危うい記憶の正体~脳はなぜ都合よく記憶するのか?~

孤高の画家として知られる熊谷守一さんは、我が出身高校の偉大なる先輩のひとりです。お父上は初代岐阜市長で衆議院議員も務めた熊谷孫六郎です。昭和天皇が「これはどこの子供の絵ですか?」とお尋ねになったことは今も語り草となっているエピソードです。蟻や猫といった身近な生き物の姿を極限まで簡略化して描く独特のスタイルが陛下をしてそう言わしめたのでしょう。逆に言えば、子供のような無垢な観察力で描く対象の本質を見事に捉えていたことになります。画壇の評価など一切頓着することなく、文化勲章さえ辞退した熊谷画伯の生き方に心打たれます。

最近、高校の同級生とLINE会話中に熊谷守一と次女榧さんに言及したところ、ふたりを知らないと言われてちょっと吃驚しました。在校中に高校創立100周年の記念品として熊谷守一さんのツバキの複製画を受け取った確かな記憶があるので、意外な反応でした。サラリとこの話題をスルーされてしまったので、ひょっとして自分の記憶が間違っていたのではと思い直し、地元ブロック紙アーカイブを調べてみました。

すると、幾つか記憶違いをしていることが判明しました。創立100周年は高校に入学する2年前。3年間の在校中に創立100周年記念行事があったと思い込んでいたので、誤った記憶を書き換えなければならなくなりました。一方、実家に熊谷守一さんの油彩複製画を額装して架けていたことも事実です。先の地元紙には当時の高校長がわざわざ豊島区の熊谷邸を訪ね、学校創立100年の記念作品を依頼したとあります。記事に掲載された油彩画(写真上)はまさしく記憶にある複製画の原画でした。

それでは、なぜ実家に創立100周年の複製画や100周年史があったのでしょうか?創立100周年からまもない時期の入学者に記念品として授与されたと考えるのが辻褄が合うような気もしてきました。以前、他の同級生にも熊谷の複製画の存在について尋ねたことがありますが、皆口を揃えて、知らないと言います。在校中にやはり大先輩の文芸評論家平野謙が講演に訪れた記憶(島崎藤村『夜明け前』がテーマ)があるのですが、親しい同級生は一様に覚えていないと言います。平野謙が亡くなる数年前の学校行事なので、この記憶もいよいよ怪しくなってきました。

世界でも数少ない過誤記憶の第一人者ジュリア・ショウ氏の著書『脳はなぜ都合よく記憶するのか』をもう一度読み返したくなりました。どうやら、脳は本来の出来事を自分に都合よく解釈して記憶してしまう習性があるようです。美術や文芸に敏感に反応する自分の脳が正確な記憶に上書きを繰り返しているのかも知れません。もっと悩ましいのは、記憶Xを引き出すと別の記憶Yが付け加わり、勝手に記憶Zに置換してしまうことです。