真冬になぜ「東海道四谷怪談」か?


国立劇場で公演中(〜12月26日まで)の「東海道四谷怪談」が趣向を凝らした演出で楽しめました。真冬に季節外れの怪談話ってなぜと思われる方も多いかと思いますが、四世鶴屋南北の最高傑作「東海道四谷怪談」の初演は文政8(1825)年のこと、「仮名手本忠臣蔵」と併演でした。後者は云わずと知れた赤穂浪士の仇討ちに材を得たもの、一方、四谷怪談では赤穂浪士に範をとった塩冶(えんや)浪人がお家断絶後の過酷な運命に翻弄される姿を描きます。亡霊となったお岩の亭主、民谷伊右衛門松本幸四郎が23年ぶりに演じます。

殿中での刃傷沙汰から赤穂浪士が本懐を遂げるまで史実では1年9カ月を要したことになりますが、その間、禄を失った浪士たちが一枚岩で仇討ちに邁進できたかというとそうではありません。四谷怪談に登場する浪士のなかに、清貧を貫き仇討ちを目指して結束する者とは対照的に、日々の暮らしに行き詰まって悪事に手を染める輩が現れます。こうした仇討ち脱落組のひとり伊右衛門は、所帯持ちでありながら、こともあろうに敵(かたき)である伊藤家(吉良家の家老職)の娘婿入りするという展開。産後の肥立ちの良くないお岩は、伊藤喜兵衛が良薬と偽った遣わした毒のせいで醜い容貌となってしまいます。

染五郎は、初めてお岩、小平、佐藤与茂七の三役をこなすだけではなく、冒頭花道で戯作者鶴屋南北を、大詰め第四場では大星由良助を演じます。二幕目はやや冗長のきらいがありますが、大詰めへの大切な伏線になっています。

大詰めで亡霊となって登場するお岩や小平の怨念は痛いほど観客に伝わっています。序幕から二幕までの過程で背景がすっきり整理されて、感情移入しやすい環境が整ったというわけです。
隠亡掘の場」ではだんまりと呼ばれる暗闇での探り合いから、戸板返しの場面の早変わりに続く提灯抜けと仏壇返しが見どころです。こうした舞台の仕掛けも東海道四谷怪談の魅力です。世話物でありながら、第四場は一転雪景色の鎌倉高師直館へと転じ、浪士が仇討ちを遂げて門前で勝どきを上げるシーンで終幕となります。師走ならではの「東海道四谷怪談」、納得の舞台でした。