歌舞伎レビュー:15年ぶりの通し狂言『三人吉三巴白浪』

盗人を主人公に据えた「白浪物」というジャンルを確立させた河竹黙阿弥の代表作のひとつが『三人吉三巴白波』。歌舞伎座では平成16年以来となる15年ぶりの通し狂言の上演だそうです。初演は1860(万延元)年に遡り、短く「三人吉三」、「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい」とも称されます。万延元年といえば、井伊直弼大老桜田門で斬殺された年です。

侠気たっぷりの「和尚吉三」を松緑が演じ、名のある武家の出ながら落ちぶれてしまった「お坊吉三」と女装の旅役者「お嬢吉三」を、それぞれ、愛之助と梅枝(ダブルキャストで偶数日は松也)が演じます。まんまと百両をせしめた「お嬢吉三」が、朗々と謳いあげるように語る七五調の有名なセリフ(「月も朧に白魚の・・・」)が前半の見せ場です。三人の吉三はやがて義兄弟の契りを交わします。

百両という大金と名刀庚申丸をめぐって、綾なす因果は巡ります。あらかじめ、登場人物の相関図を頭にインプットしておかないと、一連の流れを掴むのが難しいかも知れません。「土左衛門伝吉」(歌六)と「八百屋久兵衛」(橘三郎)が、偶然にも、互いの娘と息子を助け合うことで、運命は思いもかけない方向へ転がっていくわけです。おまけに、「伝吉」の実の息子「十三郎」が捨て子だったことが判明します。男女の双子は縁起が悪いという理由で、「伝吉」に捨てられた「十三郎」が、あろうことか、娘の「おとせ」と恋仲になってしまいます。双子は縁起が悪いという俗説に加え、庚申の宵に懐妊した子は盗癖があるという言い伝えなど、当時の時代背景抜きに本演目を賞味するのは難しいかも知れません。

二幕目後半、歌六演じる「土左衛門伝吉」が壮絶な過去を振り返り、再び巡ってきた因果に慄然とする場面が、終幕へと繋がる前半のクライマックス。見えない糸で引き寄せられた三人吉三は、雪化粧した本郷火ノ見櫓の場で再会します。捕り手に囲まれた三人吉三の大立ち回りは圧巻です。

救いようのない結末は、徳川幕藩体制が終焉を迎える幕末の世相と重なります。お芝居は時代を映す鏡。閉塞感や行き詰まり感に苛まれていた初演当時の観客が、共感を覚えたのも無理からぬところです。抗うことの出来ない運命を受け容れ、従容として果て逝く登場人物への共感は、今日、失せるどころか増幅されていくようです。