2015年春の旅(4)〜旧海軍兵学校を訪ねて〜

この春の旅で一番訪れたかったのは、海軍兵学校のあった江田島(「えたじま」と読みます)でした。海軍兵学校跡地は、現在、海上自衛隊の第1術科学校並びに幹部候補生学校として使用されています。

江田島には陸路で渡ることができます。周辺の地図をナビで見ると、小島が点在し入江が複雑に入り組んでいるので、どうアクセスすればいいか正直迷いました。呉市からは第ニ音戸大橋早瀬大橋経由(国道487号線)で目的地に向かうといいでしょう。所要時間は車で1時間足らずでした。

正門で来意を告げ入構。受付で若い女性隊員から見学が許される場所を示した地図を受け取りました。構内の日当たりのいい場所の桜は満開でした。明治維新後まもない明治9年(1876年)に産声を上げた海軍兵学校は太平洋戦争終結まで存続し、エリート海軍士官を多数輩出してきたことで知られています。築地から僻地江田島兵学校が移転したのは明治21年のこと。英国留学経験のある伊地知弘一兵学校次長が、生徒の志操を堅実ならしめるため繁華輻輳の都会を敢えて避け、江田島への移転を提案したのがきっかけだとか。

入構して、思ったより見学者が多いのに驚きました。年間7万人くらい見学者があるのだそうです。正午を回っていたので、江田島クラブの名物海軍カレーで腹ごしらえをしてから見学を開始しました。


通路を進むと右手に花崗岩造りの重厚な大講堂があります。あいにく内部に立ち入ることができませんでしたが、この建物は吹き抜けで入校式や卒業式が挙行される学校のシンボル的存在です。さらに進むと、広大な白砂前庭の向こうに幹部候補生学校庁舎の全容が見えてきます。かつて、海軍兵学校の学び舎として使われた建物です。通称「赤レンガ」、霞が関法務省旧本館に似て、威厳を感じさせます。



こちらは、向かって左手の通用口から内部を見学することができました。中庭に「同期の桜」があると聞いて先を急ぐと、美しい赤レンガのアーチの向こうでソメイヨシノが満開でした。樹齢100年を超えるこの古木が長年にわたって海軍兵学校の歴史を見守ってきたのだと思うと、厳粛な気持ちにさせられます。桜を前にして、良寛和尚の作とも伝えられる<散る桜 残る桜も 散る桜>という古句がふっと頭をよぎりました。明日の命の保証のない時代、ここで学んだ生徒たちは、満開の桜を見ながら死と隣り合わせの命(そして同期の仲間)にひときわ愛おしさを覚えたのではないでしょうか。

見学の最後は、写真撮影禁止の教育参考館へ。ギリシア神殿風の建物を入ると、一礼をしてから、赤絨毯の敷かれた正面階段を昇って館内を見学することになります。一番最初に目にするのはネルソン提督、東郷平八郎山本五十六両元帥の遺髪を収めた遺髪室です。もちろん、内部は見られませんが、重厚な扉には日本海海戦の主要な場面が刻まれています(北村西望作)。この建物が、今も神聖な場所であることを強く意識させられました。先を進むと、将官の書や特攻隊員の遺書など、海軍にまつわる歴史的資料が数多く展示されています。もう1日、呉に滞在できればと悔やみました。

入構して2時間が過ぎたので、海上自衛隊の若い隊員らが次々と一礼して入る姿を見ながら、教育参考館を後にしました。