『災厄の絵画史』(中野京子著)を読んで

見逃して悔やまれる展覧会のひとつが、2017年に上野の森美術館で開催された「怖い絵」展(会期:2017年10月7日~12月17日)です。先月、日経紙のコラム「こころの玉手箱」に連載された展覧会監修者・中野京子さんへのインタビューによると、来場者68万人超え、待ち時間は最大3時間半の大盛況だったそうです。展覧会の目玉、初来日のポール・ドラローシュ作《レディ・ジェーン・グレイの処刑》をかつて所蔵先のナショナル・ギャラリー(ロンドン)で見たことがあります。戦慄きで足が止まった記憶があります。政争の具となり「九日間の女王」ことジェーンが処刑されたのは16歳の時です。

落涙を誘うこの絵に限らず、<怖い>という感情フィルターをかけて展覧会を企画した点が斬新です。舞台裏を想像するなら、ひとりの有名画家の作品群を集めて展示するのに比べて、格段に手間暇を要する作業の連続だったことでしょう。画家の生涯を時系列で追う一般的な展覧会が縦串(縦割り)なら、ひとつのテーマを中心に様々な画家の絵を一堂に集めて展示する手法は謂わば横串です。固定概念に囚われないこうした発想の展覧会の方が遥かに興味深いと思っています。

去年12月に出版された中野京子さんの著書『災厄の絵画史』(日経プレミアシリーズ)にも《レディ・ジェーン・グレイの処刑》が登場します。テムズ川の氾濫によって長い間行方不明だったこの絵を、貸出先だったテート・ギャラリーの修復室で見つけ出したのは新人学芸員だったそうです。災厄という切り口で中野さんは《レディ・ジェーン・グレイの処刑》に再びスポットライトを当てたのです。発見後、修復が済んでナショナル・ギャラリーに返還されたあとのことですーあまりに鑑賞者が絵の前で立ち止まるので、床が傷んで修理しなければならなかったほどだったと云われています。同じく、《ポンペイ最後の日》(1833年)も『災厄の絵画史』のなかで取り上げられています。ヴェスヴィオ火山の大噴火でローマ帝国有数の保養地・ポンペイが壊滅したのは紀元79年の夏。描いたのはロシアの画家カール・ブリューロフです。同時代人の手紙が小ポリニウスの手紙が残されているそうですが、画家の逞しい想像力が再現した阿鼻叫喚の地獄絵図には圧倒的なリアリティがあります。

今年初め、都美で開催されたレオポルド美術館 エゴン・シーレ展は大盛況のうちに閉幕しました。『災厄の絵画史』の最終章で「スペイン風邪」が取り上げられています。エゴン・シーレは妻子と共にこの疾病で亡くなっています。3年以上にわたって世界を苦しめたCOVID-19パンデミックの最中、1918年~1919年にかけて世界で猛威をふるった「スペイン風邪」(死者数は5000万人=コロナ禍の死者数の7倍以上)がしばしば比較の対象とされました。この「スペイン風邪」は、多くの人が感染して中和抗体を獲得した結果、1920年春には終息しています。COVID-19パンデミックが終息したタイミングや経緯と酷似しています。そんな昔の出来事ではないのに、「スペイン風邪」は人々の記憶から急速に消え去りました。天災は忘れた頃にやって来るの譬えどおりです。

その点、繰り返し世界を襲う災厄を記録した絵や写真は、不確かで曖昧な記憶より遥かに史実の実相を喚起する作用があります。エゴン・シーレの最後の作品《家族》(1918年)には初めての子が生まれたものとして描かれています。妻の妊娠を知ったエゴン・シーレが描き加えたと云われています。懐胎中の妻エディトはエゴン・シーレより3日早く亡くなっています。美しい絵ばかりに目を遣るだけでなく、パンデミック、飢餓、天災地変、戦争といった災厄の絵画を見て、画家が置かれた時代背景を読み解くもうひとつの鑑賞スタイルに目覚めました。