旅は出発前から始まっている~ナショジオを手にした瞬間から~

先日、ナショジオこと『NATIONAL GEOGRAPHIC』の2021年12月号を取り寄せました。総力特集のタイトルは「驚きの大地 セレンゲティ」。日本版はB5サイズで、英語版に比べると少し小ぶりで手に馴染みます。

1995年4月、英語圏以外で初の外国語版として創刊された「ナショナル ジオグラフィック日本版」は、昨年、創刊30周年を迎えました。4〜5年前のバックナンバーであれば、幸いにもAmazonで定価入手が可能です。公式ホームページには、次のような言葉が掲げられています。

私たちがどれだけ「地球の今を知らずにいるか」を教えてくれるナショナル ジオグラフィック。たくましく生きる動物たちの生態、失われゆく生物多様性の現実、地球の温暖化や異常気象の影響、古代遺跡の新たな発見、宇宙探査の最新成果など、新聞やテレビでは目にすることのできない「地球の今」を、いきいきとしたルポルタージュと驚きの写真で紹介します。

今年は、ゲームドライブを主目的にタンザニアセレンゲティ国立公園を訪れたいと考えています。オグロヌーに出会えるチャンスもありそうです。その先には、季節を変えてオグロヌーの大移動に立ち会う夢があります。毎年、約130万頭もの大群が雨を追い、タンザニアからケニアへと時計回りに弧を描き、再びタンザニアへと戻ります。その比類なき生命の循環に五感を通して触れてみたいのです。


水と新鮮な草を求め、マラ川の急な土手を駆け下りるオグロヌーの大群(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES)

この陸上最大規模の大移動をレンズに収めたのは、ナショジオ英語版の表紙を3度も飾ったチャーリー・ハミルトン・ジェームズです。何千年も続くこの大移動の総距離は、実に2800kmにも及びます。日本列島がすっぽり収まるほどの長大な旅路ですが、近年、人口増大の影響でその行動半径に変化が生じつつあるといいます。

ナショジオの特集号を手に取った瞬間から、セレンゲティへの旅は始まっています。ヌーにとって命懸けの難所であるマラ川の渡河も、大規模な農業取水による水量減少で、その様相を変えてしまうのかもしれません。失われゆくかもしれない「地球の今」を、この目で見届けるための準備を、静かに進めていこうと思います。

天候に左右される軍艦島上陸

今年の抱負のひとつに掲げていた「47全都道府県制覇」は、残念ながら未達に終わりました。未踏だった3県(愛媛県高知県長崎県)の攻略は楽勝だと思っていたのですが、結局、今年訪れることができたのは長崎県だけでした。来年こそは、坂本龍馬牧野富太郎、そしてやなせたかしの故郷である高知県と、俳都・松山を擁し四国最高峰・石鎚山(1982m)を仰ぐ愛媛県を踏破するつもりです。

言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、めざす「47全都道府県制覇」の条件として、電車や車で通過した都道府県はカウントしないことにしています。そうなると、狭い島国とはいえ目標達成のハードルは格段に高くなります。全人口を母集団とした場合、47都道府県すべてに足を運んだ人の割合は、5%前後ではないかと推測しています。

負け惜しみではありませんが、11月中旬に2泊3日で訪れた長崎市は、期待を遥かに上回る収穫のある、旅情豊かな街でした。3日間、望外の好天に恵まれたおかげで、稲佐山展望台から望む「1000万ドルの夜景」をはじめ、念願のスポットをすべて網羅することができました。

今回の旅のハイライトは、軍艦島クルーズです。長崎港の沖合18.5kmに浮かぶ小さな島、正式名称「端島(はしま)」。幅160m、長さはわずか480mに過ぎません。東京ドームのグラウンド約5個分というこの狭い島に、最盛期には5,200人もの人々がひしめき合って暮らしていました。江戸時代に石炭が発見され、明治期に良質な海底炭鉱として本格操業が始まると、人口は爆発的に増加。居住地確保のための埋め立てにより面積は当初の3倍に広がり、島内には学校、病院、映画館、商店、果てはバーやパチンコ店まで、あらゆる生活施設が整備されました。日本初の鉄筋コンクリート造高層集合住宅が出現したのも、この島です。

最大の懸念事項だった飲料水も、1957年の海底水道完成によって劇的に改善されました。それまで運搬船による水不足に苦しんできた島民の歓喜は、いかばかりだったことでしょう。

7月に予約を試みた時点でクルーズ午前便はすでに満席。やむなく午後の便を確保しましたが、2015年の世界文化遺産登録に加え、昨秋放映された日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』の影響もあってか、その人気は過熱する一方のようです。ダメ元で申し込んでいたキャンセル待ちが8月中旬に通り、幸運にも午前便への振り替えが叶いました。


三菱重工業長崎造船所に停泊する海上自衛隊護衛艦


女神大橋(遠景)


高鉾島

クルーズ当日は雲ひとつない青空。遊覧船「マルベージャ号」が出港するとまもなく、三菱重工業長崎造船所が誇る護衛艦「なとり」や「みくま」がその雄姿を現します。さらに、巨大な女神大橋(ヴィーナスウィング)を通過する際に見えてくる「高鉾島(たかほこじま)台場」の遺構は、鎖国時代の長崎が国防の要衝であったことを物語っていました。教科書だけでは学べない地政学上のリアリティが、厳然として目の前に横たわっているのです。


崩壊が危ぶまれる30号棟

いよいよ軍艦島に上陸します。1974年の閉山とともに無人島となったこの地で、雨風に耐えてきた日本最古の鉄筋コンクリート造7階建てアパート「30号棟」は、今やいつ崩壊してもおかしくない状態にあります。写真やドラマで知った気になっていましたが、目の前にある廃墟の圧倒的な存在感は、安直な既視感を吹き飛ばして余りあるものでした。現地に立ち、潮風に吹かれて初めて、ここで懸命に生きた人々の息遣いをリアルに想像できるのだと感じます。


軍艦島の中心建物は幹部社宅・右手は小中学校


戦艦「土佐」に模せられた軍艦島の遠景

船が島の周囲を回遊すると、そのシルエットが戦艦「土佐」に酷似していることがよく分かります。近景でディテールを刻み、遠景で全体の輪郭を捉える。まるでジグソーパズルを完成させるように、脳内で往時の活気を再現していくのが、このクルーズの醍醐味でしょう。


軍艦島上陸証明書

最後に、これから訪れる方へ大切なことをお伝えしておきます。予約が完了していても、上陸できるとは限りません。天候や波の高さなど、厳しい安全基準をクリアした日だけが上陸を許されるのです。下船時に手渡された「軍艦島上陸証明書」は、単なる記念品ではなく、その日その時に島が自分を受け容れてくれたという「幸運の証」でもあるのです。

初めての諏訪五蔵めぐり

JR上諏訪駅の北側にある立体駐車場にクルマを駐めて、甲州街道国道20号)沿いに点在する諏訪五蔵を訪ねました。かつて勤めていた会社の大先輩から銘酒「眞澄」の青い蛇の目ラインが入った呑み利き猪口と一合升を頂戴したことがあります。うりぼうの本名は真澄。大先輩が名前を覚えてくれていて、お土産に買ってきてくれたのです。以来、一度、上諏訪の酒蔵を訪れてみたいと思っていました。


晩秋の宮坂醸造の佇まい

宮坂醸造の杉玉


諏訪五蔵

駅から南へ半㌔圏内に5つの酒蔵が軒を連ねています。「舞姫」、「麗人」、「本金」、「横笛」、そして「眞澄」の五軒の造り酒屋が諏訪五蔵(すわごくら)と呼ばれています。軒先の杉玉が、造り酒屋の目印かつシンボルです。諏訪の酒が旨いのは、秀でた諏訪杜氏の存在と共に、霧ヶ峰高原から湧き出る良質な伏流水の手柄でもあるのです。麗人(れいじん)酒蔵では、玄関口で仕込水を味わえました。五蔵いずれもショップを併設していて、試飲も可能です。なかでも、創業1662年(寛文2年)の最古参・宮坂醸造は別格の趣きでした。正面右手でスタッフから、焦げ茶色に変色した杉玉から杉を抜いて下さいと声をかけられました。そろそろ、新酒の季節ですから杉玉も新旧交代の時期なのでしょう。


ひやおろし 二夏越し」の陳列棚

秋季限定で蔵元限定販売の山廃純米吟醸ひやおろし ニ夏越し」を買い求めました。これからひやおろしが美味しい季節です。温かいおでんに二夏寝かせた熟成酒を合せようと思っています。今回はクルマ移動だったので、飲み歩きするわけにいかず、試飲されている酒呑みを横目に悔しい思いをしました。次回は、中央本線上諏訪駅下車、霧ヶ峰までバスで移動しトレッキング、帰りに五蔵めぐりをと企んでいます。

やっとグランドオープンした大エジプト博物館

去年のお盆過ぎ、念願のエジプト旅行を実現しました。その際、期待値が高かったのが、オープン直後の大エジプト博物館(“Grand Egyptian Museum”)を訪れることでした。ずいぶん長い間、大手旅行代理店のエジプト旅行広告には洩れなく「近日中オープン」の文字が躍っていたからです。

現地入りし、ギザの三大ピラミッドの手前でほぼ完成したかに見える大エジプト博物館を目にしましたが、滞在中に開館することはありませんでした。帰国後まもなく開館になっていたら、きっと恨めしく思ったことでしょう。コロナ禍が災いしたとはいえ、グランドオープンの時期を幾度も延期するエジプト政府の姿勢は、期限や時間をきっちり守る日本人気質からは到底理解不能です。文化の違いと受け止めるしかありません。

11月1日、阪急系trapicsの新聞チラシで大エジプト博物館がグランドオープンしたことを知りました。11月3日付け全国紙がこぞって報じているので間違いないのでしょう。


(出典:読売新聞オンライン)

大エジプト博物館には日本政府から巨額の円借款が供与されています。その額何と842億円。大エジプト博物館の建設費の50%以上が日本からの支援で賄われているのです。建物正面には日本政府に敬意を表して「大エジプト博物館」と日本語で表記されています。

2012年の着工からグランドオープンまで延べ13年。展示品はグレイトなのに展示がしょぼかったエジプト考古学博物館(1902年開館)の収蔵品は、至宝ツタンカーメン王の「黄金のマスク」も含めて、ほぼお引越しが済んだのでしょう。日本の財政・技術支援で完成しただけに、日本人は胸を張ってこのブランドニューの博物館を訪れるべきです。エジプトを訪れたばかりですが、再訪の機会を窺っているところです。明日、11月4日からいよいよ一般公開です。それにしても長かった。

梨泰院(イテウォン)群衆事故から3年

今月11日、3泊4日のソウル旅最終日にどうしても訪れておきたい場所がありました。梨泰院(イテウォン)です。ホテルをチェックアウトし、最寄りの明洞(ミョンドン)駅から地下鉄4号線に乗車、三角地(サムガクチ)で6号線に乗り換え、梨泰院駅で降車します。

3年前の10月29日夜22時過ぎ、ハロウィンを控えて賑わう梨泰院で未曾有の群衆雪崩が起こり、日本人2人を含む159人(負傷者数は196人)が亡くなりました。当時、世界でコロナ禍が終息に向かいつつあるなか、ソウルで起きた大事故に唖然とし言葉を失った記憶が忘れられません。そのとき咄嗟に思い出したのが、2001年7月に起きた明石花火大会歩道橋事故です。この事故も群衆雪崩が原因です。11名が死亡し負傷者は183名を数えました。大惨事には違いありませんが、梨泰院の死者数はそれを遥かに上回ります。隣国にもかかわらず、我が国の事故の教訓(警備体制の不備)は残念なことに活かされませんでした。


事故現場の路地(右手前に慰霊のモニュメント)

事故現場は、地下鉄・梨泰院駅1番出口から徒歩1分足らずのハミルトンホテル脇の小路です。小路というより路地が正確かも知れません。駅側から緩やかな上りになっていて距離にしてわずか40m。道幅は最大で5m超、上り口付近は3.2mと信じられないくらい狭いのです。坂の上から下に向かって尻窄みになっている路地の形状から、ボトルネック現象が起こるのは当然の成り行きです。建築基準法でいう道路は、公道、私道を問わず幅員4m以上とされています。韓国も同基準のはずです。道路とは呼べない隘路に数え切れないほどの群衆が殺到し、不幸にも大惨事が生じてしまったのです。

数回、路地を往復してみましたが、ここで大惨事が起きたことがどうしても信じられません。もしかして別の場所かと思ったりもしました。慰霊のモニュメントに気づいたのは、しばらく経ってからです。坂の入口右手に設置されており、"October 29 Memorial Alley"と記されています。

路地は「記憶と安全の道」と名付けられたのだそうです。日経新聞夕刊がこの事故のことを取り上げていました。事件当日、18時頃から警察に120件以上の通報が寄せられていたといいます。こうした通報を真剣に受け止めず大惨事を招いた警察や自治体の責任は重大です。現地で犠牲者の冥福を祈りながら合掌してきました。

ソウルを旅する(後篇)|チムジルバン(찜질방)初体験

今回のソウル旅のメインメニューがDMZツアーだとすれば、チムジルバンはさしずめ裏メニューの目玉です。チムジルバンは韓国の伝統的な温浴施設のことですが、日本の日帰り温泉とはずいぶん趣きが異なるようです。初日、2日目とソウル市内を歩き回る予定でしたので、そのご褒美として、チムジルバン体験の時間をしっかり旅程に付け加えておいたのです。百聞は一見に如かずですから。サウナの常連ですが、海外の温浴施設を訪れるのはこれが初めてです。


「スパレックス東大門」(受付は地下3階にあります)

出国前に下調べを重ねた結果、東大門エリアにある「スパレックス東大門」がベストだと判断しました。韓国最大級の規模を誇るチムジルバンというキャッチコピーが決め手になりました。宿泊先ホテルから至近距離の好立地にチムジルバンがあったのですが、古臭い感じがしたので、地下鉄を利用して東大門エリアまで足を運ぶことにしたのです。


東大門デザインプラザ⓵


東大門デザインプラザ⓶

東大門エリアを訪れたいもうひとつの理由がありました。道を挟んで「スパレックス東大門」の真向いに「東大門デザインプラザ(DDP)」があるからです。映画『スターウォーズ』の大型宇宙船を想起させる斬新な建物は、今や、すっかりソウルの新ランドマークと化しています。2016年に急逝したザハ・ハディッド氏が設計を手掛けています。東京オリンピック2020の新国立競技場を当初設計するはずだったのもこのザハ・ハディッド氏です(予算の都合で再コンペとなり幻になってしまったのが悔やまれます)。

本題に戻りましょう。「スパレックス東大門」へ通じるエレベーター前に数組の客が並んでいました。地元で人気の施設のようです。総合受付で入場料13000W(日本円で1300円)を支払って、靴箱&ロッカー併用キーと館内着を受け取ります。タオルは浴場入口に積み上げられているので、何枚使ってもいいようです。料金が安いせいか、タオルは洗濯疲れを感じさせるくたびれた代物で、大型のバスタオルは見当たりません。アカスリとマッサージを脱衣場スペースの受付で申し込みました。これは別料金です。残念ながら、日本語も英語も通じません。スタッフの身振り手振りから、先にシャワーを浴びて湯に浸かってこいと言っているのだと判断しました。しばらく湯に浸かっていると、アカスリ担当のおじさんがアカスリ台に手招きします。こんな感じでアカスリ&マッサージで都合30分くらいのサービスを受けました。アカスリやマッサージのクオリティに関しては、日本と比較になりません。東京ドームシティ・Spa LaQuaの女性スタッフにケアしてもらった方が遥かに快適です。浴場にサウナ室が3つありましたが、日本のサウナのように階段状のスペースが設けられていないので、板敷きの床に坐るか、立っているしかありません。立っている人が多いのには驚きました。文化の違いとしかいいようがありません。


「スパレックス東大門」の汗蒸幕(右が高温、左が中高温)[出典:ふらたび]

チムジルバンは期待外れだったかというと決してそうではありません。韓国式サウナの核心は、浴室内のサウナではなく、ドーム型室内で薪が燃やされて100℃超になる高温サウナ「汗蒸幕(ハンジュンマク)」にありました。受付で受け取った館内着に着替え、「汗蒸幕(ハンジュンマク)」のある階へ移動します。100℃と85℃の2つのドームがあって、低温ドームに入りました。男女共用スペースですから、カップルの姿も目立ちます。床の中心部から放射線状に寝転んだり坐ったりします。10分前後、ドームのなかで過ごすと館内着が汗でぐっしょりとします。ドームからアイスルームと呼ばれるスペースへ移動して、クールダウンします。アイスルーム内は、鉄パイプに霜が大量に付着するくらいの冷気に包まれています。サウナ⇒水風呂⇒休憩の1セットに匹敵するくらいのリラックス効果が得られました。「汗蒸幕(ハンジュンマク)」⇔アイスルームを数回往復し、チムジルパン初体験を終了しました。


「スパレックス東大門」の休憩処[出典:ふらたび]

日本の日帰り温泉と違って24時間営業ですから、仮眠室やカプセルでうたた寝することができます。休憩処や食堂スペースが充実していて、簡易宿泊所として利用することも可能です。東大門エリアの複合施設「スパレックス東大門」は、リピート必至のチムジルバンだと申し上げておきます。

ソウルを旅する(中篇)|DMZツアーは外せない

大型連休を迎えたソウル市内は何処も活気に満ちていました。1997年、深刻な通貨危機に見舞われ、国際通貨基金IMF)に緊急融資を申請するほど、韓国は経済的苦境に陥っていました(以前、当ブログで通貨危機を題材にした韓国映画『国家が破産する日』を取り上げています)。2008年には、リーマンショックの影響で再びドル不足に陥り、米・中・日との通貨スワップ協定で救済された過去がありますが、現在の韓国経済は、至極堅調に見えます。日本人が韓国旅行に出掛ける目的ランキングを調べてみると、50%弱がグルメ、次いでショッピング、美容と続きます。最近、来日中国人観光客による爆買いが鳴りを潜めたのに対して、隣国・韓国には日本人観光客が大挙して詰めかけ消費三昧。一見、朝鮮半島の南北で続く緊張関係など無縁に思えてきます。


DMZマップ


地下鉄4号線・明洞駅のシェルター表示

今回の旅のハイライトは、1953年の朝鮮戦争停戦に伴って設けられた軍事境界線(休戦ライン)を挟んで、南北それぞれ2kmに及ぶ非武装地帯(DMZ: De-Militarized Zone)を訪れることでした。1953年以降、「停戦」が継続しています。今年で「停戦」状態は72年目を迎えますが、未だ南北両朝鮮の間で平和条約は締結されていません。2018年の歴史的な南北首脳会談は、残念ながら、朝鮮半島の緊張緩和をもたらすことはありませんでした。従って、両国間においては、武力紛争が長期間にわたって休止しているだけで、戦時下にあると解すべきなのです。ソウル中心部の繁華街・明洞(ミョンドン)の地下鉄駅入口で、シェルターの存在を示す掲示板を目にしました。ソウル市内には核シェルターが1000箇所以上も設置されています。北朝鮮からの核攻撃に対する危機感の表れに他なりません。北朝鮮から頻繁に発射される弾道ミサイルに対して、一向にシェルター設置へと動かない平和ボケした日本とは好対照です。賑やかなソウル市中心部を散策していると、そんなことを忘れてしまいそうになります。


地下鉄4号線・明洞駅10番出口に集まるDMZツアー参加者

DMZに個人が足を踏み入れることはできません。見学したければ、韓国人公認ガイドが引率するDMZ見学ツアーに参加する外ありません。集合場所は、地下鉄4号線・明洞駅10番出口でした。出発時刻(早朝6:40)の10分前に集合場所に到着すると、洪(ほん)さんと名乗る韓国人女性が出迎えてくれました。出国するかなり前にインターネットを通じて申し込んで以降、何の音沙汰もなかったので当日まで心配でしたが、信頼に足るツアー業者だったのでひと安心です。


観光バス車内のツアー解説


DMZツアー通行証

日本で見たことのないような豪華な観光バスの前方に乗り込むと、すでに後部座席に20名前後の英語圏の外国人が座っていました。通行証を手渡され、ツアー参加者リストに氏名や年齢を書き込みます。この日の日本人ツアー参加者は15名前後。集合場所付近にDMZツアーに向かうと思われる大型観光バスが次々とやって来ます。前日まで休祝日が続いていたため、数日ぶりのDMZツアー再開だったからです。移動時間を利用して、ガイドさんが車内の大型ディスプレイを使って、流暢な日本語で朝鮮戦争時の南北勢力分布図や現在のDMZ周辺の様子を詳しく説明してくれました。


韓国ドラマ『愛の不時着』の検問所シーン

イムジン河に架けられた統一大橋手前の検問所に着くと、バスに韓国兵が乗り込んで来て、ツアー参加者ひとりひとりにパスポートの提示を求めます。帰りも同じ手続きが繰り返されました。DMZへの立ち入りが厳しく制限されていることがよく分かります。世界中でブレイクした韓国ドラマ『愛の不時着』最終話において、主人公のリ・ジョンヒョク大尉が北朝鮮に帰還するシーンのロケ地は、この検問所周辺です(但し、国境を示す黄色いラインはフィクションです)。


DMZ記念モニュメント

1978年10月に発見された第3トンネルの見学がDMZツアーのハイライトです。長さ1635m、高さ2m、幅2m、深さ73mのトンネルは、わずか1時間で軍人3万人が移動できる規模なのだそうです。写真撮影は厳禁ですから、手荷物やスマホはあらかじめロッカーに預けます。ヘルメットを被って、ひたすら地下通路を前進します。狭い通路の所々にダイナマイトを仕掛けたと思しき箇所に黄色い印がつけられ、上部には黒ずんだ箇所が散見されます。万一、韓国側に見つかったときに備えた炭坑採掘を装ったカモフラージュだったようです。北朝鮮の南進に賭ける執念がひしひしと伝わってきます。トンネル内ですれ違った観光客の7~8割は、日本を含めたアジア圏以外からの人たちでした。緊張の続く朝鮮半島への関心は、欧米の人々の方が圧倒的に強いようです。


国旗がはためく北朝鮮の監視所


開城(ケソン)工業団地

北朝鮮を間近に見ることが出来るのは都羅(トラ)展望台です。展望台を含め館内から北朝鮮側を撮影することは厳禁です。生憎のお天気で視界不良。ガスの切れ間から小高い丘に設置された北朝鮮の監視所を窺うことが出来ました。ツアー終了後、撮影が許されていた2年前にガイドの洪さんが撮った写真を入手したのでアップしておきます。DMZも観光拠点には違いありませんが、周囲の空気が俄然異なります。朝鮮半島有事が決して絵空事ではないことを肌身で感じるためにも、ソウルを訪れた際には、隣人たる日本人こそDMZに足を運ぶべきだと思うのです。