映画「杉原千畝」〜インテリジェンス・オフィサーの知られざる横顔〜

10年ぶりのスター・ウォーズ新作「フォースの覚醒」を横目に、5日に封切された「杉原千畝」をようやく観ることが出来ました。身辺大掃除の合間を縫っての鑑賞でした・・・。

リトアニア領事代理杉原千畝の名前を知ったのは1993年当時だったと記憶しています。日本のシンドラーと呼ばれる彼の生涯に関心を抱くきっかけは、スピルバーグ監督の「シンドラーズ・リスト」(1994年日本公開)でした。後にも先にも試写会のチケットを手に入れてまで観たいと思った映画はこれだけです。幸い、抽選に当たって、日本赤十字社共催の試写会(皇太子ご夫妻も同席でした)に招かれたときのことを思いだします。3時間を超す大作でしたが、固唾を呑んでスクリーンを見つめた記憶が今も鮮明です。

シンドラーはドイツ(オーストリア)系でナチス党員。実業家として軍事工場を経営する傍ら、多数のユダヤ人従業員の命を救おうと奔走しゲシュタポに目をつけられるようになります。一方、杉原千畝は外務省に官費留学生として採用され、ロシア語を専攻、ノンキャリアでありながら抜群の語学力と諜報能力を評価され歴史の表舞台に登場することになります。ふたりの経歴はまったく異なりますが、戦後、彼らの偉業が正当に評価されるまで随分と時間を要したことを忘れてはなりません。杉原千畝に至っては、映画のエンドロールでも紹介されるように、日本政府が公式に杉原氏の名誉回復を図ったのは2000年10月のことです。

この映画を理解するには、当時のヨーロッパ情勢を知ることが不可欠です。杉原千畝一家がリトアニアカウナス駅に到着したのは1939年8月28日。その5日前に独ソ不可侵条約が締結され、世界は驚愕します。このとき、すでに杉原千畝リトアニアの隣国ポーランドが危機的状況に陥ることを察知し、その思惑どおりリトアニアへと脱出を図るポーランド系避難民が激増します。9月になるとバルト三国併合の動きが加速し、リトアニアの大半はソ連に割譲されてしまいます。作中で杉原の運転手を務め情報収集を手伝うペシュ(偽名)もポーランド軍人です。ナチスの虐殺から多くの命を救ったとされる杉原千畝ですが、寧ろ、スターリン率いるソ連の侵攻脅威から避難民の命を救ったといった方が正確かも知れません。

杉原千畝が発給したヴィザは映画のなかでは2139通と紹介されます。これは外交史料館所蔵史料に基づく数字ですが、幸子夫人の著書『六千人の命のビザ』とはかなりかけ離れているのは何故でしょうか。親のパスポートに子供の名前が付記されていた場合があったり、領事館閉鎖後もホテル・メトロポリスに滞在し渡航許可証の発給を続けたことも、数字が膨れ上がった一因です。なにより、戦時中だったため本省との遣り取りのなかで正確な記録が散逸してしまった可能性が高いのでしょう。

本省の訓令に背いてまでヴィザの発給を続けた杉原千畝の業績はもっと世に知られて然るべきです。映画化はその一歩に過ぎません。教科書で杉原千畝の名前が取り上げられるようになれば、第一次世界大戦後の混沌とした欧州情勢、ひいては日本が世界を相手に無謀な侵略戦争を始めた背景を若い世代が知るよりよい手掛かりになると思います。よく太平洋戦争のPoint of No Returnは日独伊三国同盟締結時と云われますが、心ある外交官は独ソ不可侵条約締結時にすでにドイツの背信に気づいています。歴史にIFはありませんが、ドイツへの接近が対米戦争を誘発しかねないと警鐘を鳴らしていた外交官の認識が政府を動かしていれば、引き返す途もあったのかも知れません。

本作は命のヴィザ発給が主題だったために、冒頭の北満鉄道譲渡交渉の経緯や、最初の妻クラウディア・アポロノヴァ(白系ロシア人)との新婚生活などが欠落してしていて、少し残念でした。白石仁章氏の著作が杉原千畝の諜報外交官としての活躍ぶりを知るにはうってつけです。

諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)

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