DVD・CDの運命 

朝日新聞夕刊に連載中のエッセイ<三谷幸喜のありふれた生活 1119>を読んで頻りに頷いてしまいました。三谷さんが大学生になった頃、ビデオが普及し始め、バイト代をはたいて最初に買ったのは『大脱走』のソフトだったそうです。当時、2万円近くしたとあります(吃驚!)。三谷さんは1961年生まれですから、三谷さんの体験談は我が実体験とほぼ重なります。手に汗握る展開のなか、スティーブ・マックイーンがバイクに跨って疾走する映画「大脱走」を自分もテレビで繰り返し視聴しました。『カサブランカ』、『スティング』、『恐怖の報酬』など熱中した映画の好みが共通するので、三谷さんに親近感を抱いてしまったくらいです。

レンタルビデオの時代が到来しても、三谷さんは好きなビデオは手元に置いておきたいからと次々と買い集め、画質に優れるDVDが登場すると買い直します。さらに画質の向上したブルーレイディスクが登場しますから、いたちごっこは続きます。やがて配信の時代がやって来ます。確かにオンデマンド配信は便利ですが、膨大なDVDコレクションを前にして、抗い難いパッケージの魅力に惹かれていたことに三谷さんは気づきます。<あの映画、手にとれる至福>とは言い得て妙です。

書棚やフローリングに溢れる蔵書に手を焼いている今、三谷さんのようにDVDにまで手を出していたらと思うとゾッとします。一方、映画は配信で構わないと割り切っていながら、CDに対する愛着はひとしおです。クラシックやジャズの愛聴盤CDには大抵ライナーノーツがついていますし、パッケージデザインを見れば演奏者や曲目がすぐ頭に浮かびます。自宅を新築したとき、数百枚はあるCDを格納する専用ラックを家具職人さんに作ってもらったくらいです。CDパッケージには配信では味わえない付加価値があり、ジャケットは優れたアイコンでもあるのです。死語になりつつあるジャケ買いはその象徴です。

最近、同級生からこんな話を聞かされたました。同級生の旦那が買い集めたジャズレコード60枚の引き取りを業者に依頼したところ、査定はたったの1000円だったとか。同級生がブログでため息まじりに嘆いたところ、レコードプレーヤーを持っている後輩が引き取りたいと願い出たので、歓んで差し上げたというのです。

レコードやCDであれば、徐にジャケットからレコード盤やコンパクトディスク本体を取り出して、音響機器にセットするところから音楽を聴く営みはスタートします。レコード針を置く瞬間のときめきに至っては何物にも代えがたいのではないでしょうか。これは映画のDVDにも当て嵌まります。いつでもどこでも気軽に音源にアクセスできるようになって、視聴することの儀式性が喪われつつあります。音楽や映像の記憶はパッケージメディアと共にあるのだとつくづく思うのです。