晩秋の武相荘

鶴川街道を車で南下すること30分余り、降車して幹線道路から勾配のきつい坂道を数分歩くとそこが武相荘(ぶあいそう)でした。云わずと知れた旧白洲邸です。米国占領統治下の日本にあってGHQ幹部をして<従順ならざる唯一の日本人>と呼ばしめた白洲次郎・正子夫妻の終の棲家・武相荘は<無愛想>に託けた白洲らしい洒脱なネーミングとばかり思っていたのですが、かの地が武蔵と相模の境にあったことに由来することを初めて知りました。小高い丘陵地に立つ茅葺の母屋は質素な造りでありながら、外観から内部の隅々に至るまで手入れが行き届いた実に清楚な住まいでした。母屋の前には石畳を隔てて美しい竹林が拡がっています。背後の里山に差し込む木洩れ陽越しに武相荘を眺めれば、かつての主人が丹精込めて作り上げた芸術の息吹を感じることが出来ます。ケンブリッジアメリカの大学で高等教育を受けた白洲夫妻が洋館ではなく茅葺の家を選んだのは戦時下の日本人としての矜持からでしょうか。サンフランシスコ講和条約締結後、潔く官職を辞して百姓に戻った白洲次郎の生き方に、そして戦後世界中を旅しながら日本の美の再発見に努めた正子夫人の暮しぶりに古き良き日本人の原型を見る思いです。ひとわたり武相荘を散策し終わって長屋門を潜ろうとしたら頭上から柿の実が落ちてきました。晩秋の柔らかな日差しを肌で感じながら何とも清々しい気分になって武相荘をあとにしました。