日本芸術院と「マンガ」のミスマッチ

上野恩賜公園の一角に写真のような見栄えしない建物があります。これが日本芸術院です。2019年に「日本藝術院創設百周年記念展」が開催されたとき、一度だけ、入場したことがあります。恩賜賞受賞作品を含む珠玉の作品を公開とポスターにありましたが、残念ながら、特に印象に残るような作品は見当たりませんでした。

日本芸術院は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関で文化庁の特別機関です。定員は院長1名(現院長は美術評論家高階秀爾氏)に会員120人。終身制のため欠員を補充するかたちで毎年新会員が選ばれます。第1部は「美術」、第2部は「文芸」、第3部は「音楽・演劇・舞踊」と三部構成になっています。各部はさらに細かく分科され、第1部には「建築・デザイン」や「写真・映像」分科が新設され、今年第2部に「マンガ」が新設され話題になりました。外部有識者を交えた新しい選考方法が採用されたにもかかわらず、投票は従来通り会員が行うため、改革刷新に繋がらなかったという声が大勢です。

新会員に選ばれたマンガ家は、ちばてつや氏(83)とつげ義春氏(84)の2名です。ほかにも、日本画千住博、小説家の五木寛之狂言師野村万作、指揮者の小澤征爾と新会員名簿には錚々たる名前が並んでいます。新会員に決まったふたりのマンガ家が共に「栄誉に感謝」「非常に名誉に感じています」とコメントされているのを複雑な思いで受けとめました。長らく「マンガ」は取るに足らない大衆文化という位置づけに甘んじてきたような印象がありますが、手塚マンガは早くから壮大なテーマを盛り込んだ作品を次々と誕生させています。2000年以降、「マンガ」は「クール・ジャパン」を象徴する絶大な存在感を発揮しています。日本の「アニメ」や「マンガ」は、若い世代から圧倒的に支持される文化そのものです。そもそも「マンガ」を「文芸」のサブ・カテゴリーに押し込めようとすること自体、業腹ではありませんか。

国内にとどまらず海外における「マンガ」の評価がますます高まるなか、なんとも黴臭い日本芸術院が大層に「マンガ」を権威づけしているようで滑稽な感じがしてなりません。非常勤の国家公務員にあたる日本芸術院会員には250万円の年金が支給されます。ちば・つげ両氏がこうした権威づけを嫌ってあっさり辞退していれば、「マンガ」の権力・権威に媚びない姿勢が鮮明になって良かったのではと思ったりもします。おふたりの業績にケチをつける気は毛頭ありませんが、同じタイミングで、萩尾望都さんに代表される「花の24年組」をはじめ女性マンガ家がひとりとして選ばれないのも実に奇妙です。おまけに、新会員9名のなかにひとりも女性はいません。ジェンダーフリーが叫ばれる現在、日本芸術院の閉鎖性を象徴しています。従来の芸術の枠に収まりきらない新しい形の芸術分野(例:「デジタルアート」)が勃興するなか、功成り名を遂げた大御所だけを顕彰する日本芸術院のような旧い組織は時代錯誤の存在にしか思えません。今こそ、こうした組織は発展的に解消して、芸術を国家権力から解放する時期ではないのでしょうか。