38年ぶりの仁左衛門&玉三郎の「東海道四谷怪談」を観て~2021年九月大歌舞伎第三部~

例年なら、9月の歌舞伎座公演は初代中村吉右衛門さんの俳号に因んだ「秀山祭」(2006年~)となるはずでした。ところが、昨年来、コロナ禍が継続している上、3月に救急搬送された当代吉右衛門さんは現在も療養中のため、2021年「九月大歌舞伎」は3部制(昨年は4部制)と相成りました。注目の舞台は第3部「東海道四谷怪談」。38年ぶりの仁左衛門(伊右衛門)&玉三郎(お岩)コンビ復活ということで、熾烈なチケット争奪戦となりました。ゴールド会員のアドバンテージを活かして先行予約で<トチリ席>を確保するつもりでした。が、こともあろうにすっかり予約日のことを失念、一般予約に混じってなんとか平日1等席を確保したものの、2階席7列目という残念な結果に。痛恨のミスとはこのことです。

東海道四谷怪談」は、忠臣蔵外伝(スピンオフ)として書かれた四世鶴屋南北の最高傑作にして、怪談物の頂点に君臨する名作。この歌舞伎演目をご覧になったことがない人でも、色悪民谷伊右衛門に捨てられ、恨みを募らせながら絶命したお岩が亡霊となって復讐する筋書きはご存じなのではないでしょうか。文政8年(1825年)7月の江戸・中村座初演では、初日を<仮名手本忠臣蔵>にして、2日がかりで上演したそうです。

今回は、5幕(以下)のうち序幕と大詰を除いた3幕を幕間を挟んで約2時間で見せる、いうなればダイジェスト版でした。「通し」で観劇できれば「提灯抜け」や「仏壇返し」のようなケレンも登場し申し分なかったのですが、コロナ禍ですから已むを得ません、辛抱です。救いのない筋書きだけに、端正な顔立ちの稀代の立役仁左衛門民谷伊右衛門を演じると憎たらしいほどの色悪の魅力が際立ちます。対して、お岩を演じるのは女形最高峰の坂東玉三郎さん。毒薬を盛られ形相が一転したお岩は、伊右衛門が取り上げ持ち去ろうとする蚊帳に縋り、ついには仰向けに蹴倒されてしまいます。赤子の着物まで取り上げられたお岩の最後の抵抗を玉三郎さんが迫真の演技で見せつけます。やがて、按摩の宅越(松之助)から事の真相を告白され、伊藤家へ乗り込もうと身支度を始めるお岩。最大の見どころ<髪梳き>を始めると、掻き揚げるたびにごっそりと髪が抜け落ち、膝の上に零れ落ちていきます。やるせない思いが下座音楽の独吟と共に増幅し、時間がとても長く感じられました。舞台を恐ろしい静寂が支配し、やがて凄まじい形相で立ち上がったお岩は、誤って刀で喉をついて絶命します。玉三郎さんの所作は男の自分が見ても感心するほどの美しさ。武家の娘お岩の矜持に至るまで繊細な心理描写を要求される場面場面を見事なまでに演じて分けてくれました。

振り返れば、2階席から俯瞰する視点も新鮮でした。江戸後期の作品でありながら、現代のスーパー歌舞伎と比べてもまったく遜色のない出来栄えのスペクタクルに仕上がっているのは驚異的です。お岩の分身、鼠を配したりと劇作家鶴屋南北の小技も冴えわたっています。江戸後期の世相(日常)を巧みに取り込みながら、非日常的存在亡霊を主役に据え、劇的な小宇宙を創り上げた劇作家四世鶴屋南北の才能にすっかり脱帽させられました。