相次ぐ観劇チケット払戻しに涙目~舞台芸術の無観客開催はあり得ない~

3度目となる緊急事態宣言発令によって、手元にある観劇プラチナチケット2枚が紙屑になってしまいました。東京都が4月23日に発表した「新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置について」には、「無観客開催」を要請する施設に「劇場」・「観覧場」・「演芸場」等とあります。<社会生活の維持に必要なものを除く>という但書きがあるにもかかわらず、一斉に該当期間中の公演は中止に追い込まれました。

そもそも、舞台芸術は観客がいて初めて成立するもの。スポーツと舞台芸術を十把一絡げにしたこうした要請は乱暴極まるもので、観客や舞台関係者から厳しい批判に晒されています。そこに見え隠れするのは<東京オリンピックありき>の行政のご都合主義だけなのです。市川猿之助さんがinstagramに投稿したメッセージ(下記引用)はネットで拡散し大きな反響を呼んでいます。

歌舞伎座は、座席制限が解除されても、収入度外視、安全安心第一で、座席数50%以下でやってきました。オリンピックも大切です。しかし、オリンピックありきの対策には疑問しか感じません。休業要請は、死の宣告と同じです。皆が救われる道はないものですか?>

オペラ、バレエ、演劇、歌舞伎、能、文楽、落語、ミュージカル・・・いずれも無観客では成立しません。猿之助さんのメッセージは無数の声なき声を代弁しているように思えます。こうした舞台芸術を「不要不急」で切り捨ててしまうのはいとも簡単です。しかし、歌舞伎座をはじめ昨年来感染対策を徹底してきた劇場施設に対しては、GW中の開催を後押しすることは出来たはずです。

もっと早い時期(昨年3月1日)に、演劇人の野田秀樹さんは意見書(公演中止で本当に良いのか)を公開していままさに直面する危機に警鐘を鳴らしていました。そのとき、文化の灯を絶やさぬ具体的な方策を講じていれば、猿之助さんがこうして悲鳴を上げなくても済んだのではないでしょうか。後手後手に回った感染症対策のツケを払わされている人々に舞台関係者が含まれていることを忘れてはなりません。

意見書 公演中止で本当に良いのか

コロナウィルス感染症対策による公演自粛の要請を受け、一演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明をいたします。感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得ることを前提とした上で、予定される公演は実施されるべきと考えます。演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。もちろん、感染症が撲滅されるべきであることには何の異議申し立てするつもりはありません。けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。現在、この困難な状況でも懸命に上演を目指している演劇人に対して、「身勝手な芸術家たち」という風評が出回ることを危惧します。公演収入で生計をたてる多くの舞台関係者にも思いをいたしてください。劇場公演の中止は、考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断であるべきです。「いかなる困難な時期であっても、劇場は継続されねばなりません。」使い古された言葉ではありますが、ゆえに、劇場の真髄(しんずい)をついた言葉かと思います。

野田秀樹