今年の抱負のひとつに掲げていた「47全都道府県制覇」は、残念ながら未達に終わりました。未踏だった3県(愛媛県・高知県・長崎県)の攻略は楽勝だと思っていたのですが、結局、今年訪れることができたのは長崎県だけでした。来年こそは、坂本龍馬や牧野富太郎、そしてやなせたかしの故郷である高知県と、俳都・松山を擁し四国最高峰・石鎚山(1982m)を仰ぐ愛媛県を踏破するつもりです。
言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、めざす「47全都道府県制覇」の条件として、電車や車で通過した都道府県はカウントしないことにしています。そうなると、狭い島国とはいえ目標達成のハードルは格段に高くなります。全人口を母集団とした場合、47都道府県すべてに足を運んだ人の割合は、5%前後ではないかと推測しています。
負け惜しみではありませんが、11月中旬に2泊3日で訪れた長崎市は、期待を遥かに上回る収穫のある、旅情豊かな街でした。3日間、望外の好天に恵まれたおかげで、稲佐山展望台から望む「1000万ドルの夜景」をはじめ、念願のスポットをすべて網羅することができました。
今回の旅のハイライトは、軍艦島クルーズです。長崎港の沖合18.5kmに浮かぶ小さな島、正式名称「端島(はしま)」。幅160m、長さはわずか480mに過ぎません。東京ドームのグラウンド約5個分というこの狭い島に、最盛期には5,200人もの人々がひしめき合って暮らしていました。江戸時代に石炭が発見され、明治期に良質な海底炭鉱として本格操業が始まると、人口は爆発的に増加。居住地確保のための埋め立てにより面積は当初の3倍に広がり、島内には学校、病院、映画館、商店、果てはバーやパチンコ店まで、あらゆる生活施設が整備されました。日本初の鉄筋コンクリート造高層集合住宅が出現したのも、この島です。
最大の懸念事項だった飲料水も、1957年の海底水道完成によって劇的に改善されました。それまで運搬船による水不足に苦しんできた島民の歓喜は、いかばかりだったことでしょう。
7月に予約を試みた時点でクルーズ午前便はすでに満席。やむなく午後の便を確保しましたが、2015年の世界文化遺産登録に加え、昨秋放映された日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』の影響もあってか、その人気は過熱する一方のようです。ダメ元で申し込んでいたキャンセル待ちが8月中旬に通り、幸運にも午前便への振り替えが叶いました。

三菱重工業長崎造船所に停泊する海上自衛隊護衛艦

女神大橋(遠景)
クルーズ当日は雲ひとつない青空。遊覧船「マルベージャ号」が出港するとまもなく、三菱重工業長崎造船所が誇る護衛艦「なとり」や「みくま」がその雄姿を現します。さらに、巨大な女神大橋(ヴィーナスウィング)を通過する際に見えてくる「高鉾島(たかほこじま)台場」の遺構は、鎖国時代の長崎が国防の要衝であったことを物語っていました。教科書だけでは学べない地政学上のリアリティが、厳然として目の前に横たわっているのです。
いよいよ軍艦島に上陸します。1974年の閉山とともに無人島となったこの地で、雨風に耐えてきた日本最古の鉄筋コンクリート造7階建てアパート「30号棟」は、今やいつ崩壊してもおかしくない状態にあります。写真やドラマで知った気になっていましたが、目の前にある廃墟の圧倒的な存在感は、安直な既視感を吹き飛ばして余りあるものでした。現地に立ち、潮風に吹かれて初めて、ここで懸命に生きた人々の息遣いをリアルに想像できるのだと感じます。

軍艦島の中心建物は幹部社宅・右手は小中学校

戦艦「土佐」に模せられた軍艦島の遠景
船が島の周囲を回遊すると、そのシルエットが戦艦「土佐」に酷似していることがよく分かります。近景でディテールを刻み、遠景で全体の輪郭を捉える。まるでジグソーパズルを完成させるように、脳内で往時の活気を再現していくのが、このクルーズの醍醐味でしょう。

軍艦島上陸証明書
最後に、これから訪れる方へ大切なことをお伝えしておきます。予約が完了していても、上陸できるとは限りません。天候や波の高さなど、厳しい安全基準をクリアした日だけが上陸を許されるのです。下船時に手渡された「軍艦島上陸証明書」は、単なる記念品ではなく、その日その時に島が自分を受け容れてくれたという「幸運の証」でもあるのです。


