ブック・レビュー:『海外メディアは見た不思議の国ニッポン』(クーリエ・ジャポン編)

クーリエ・ジャポン講談社が発行するオンライン雑誌です(2016年からは電子版)。様々な海外メディアが配信した日本(日本人)に関する記事を日本に紹介するユニークな手法で存在感を示しています。厖大な配信記事から一定のフィルターをかけてやや特異な一面を取り上げているキライはありますが、令和になった今も依然、日本が「不思議の国」と海外で受け止められていることは想像に難くありません。外国人記者は、自国文化との比較のなかで数多くの疑問を抱くようです。掲題本はその「なぜ」に迫るものです。

東京五輪を取材したNYタイムズ紙は、日本独特の謝罪文化に触れています。銀メダルを獲得した選手が謝罪する姿はさぞ奇異に映ったことでしょう。他人の家を訪ねるときの「すみません」。休暇をとる直前に同僚や上司にひと言「すみません」。電車が定刻より少し遅れただけで車内アナウンスは「(電車遅れて)大変申し訳ございません」。こうした社交辞令に近い謝罪を暗黙の感謝の表現と捉える見方には説得力があります。家に迎え入れてくれる主、応援してくれる観客、快く休暇に送り出してくれる上司や同僚、辛抱してくれる乗客に対する感謝の言葉だと考えれば、違和感はありません。ある意味、コミュニケーション上の潤滑油の役割を果たしているのでしょう。

東京オリンピック組織委員会会長・森喜朗(83歳)が「女性がたくさんいる会議は長引く」と発言して辞任に追い込まれました。追い込んだのはSNS上で署名活動を展開した女性たちだと云われます。フランスの経済誌レゼコーは森会長を退任させなかった当時の菅首相(72歳)や二階堂幹事長(81歳)を長老政治や年功序列の象徴として紹介し、時代遅れの日本を揶揄しました。当時、マクロン仏大統領は43歳ですから、70~80代の長老政治を良しとする日本は世界の常識から大きく逸脱していたことになります。パンデミックを契機にSNSを通じて若い世代が発信の機会を拡げた結果、少しずつ日本も若者が主導権を握る社会に変容するのではないでしょうか。

一番関心を引いたテーマは米紙アトラス・オブスキュラが取材した「ひきこもり」です。英語で最もふさわしい訳語は”shut-in"でしょうか?「ひきこもり」という言葉を世に広めたのが精神科医斎藤環さんだそうです(初耳でした)。「ひきこもり」はいじめなどの犠牲者だという主張と社会的責任を果たさない怠惰な人々だという対立は根深そうです。無縁社会が拡がる日本では、誰しもが「ひきこもり」に転じるリスクを抱えて生きているような気がします。何らかのかたちで社会との接点を喪わないことが重要です。本書が紹介する「ひきこもり新聞」は、声を上げない「ひきこもり」の人々を手助けしているようです。

究極のテーマは他の先進国に比べて低い日本の投票率です。米紙ワシントンポストは2017年の衆議院選で20代の有権者の1/3しか投票に行かなかったと指摘し、30歳以下の投票率が2019年2020年と過去最高を記録した米国と比較し驚きを隠しません。若きアクティビストたちが声を上げ始めてはいますが、影響力を及ぼすのはこれからです。世代間搾取を防ぐためにも抜本的な選挙制度改革は喫緊の課題です。既得権者が政治を牛耳っている以上、改革には高いハードルが待ち構えています。しかし、「シルバー民主主義」に終止符をうつ手立てをそろそろ講じないとこの国の未来は益々昏くなるだけです!

海外メディアの「なぜ」に真摯に耳を傾ける態度が日本を救う手掛かりになるのかも知れません。試しに外国人の有識者による内閣アドバイザリーボードでも設置してみてはどうでしょうか。