ビリー・ワイルダー監督のシチュエーション・コメディ|『アパートの鍵貸します』

寝つけない夜はタブレット端末で映画を観ることにしています。といっても、繰り返し観たい映画は案外少ないものです。amazon prime videoのめぼしいタイトルは見尽くしていますし、興味をそそられる新作がすぐに観られるわけでもありません。視聴を重ねると多かれ少なかれ有料VODに退屈するときが訪れます。

そんなときの切り札がビリー・ワイルダー監督作品です。生命保険金殺人を取り上げた倒叙型サスペンスの『深夜の告白』(1944年)や第18回アカデミー賞4部門受賞の『失われた週末』(1945年)をはじめ、半世紀以上前のモノクロ作品であるにもかかわらず、色褪せない魅力と輝きを放っています。なかでも一番好きな作品が『アパートの鍵貸します』(1960年)です。大学生の頃、文化祭で度々上映されていたにもかかわらず見逃して後年悔やんだ記憶があります。便利な検索ツールのない時代ですから、意味深な映画タイトルだけで釣り込まれました。あらゆる意味で未だかつてない作品だと映画ポスターは謳っています。オリジナルタイトルは”The Apartment”ですが、珍しく日本語タイトルが決まった作品です。現在、amazon prime videoの無料視聴タイトルから外れているので復活を心待ちしているところです。

主人公は巨大保険会社に勤める平凡なサラリーマンのC・バクスタージャック・レモン)。彼の上司4人が密会・不倫の場として自宅アパートの提供を迫り、口止めの見返りに出世をちらつかせます。やがて、妻子持ちの人事部長までがバクスターに無理難題を押し付け、先客の上司4人を押しのけて、アパートを独占しようとします。人事部長にスペアキーを持たれては格下上司は退散するしかありません。

映画批評家瀬川裕司さんの著書『ビリー・ワイルダーのロマンティック・コメディ』を真似て、「ビリー・ワイルダー監督のシチュエーション・コメディ」と洒落たつもりですが、バクスターにはロマンティックとは程遠い災難が次々と降りかかります。会社を舞台に不道徳極まりない展開が続くこの映画は、パワハラ・セクハラ御法度の今日、Z世代の観客にどう受け止められるのでしょうか・・・ 対照的にオフィスラブ全盛時代の職場を経験した世代が思わず感情移入してしまうシーン満載なのです。息もつかせぬドタバタ劇があるかと思えば、有名な<割れたコンパクトミラー>や<シャンパンと拳銃>をはじめ、巧みに配された小道具が登場人物の心情を問わず語りしてくれます。それだけにドタバタ劇に目を奪われていると、監督が随所に散りばめたセンサーの効用をうっかり見逃してしまいます。バクスターの隣人・ドライファス医師も計算づくで配された登場人物に違いありません。

バクスターが思いを寄せるエレベーターガール・フラン(シャーリ―・マクレイン)との距離は大団円に向かって少しずつ狭まっていきます。フランを慰めるとき、バクスターが口にした言葉こそ、この映画が哀愁を込めて伝えたかったメッセージではなかったかと思うのです。

”That's the way it crumbles, cookiewise" (世の中なんてこんなもんさ)

眠れる夜にふさわしいかはともかく、何度でも観たい映画のひとつです。