1年9ヵ月を要した損害賠償請求事件の顛末~弁護士費用補償特約付き自動車保険の落とし穴と回収までの長い道のり~

テレビドラマで対立当事者が決まって口にする台詞は「訴えてやる!」ではないでしょうか。弁護士が履いて捨てるほどいる米国ならいざ知らず、日本では大多数の人が裁判とは無縁のまま生涯を終えてしまうのではないでしょうか。その蔭で、様々な不法行為によって損害を被りながら泣き寝入りしている被害者が数多くいるのではないかと想像します。これから話題にするのは刑事事件ではなく民事事件(接触事故に基づく損害賠償請求)です。

【交差点における接触事故の経緯】2019年、交差点を自家用車で通行中、車両後部に原付バイクが接触し損傷が生じました。幸い軽微な物損事故でしたので、すぐに警察署に連絡を入れ現場検証が始まりました。事故当事者には道交法第72条第1項に基づく事故届出義務が生じるので致し方ありません。事故の程度次第ですが、煩わしいだけの検証作業に少なくとも1時間以上つき合わされます。ひたすら辛抱するのは保険金請求に必要な「交通事故証明書」の交付を受けるためです。警察は民事不介入の原則に従い過失割合を認定しませんので、示談交渉は専ら当事者に委ねられています。相手方(X)は免許失効中の20代男性、当方が負担することになる修理代は正規代理店に事故車両を持ち込めば20万円は下りません。交差点での事故という点に鑑み、安い板金業者を手配する点まで譲歩してあげて、修理代折半で口頭合意しました。

【示談不成立】その後、Xは口頭合意を反故にし支払拒否に出ます。修理代金は10万円足らずでしたから、保険は使わないことにしました。弁護士(又は簡裁なので司法書士)に依頼すれば、費用倒れする可能性が濃厚です。日本では「本人訴訟」が認められている上、60万円以下の請求の場合、「少額訴訟」という手続きで1回で結審、判決の言い渡しを受けることが可能です。2019年度に終結した「少額訴訟」の総数は6565件、内5718件(87%)が本人同士で訴訟が進められたそうです。相当数の強者が存在することに吃驚します。金銭目的の訴えはどうやら本人訴訟率が高いといえそうです。その理由は明らかです。最低10万円と言われる着手金を弁護士に支払うとコスト倒れしてしまうからです。というより赤字なのです。

【弁護士費用補償特約(LAC基準採用)を利用して提訴】弁護士費用特約付き自動車保険(上のような漫画のようにはいきません)をかけていたので、弁護士費用実質0で弁護士を選任することが可能です。かかる特約を使えば迅速な解決が期待できそうです。ところが大きな落とし穴がありました。請求額が10万円足らずの訴訟を引き受けてくれる弁護士が見つからないのです。損害保険会社の担当からLAC基準と呼ばれる保険金支払基準の存在を知らされ当惑しました。LAC基準が採用されていると、経済的利益の額が125万円以下の場合、着手金は10万円と定められているのです。報酬金も同様で経済的利益が300万円以下の場合、16%とされています。仮に訴額を10万円とした場合、弁護士が受け取ることのできる報酬は着手金10万円+報酬1.6万円=11.6万円ということになります。ネット申込に限らず、契約締結時に丁寧に説明すべき事項であるにもかかわらず、損害保険会社の担当は保険契約に書いてあるの一点張りです。コールセンターにこの点を何度か問い合わせてみましたが、誰ひとりLAC基準を知る者はいませんでした。因みにLACとは日弁連リーガル・アクセス・センターの略のことです。保険契約者を騙す詐欺まがいの特約ですので、LAC基準で働いてくれる弁護士は極めて少ないと思っておいた方が賢明です。損保保険会社と粘り強く交渉を重ねた結果、ようやく損保と関係の深い弁護士事務所が引き受けてくれました。本来、損保側が複数の事務所と提携して対処すべきなのです。幸い、担当になった若手弁護士は有能だったので、事故発生から3ヵ月あまり経った11月、提訴に踏み切ることが出来ました。

【被告の突然の転居とコロナ禍の公判手続き】「畑中鐵丸アーカイブズ」をネットで見つけ中身を読んでポーンと膝小僧を叩きました。自分が感じたことが端的に表現されていたからです。弁護士である畑中氏は、<日本の裁判制度は原告に対して、腹の立つくらい面倒で、しびれるくらい苛酷で、ムカつくくらい負担の重い偏頗的なシステムだ>と看破しているのです。「やられたら、泣き寝入り」が正解だとさえ強弁されています。

<日本の民事紛争に関する法制度や裁判制度は、加害者・被告が感涙にむせぶほど優しく、被害者・原告には身も凍るくらい冷徹で苛酷である>

被告XとY(バイクの貸し手)が知らないうちに転居してしまい、訴状が届かないという不都合な状況が発生。裁判所からは被告の所在地調査が求められました。住民票の異動先が分かって改めて訴状を送達すると、今度は受け取り拒否に遭ってしまいます。最終的に「書留郵便等に付する送達」によって看做し到達となり、公判期日が決まりました。コロナ禍の影響も手伝って、2020年10月の判決まで小一年が掛かりました。被告両名は、結局、裁判所に姿を現しませんでした。

【債務名義を得ても回収までさらに半年】被告Xは虚言癖があるのか、公判中もそのつもりのない支払いを約すなど担当弁護士を翻弄、激怒させました。被告Yは事故の直接の当事者ではないものの、貸し手責任を被告Xと共に連帯して負う羽目になりさぞ立腹したことでしょう。友人関係にあったXとYの間に大きな綻びが生じたことは間違いありません。資力に乏しいXは弁護士はもとよりYからキチンと支払えと執拗に督促を受けていたはずです。Xの銀行口座を調査し差押え手続きまでいきましたが、残高ゼロで空振りに終わったりと回収は難航しました。判決から6ヶ月、弁護士宛てにXから最終振込みがあり、事故発生時からの金利5分(マイナス金利の昨今バカにならない高金利です)と共に請求した金額全額を回収しました。

【得難い経験】回収まで1年9ヶ月、原告にとって実に長い時間でした。XとYにとっては不愉快極まる時間だったことでしょう。判決で命じられた賠償債務を支払わないかぎり、書面や電話による被告への督促は果てしなく続きます。差押えや強制執行は想像以上に手間暇が掛かることも分かりました。今や、ネット銀行・ネット証券が数多く存在し、メガバンクやゆうちょ銀行以外に資金を移しておけば、差押えから逃れることはいとも簡単です。さらに、貨幣代替物である仮想通貨やポイントに換えられたら、差押えは事実上不可能です。IT社会から最も隔絶された現行の司法制度は、回収される側からすれば、抜け穴だらけです。結局、弁護士介入(一般人にはプレッシャーになります)と債務名義を以て、間接的に支払いを促すのが現実的かつ唯一の紛争解決手段なのです。この国の司法制度の使い勝手は最悪です。紛争から解放されてみると、裁判と無縁でいられることが無上の幸せなのだと気づかされす。被告らもきっとそう思っていることでしょう。

最近は修理費等の請求額が10万円に満たない訴訟事件が増加傾向にあるようです。弁護士費用補償特約付き自動車保険の特約利用をお考えの方に参考になればと思い、記録に残した次第です。以下、参考文献をふたつご紹介しておきます。

簡裁交通損害賠償訴訟実務マニュアル

簡裁交通損害賠償訴訟実務マニュアル

  • 作者:厚, 園部
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 単行本

臆病者のための裁判入門

臆病者のための裁判入門