小説家黒木亮さんの素顔

愛読者のひとりとして、日経夕刊の<人間発見>(全5回)に登場した黒木亮さんのインタビュー記事を興味深く拝見しました。10年前に読んだ『リスクは金なり』(講談社文庫)を慌てて引っぱりだしてきたら、かなり内容が重複していました。すっかり忘却の彼方だったので、読み直すつもりです。

銀行や証券会社を辞して小説家に転身した人は決して少なくありませんが、その作品の多くは暴露趣味的だったり内容が薄っぺらだったりして、正直感心しません。真面目に仕事をしていれば誰しもひとつやふたつ、小説にできるようなエピソードや体験談を持ち合わせているものです。ただそれを吐き出しただけでは、読者を唸らせるような作品にはならないわけです。

その点、『下町ロケット』をはじめ小説が次々とドラマ化される元三菱銀行池井戸潤さんはズバ抜けた才能の持ち主だと言えます。池井戸さんに比べると知名度こそ劣りますが、国際金融市場を舞台にした作品世界のスケールの大きさが持ち味の黒木さんの小説は、金融マンをはじめとするビジネスマン読者に支持されているように思います。

大学時代、大枚はたいて「リンガフォン」を購入、毎日30分必ず英語を勉強して語学力を磨いた黒木さんは、三和銀行に就職。ママチャリが武器の支店営業から脱出しようと人事に直訴してロンドン駐在に転身、ここからが黒木さんの本領発揮です。ヨーロッパ、アフリカを鞄ひとつで飛び回り、次々と大型国際協調融資(シ・ローン)を組成していきます。デビュー作『トップ・レフト』は、シ・ローンの主幹事が調印する契約書の定位置のことです。

6年もロンドン駐在が続けば自ずと帰国が迫ってきます。1994年、36歳になった黒木さんは会社の辞令より仕事を選んで、大和証券へ転職、さらに4年後にロンドン三菱商事へ移籍します。80年代中盤から始まった邦銀の栄華は長くは続きません。日系企業の悪しき慣習、終身雇用制度や年功序列制度がまだ健在だったこの時期に、自らのキャリアパスについて深く思いを巡らした黒木さんには、先見の明があったと言えます。羨ましくてならないのはロンドンで暮らす決断をなさったことです。

専業作家として独立するまで、在職中は、機上で執筆をされたそうです。飛行機の中は思索の空間だという黒木さんの持論に同感です。「自分の生きた証を残したい」という黒木さんの思いは、自分も含めた多くのビジネスマンに共通する願いではないでしょうか。同僚がゴルフ三昧の休日を送る一方、寸暇を惜しんで自己啓発に努め、英語のみならず、アラビア語ベトナム語など5ヶ国語をマスターした黒木さんには脱帽です。

1冊書くのに30人〜50人を取材、これまで、世界85ヶ国、47都道府県に足跡を残したという黒木さんは、早稲田大学時代に箱根駅伝を2度走った筋金入りのアスリートでした(『冬の喝采』に結実しています)。目指すゴールはどこかと記者に問われ、”The sky is the limit”と黒木さんは答えます。可能性は無限だというこの言葉に大いに励まされました。コロナ禍が収束したら、もう一度、海外で生活することに挑戦してみようと思い始めたところです。

リスクは金なり

リスクは金なり