「獺祭」(純米大吟醸磨き二割三分)を味わう

この一週間でめっきり朝夕が冷え込むようになりました。お酒が美味しく感じられる季節の到来です。

昨晩はとっておきの純米大吟醸「獺祭」(桐箱入)を開けて、牛スジの煮込みを肴にチビリチビリと日本酒の最高峰と云われる銘酒を味わいました。このお酒の凄さは精米歩合が23%だということ、言い換えると酒造好適米山田錦の77%が削り捨てられるわけです。実に贅沢極まるお酒なのであります。桐箱に入っていた「二割三分物語り」の「酔うための売るためのお酒ではなく味わうための酒を求めて」というキャッチコピーもいいじゃありませんか。

中途半端な批評を避けて、先のパンフの説明書きを引用しておきます。

「華やかな上立ち香と、芳醇な味、濃密な含み香、全体を引き締める程よい酸、これらが渾然一体となりバランスの良さを見せながらのどにすべりおりていった後は爽やかな後口の切れを見せ、そこから続く長い余韻、そんなお酒でありたいと常に努力しています」(「二割三分物語り」より)

「獺祭」という珍しい名前、山口県岩国市周東町にある地名「獺越」(おそごえ)から1字をとって名付けたそうです。お隣の小学校の全校生徒が9人という小さな集落だそうです。

日本酒通でもない自分がこのお酒に惹かれたのはこのネーミングがきっかけです。「獺祭」はだっさいと読みます。学生の頃、向田邦子さんの短編小説「かわうそ」(『思い出トランプ』所収)を読んで「獺祭」という言葉を知りました。かわうそはいたずら好きで食べたくなくても猟で捕った獲物を陳列するのだそうです。その光景がさまがらお祭りのように見えるのでしょう。

このお酒を呑むたびに向田邦子さんの「かわうそ」を思い出します。そういえば、正岡子規が獺祭書屋主人と名乗っていましたね。酒造メーカーの世界に羽ばたこうとする高い志は、李商隠たらんとする子規の気概に通じているようですね。

今シーズンも「獺祭」でほろ酔い気分を愉しみたいと思います。