興味の尽きない「脚本家 黒澤明」展@「国立映画アーカイブ」

2018年4月に誕生した「国立映画アーカイブ」をご存じでしょうか。れっきとした国立美術館傘下の施設で日本で唯一の国立映画機関です。JR東京駅・八重洲南口から徒歩10分の好立地(中央区京橋3-7-6)にあって、展示室は7階になります。

「国立映画アーカイブ」で開催中の「脚本家 黒澤明」(~11/27)に足を運びました。スピルバーグやコッポラをはじめ名だたる映画監督に多大な影響を及ぼした黒澤明監督の脚本家としての足跡にスポットを新機軸の展覧会です。

日経の展覧会紹介記事(2022/8/29付け夕刊)によると、日本映画界には「シナリオ修業することが良き映画監督になるための道、という伝統があった」(岡田秀則主任研究員)そうです。黒澤映画に関する著作を数多く執筆している都築政昭さんの『黒澤明 全作品と全生涯』(東京書籍)を読むと、黒澤のシナリオに対する情熱とこだわりがひしひしと伝わってきます。「弱いシナリオから絶対に優れた映画は出来上がらない。映画の運命はシナリオにおいてほとんど決定される」と思ったからこそ、黒澤はシナリオを努めて自分で書いたのでしょう。

もうひとつ特徴的なのは、シナリオが独善的にならないように常に自分を戒め、最良をめざして屡々脚本の共同執筆に取り組んだことです。黒澤と度々タッグを組んだのは、小國英雄、橋本忍菊島隆三らの面々です。代表作『七人の侍』(3時間27分)や最高傑作『生きる』は、黒澤・小國・橋本の共同脚本作品です。明快でドラマティックな展開は時代を超えて人々を魅了しています。今年のベネチア国際映画祭ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが、『生きる』のリメイク映画『Living』(舞台は第二次大戦後の英国)で脚本を手掛けて話題になりました。黒澤の没後もその影響力は衰えません。

「人物造形がしっかりしていれば登場人物たちが勝手に動き出す」と黒澤は本質を突いた言葉を残しています。数々の作品群において独創的なキャラクターを創造できた背景に、黒澤の抜きんでた読書量があります。トルストイの長編小説『戦争と平和』を30回も読んだという黒澤は、読むだけでなく、影響を受けたトルストイバルザックをはじめ文豪の小説の感銘した場面やセリフを丹念にノートに書き写しています。展示されている創作ノートに残された思索の軌跡は黒澤映画の魅力を探る上で第一級の資料です。チラシに書かれた<クロサワもまた文豪なり>は実に的を得たフレーズだと思いました。

展示会場の最後尾に、黒澤が手掛けるはずだった日米合作映画『トラ・トラ・トラ』の新発見・準備稿「虎 虎 虎」(小國英雄氏の遺品・武者小路実篤記念館蔵)が展示されています。健康上の理由で降板したのだと伝えられますが、黒澤の徹底した映画作りへのこだわりが米・二十世紀フォックス社サイドを刺戟して降板に繋がったのではと見ています。黒澤は、オープニングシークエンスを戦艦長門艦上で行われる山本五十六連合艦隊司令長官の登舷長礼にしたかったのだそうです。太平洋戦争をめぐる黒澤の解釈が反映されるはずだった幻の『トラ・トラ・トラ』は、きっともうひとつの黒澤の代表作になったことでしょう。