味、被収容者のなかで特権的立場のタトゥー係もナチスの手下に違いありません。ラリは、自らの任務を遂行することに内心大きな葛藤を抱えています。

やがて、ラリはギタと名乗る女性と知り合い、恋に落ちます。ラリは、調達した食料品やチョコレートなどの嗜好品を仲間や女性に分け与え、ときには薬までも調達して発疹チフスに罹ったギタの命を救います。訳書の語り口が終始ソフトなために、読者はラリが監視の目をかい潜って外部の人間と接触したり物々交換をする場面で、さほどドギマギさせられることはありません。宙に浮いたような奇妙な感覚にさえ囚われます。ラリが危険を顧みずギタや仲間のために行動する場面においては、安らぎさえ覚えます。身体に刻まれた識別番号で奪われたはずの被収容者の人格や個性は、彼らに限って、仲間と苦楽をともにすることで却って輝きを増していきます。

ソ連軍の侵攻が顕著になるにつれ戦局は傾き、ラリは命からがらアウシュビッツを逃れ、故郷へ戻ります。両親は亡くなっていましたが、実の妹に続いて運命の人ギタと再会を果たします。エピローグはその後に待ち受ける運命にも触れています。

ラリとギタが生き延びた理由を考えたとき、真先に『夜と霧』の著者ヴィクトール・E・フランクルの「人生は決してあなたに絶望しない」という言葉を思い起こします。フランクルが引き裂かれた妻の姿を思い続けて生き抜いたように、ふたりは愛を育むことで、死の淵から生還しました。「ひとりを救うことは、世界を救うこと」だというラリの言葉に、狂気の時代だけではなく、分断の現代にこそ、耳を傾けるべきなのでしょう。

アウシュヴィッツのタトゥー係

アウシュヴィッツのタトゥー係