清原達郎氏の華麗なる引き際〜『わが投資術』を読んで〜

カリスマかつ伝説のファンドマネージャーとしてつとに知られる清原達郎氏の『わが投資術』(KODANSHA)を通読。4ヵ月も積読状態にしてしまったことを後悔するくらいエキサイティングな内容で、巻措く能わずでした。ブックタイトルの投資術云々より、2023年にファンドを閉じて引退するまでの清原氏の人生の軌跡に興味を引かれました。清原氏とは同世代、20代後半に外資系金融の世界に身を投じて以来、遭遇した激動の市場環境は清原氏のそれと一致します。本書182頁で図解されている<K1ファンドのパフォーマンス>が示す激しい上下動は、バブル経済崩壊に始まり、リーマンショック東日本大震災を経て、世界的パンデミックの収束まで、幾多の試練に耐えてきた証でもあります。

腰巻に太文字で書かれた〈個人資産800億円>というセンセーショナルな宣伝文句を店頭や新聞広告で見て、本書を手に取った若い読者は賢明です。四半世紀に及んだ清原氏の貴重な経験に基づく投資エッセンスを定価1980円(税込)で入手出来るのですから。特に有益だと感じたのは第3章<「割安小型成長株」の破壊力>で言及されているペイジアン的発想です。ベイジアンとは、18世紀に活躍した英国の数学者・哲学者トーマス・べイズ(Thomas Bays)の名に由来します。ベイズ統計学創始者で、一時非科学的だと葬り去られかけた「主観確率」の提唱者として知られています。ベイズ統計学においては、確率は「事前確率」と「事後確率」を用いて計算し、「事後確率」は時間の経過と共にアップデートされていくことになります。株式投資におけるベイジアン的発想とは、日々刻々市場で起こる様々な事象を都度斟酌して、投資判断に活かしていく態度や姿勢を意味します。株式投資において「決めつけ」は禁物で、当初想定しなかった有益・有害な情報を見逃さないようにしなさいと清原氏は言います。第1章「市場はあなたを見捨てない」において、清原氏が紙幅を費やして力説する投資の第1歩「常識を疑う(counterintuitive)」 態度に通じます。

ヘッジファンドの定義について真剣に考えたこともなかったのですが、清原氏の定義によれば、一番大切な要件は「運用責任者(CIO)の金融資産の相当部分がファンドにつぎ込まれている」ことです。K1ファンドにおける清原氏が拠出した私財割合は70%(リーマンショック時は100%)に上るそうです。CIOが10%しか資金拠出しないファンドはヘッジファンドの名に値しないことになります。ヘッジファンドを運用するには莫大なエネルギーと貪欲さが必要だったと清原氏は振り返ります。K1ファンドの運用フィーはAUMの1%(+諸費用0.2%)、ハードルレートは3%ですから、K1ファンドは最低4%の運用成績を上げないと商売上がったりです。一方、投信運用会社はパフォーマンスに対する責めを一切負いません。投信購入時に支払う平均的な申込手数料3.3%(税込)が如何に暴利なのか、よく分かります。清原氏が築いた800億円に達する莫大な個人資産は、清原氏がK1ファンドに注ぎ込んだ自己資金が投資で飛躍的に成長したからに他なりません。謂わば、清原氏の血と汗の結晶です。JREITにはスポンサーがセイムボート出資するケースがありますが、投信の種類にも依りますが、ベンチマーク対比著しいマイナス運用パフォーマンスには運用責任者に対して何らかのペナルティを課す仕組みが必要なのではないでしょうか。さもなくば、手数料ありきの無責任なファンド組成は、今後も蔓延り続けることでしょう。

清原氏野村証券時代の上司がSBI創業者の北尾吉孝氏で、自宅で部下をもてなすほど面倒見が良かったとは意外でした。現在野村証券は、清原氏や上司の北尾氏が去った当時のノルマ証券と揶揄された存在ではないようです。野村の優秀な支店営業マンは、清原氏にこう語ったそうです。

<清原さん。営業の本質は『人間力』ですよ>

K1ファンド閉鎖時の残高は1500億円。これは、急成長を遂げたK1ファンドの立役者清原氏自身の人間力の賜物でもあるわけです。ニトリゼンショー創業者の個性溢れる人柄を知って、この2社が持続的成長を遂げる理由の一端が分かった気がします。割安小型株投資の是非や足元低迷を続けるJREITへの投資可能性に関しては、清原氏の成功体験に後発事象を十分検討した上で、慎重に臨む必要がありそうです。バリュートラップならぬ成功者体験談トラップに用心です。

第9章「これからの日本株市場」で清原氏内需に頼る企業の危うさを指摘しつつ、「日本人の英語下手は危機的レベル」にあると警鐘を鳴らします。英語の出来不出来で年収差は約10倍にも拡大し、人生の選択肢の広がりが格段に違ってくるという指摘に同感です。自分が外資系金融稼業を全う出来たのは、清原氏同様、英語によるコミュニケーション能力に拠るところ大だったからです。

清原氏喉頭がんで声帯を喪った清原氏が編集者との二人三脚で上梓した本書は、掛け値なしに有益な投資指南書であり、生き馬の目を抜く株式市場を生き抜いた清原氏の偽りなき自伝です。エピローグに清原氏の趣味は「低山ハイキング」とあります。山登りに嵌っているだけにセルフセンサーにヒットしてしまいました。リタイア後、低山ハイクを楽しまれる清原氏に山野でお目にかかりたいものです。