新東名高速道路を走破してみて

今年4月14日に開通してドライバーの話題をさらった新東名をこの三連休を利用して走破してきました。走行距離は御殿場JCTから三ケ日JCTまでの延べ157.4キロ、従来の東名に比べ10キロ短いため走行時間が少し短縮されることになります。カーブが少なく道路が平坦なので走った印象は東名より遥かに快適でした。これほどストレスを感じないドライブは過去記憶にありません。復路は日没後の20時過ぎでしたが、車両の進行方向を照らす新たなトンネル照明(プロビーム照明)のお蔭で、前哨灯が不要と思えるくらいトンネルの中は明るいのでした。

新設されたサービスエリアには様々な工夫が凝らされていて、前評判どおり頗る愉しめました。最初に立ち寄った駿河湾沼津SAは傾斜地に設けられていて眺望抜群、次に休憩した浜松SAは楽器の町、ピアノの鍵盤を意匠したユニークなデザインの建物が先ず視界に入ります。さらに、浜松SAにはミュージックスポットが併設されていて、その日はハンドベルのミニコンサートの準備中でした。こうしたエリア毎の特徴に加え、新東名のNEOPASAには例外なくコンビニ、シャワー、ヘリポートが完備され、その上ドッグランとEVスタンドまで整備されています。至れり尽くせりではありませんか。

これまで、SAやPAはトイレ休憩やガソリン補給のために一時的に立ち寄るスポットに過ぎませんでしたが、これからはそこが行楽の目的地になりうるのかも知れません。ご当地グルメを楽しむためにSAに出掛ける旅もあっていいでしょう。

浦村牡蠣に舌鼓

三重県鳥羽市浦村町を訪ね、旬の牡蠣を堪能してきました。訪れたのは生浦湾を臨む小高い丘に立つ中山牡蠣養殖所。東京を7時過ぎに自家用車で出発、現地に到着したのは13時過ぎでした。駐車場はほぼ満車状態だったのでやむなく縦列で空いているスペースに車を停めました。

お店の前にはすでに生牡蠣目当てのお客さんの長い行列が出来ていました。一方、行列の横のバーベキューコンロを取り囲むように焼き牡蠣を待つお客さんが大勢屯しているではありませんか。どうやら、焼き牡蠣は注文してから焼き上がるまで時間が掛かるようなので、先ずお店の戸の貼り紙に焼き牡蠣20個と書き込んで、生牡蠣の行列に加わることにしました。ところが、注文行列は遅々として前に進みません。

作業台に積み上げられた生牡蠣をお店のスタッフが手際よく開いていくのですが、牡蠣の大きさは様々なので、スタッフは小振りの牡蠣とお客さんに供する大振りの牡蠣とを丁寧に選り分けているようです。道理で時間がかかるはずです。その上、家族連れやカップルが注文する牡蠣の数は大抵二桁、50個注文する猛者もいますので牡蠣にありつくまで少し辛抱が必要です。

生牡蠣はお椀のボールですすぎ洗いしてから、ポン酢や持参したレモン汁をかけて食べました。この秋、丸の内のグランド・セントラル・オイスターバーでオイスタープレートを注文した際、貧相な牡蠣のサイズにがっかりさせられたばかりだっただけに、身のつまった大きな生牡蠣には本当に感動しました。磯の香りを感じながら味わう海の幸は格別です。

そして、次に食べた焼き牡蠣は生牡蠣を凌駕する別次元の美味しさでした(調味料は一切要りません!)。加熱されて牡蠣の旨みが開花した感じです。例年、11月下旬あたりから牡蠣の出荷が始まり、シーズンは3月下旬まで続きます。牡蠣は年を越えて2月3月を迎えると一段と成長し大きくなるのだそうです。

15時を過ぎた頃、完売の貼り札が出されてその日の営業は終了しました。その後も駐車場には次々と車が入ってきますが、時すでに遅しです。

次回は寒さがピークを迎え牡蠣が成熟を極める2月頃、この地を訪れようと思います。

お伊勢参りと「せんぐう館」見学

伊勢神宮を参拝したのは小学生の頃だったでしょうか。お伊勢参りをしたと云っても、清冽な印象の残る五十鈴川と名物赤福もち位しか定かな記憶がありません。来年は20年に一度の式年遷宮(62回目)の年、「伊勢に七たび、熊野へ三たび、愛宕参りは月まいり」とも云いますので、この三連休を利用して数十年ぶりにお伊勢参りに出掛けました。

伊勢神宮といえば一般に天照大御神をおまつりする内宮と豊受大御神をおまつりする外宮の2つの正宮を思い浮かべますが、別宮に摂社・末社を加えた125のお宮・お社も伊勢神宮に他なりません。正式名称は「神宮」、まさに神社本庁の本宗です。

連れの家内も、小学生の時分、お伊勢参りをして以来でした。外宮を参拝した記憶はないと云います。お伊勢参りは外宮詣でをしてから内宮へ向かうのが習わしです。外宮と内宮は距離にして約5キロ、車で10分程掛かりますので、家内のように外宮参拝を省略する参拝客も多いようですが、外宮参拝はやはり欠かすべきではないと思います。今年4月、外宮の敷地内には「せんぐう館」という素晴らしい博物館も誕生していますので、外宮参拝と併せ「せんぐう館」の拝観がお薦めです。

「せんぐう館」に入ると、先ず、200インチの巨大スクリーンに映し出された映像を通じて、式年遷宮に纏わる様々な神事の背景や実際を窺い知ることができます。その上、「せんぐう館」内には、外宮参拝の際、遠目でしか捉えることのできない正殿の原寸大模型が設置されていますので、ガイドの説明を聞きながら、持統天皇の時代から1300年あまり脈々と継承されてきた遷宮制度全体の理解を深めることができます。葺かれる萱には麦ワラや稲ワラではなくススキが使われることを知りました。明治時代、財政上の理由から木戸孝允が茅葺を瓦葺に改めるよう奏上したこともあるそうですが、明治天皇は拒否されたとか。

一見経済合理性に反するかに映る20年毎の式年遷宮には、匠の技の承継という直接的な理由のほかに、農耕民族である我々日本人の先祖の五穀豊穣に対する敬虔な祈り(大神嘗祭)や国家の平安発展への願いが込められているように思います。社殿や神宝を新調するだけではなく宇治橋さえ架け替えてしまう式年遷宮には、途轍もない歴史の重みが刻まれているのです。