「K-19」 (2002年公開)の今更ながらの映画批評

2002年に公開された「K-19」を今頃になってWOWOWで鑑賞して、いろいろ感じることがあったのであらすじと共にご紹介しておきます。見損ねたのは公開された2002年に転職したため。振り返ると長期出張があったり仕事がテンパっていたりした年は、例外なく、プライベートが犠牲となっていい記憶が殆どありません・・・

本題に戻りますと、先ず、映画のタイトル「K-19」はソ連原子力潜水艦の名称です。原題は"K-19:The Widowmaker"、ウィドーメーカー(未亡人製造艦)という不名誉なニックネームの種明かしは後ほど致します。

この映画は、米ソ冷戦最中の1961年7月に実際に起きたK-19処女航海中の原子炉事故に基づいています。深刻な冷却水漏れ事故が起きた上に、無線システムが使用不能になって本部のあるモスクワと通信が途絶したために、多数の乗組員の命が奪われることになったのは史実のとおりです。進水式のとき、シャンパンの瓶を艦首にぶつけて割るという恒例の儀式で、瓶が割れなかったという逸話も然りです。この不吉な前兆はやがて避けがたい現実となっていきます。

ノンフィクションかと思いきや、艦内で次々と起きるトラブルや乗組員同士のいがみ合いはどうやら創作のようです。原潜艦長を演じるのはハリソン・フォード、乗組員全員が英語を喋ります。下士官ならいざ知らずロシア海軍高官をアメリカ人が演じるというのはやはり頂けません。ストーリーの出来栄えがそこそこいいだけに、くだんのキャスティングでその良さが減殺されているのは残念でなりません。


乗組員の信頼が厚いポレーニン艦長(リーアム・ニーソン)の上官に、突然、ヴォストリコフ(ハリソン・フォード)が任命されて着任します。ポレーニンが副艦長として同艦に残留することになったことから、ふたりの間に次第に軋轢が拡がっていきます。処女航海に臨んで、できる限り艦の性能と乗組員の技倆を見極めたいと過酷な訓練を強行するヴォストリコ艦長に、乗組員思いの副艦長ポレーニンがことあるごとに反発します。艦艇の限界とされる300メートルまで潜行したり、氷上に急浮上したりする度に乗組員の不安が募ります。そんな状況下、艦艇からのミサイル発射に成功し、萎えそうになっていた乗組員の士気は一気に回復します。

ところが、炉心の冷却装置にひび割れが生じて、原子炉の温度が急上昇し始めます。決死隊が結成され、二人一組が10分毎に補修工事に従事しますが、次々と被爆して斃れていきます。冒頭でK-19がウィドーメーカーと呼ばれた所以です。無線も故障して僚艦と連絡がつかず、ポレーニンは乗組員の命を最優先し米軍に救出を要請すべきだと主張しますが、ヴォストリコフ艦長に即座に却下されてしまいます。最悪のシナリオは、鼻先のNATO基地や米駆逐艦も巻き込んだソ連原潜の核爆発が、敵国アメリカの核による報復を招来してしまうこと。

結末は、ベルリンの壁が崩壊し米ソ間の冷戦が終わって次第に明らかになっていきます。登場人物の造型に無理があったり、艦長と副艦長の関係が変容していく場面が分かり辛かったりと難点も目につく映画ですが、国家の最高機密である原子力潜水艦のなかで原子炉事故のような不測の事態が起きると、国家元首ですら到底収拾できない危機が訪れるのだという教訓はキチンと伝わってきます。軍首脳部はおろか国家元首でさえコントロールの及ばない潜水艦という密室で起きた1961年の事故から、今も学ぶことは多いと考えます。

足元では、北朝鮮弾道ミサイルに核弾頭を装着した実験に成功したと発表、国際社会のいかなる牽制も一顧だにしない同国は世界の脅威と化しています。国内では、22年間でわずか250日しか稼働しなかった「もんじゅ」を廃炉とする方針を政府がようやく明らかにしました。投下した費用は1兆2千億円に達したといいますから、遅きに失した判断としかいいようがありません。大震災で想定外の全電源喪失によってメルトダウンした福島原発1〜3号機の現状はどうなっているのでしょうか。「K-19」でも上官が艦内の正確な線量を偽ろうとするシーンがあって、東日本大震災時の政府発表を思い出しました。

核を支配できるとはずだいう人類の傲慢は今なお世界中で蔓延しているように思えてなりません。