ヒトラーの功罪~映画『ワルキューレ』より~

つい最近視聴した2008年米独合作映画『ワルキューレ』は、未遂に終わったヒトラー暗殺事件(「7月20日事件」)を基にしています。敗色濃厚な1944年になっても、独裁者ヒトラーの暴走を食い止めることのできない反体制派のもどかしさだけが際立つ後味の悪い映画でした。反ナチ運動の先鋒にして暗殺首謀者のひとりシュタウフェンベルク大佐を演じるトム・クルーズをはじめ、キャストである将官・士官が「ハイル・ヒトラー」以外すべて英語で会話するという設定はどうにも頂けません。リアリティに欠けると批判されても致し方ありません。

この映画を観ながら、この時代、なぜドイツ国民があれほど熱狂的にヒトラーを支持したのか、あらためて検証してみたくなりました。ヒトラーにそもそも手柄や功績があるのか半信半疑の方が多いのではないでしょうか。今日でも、一般市民が熱に浮かされたようにヒトラーに心酔していったという認識が大勢を占めているようにも思います。歴史教科書が触れようとしない「ヒトラーはなぜ熱狂的に支持されたのか」というテーマについて、ドイツ文学者故池内紀氏の講演録(季刊 政策・経営研究 2016 vol.2)が掘り下げて論じています。

そもそもの発端は、第一次大戦に敗れドイツ帝国が崩壊し、1919年にワイマール共和国が誕生したときに遡ります。ベルサイユ講和条約の締結に伴い、ドイツは国土の13%と700万人の人口を喪っただけではなく、1320億マルク(日本円換算236兆円)に及ぶ巨額の賠償債務を負うことになります。絶望的な状況下、民主化を促すはずだったワイマール憲法が皮肉にもナチ党の躍進を後押しすることになります。1933年3月に全権委任法や政党新設禁止法(以前は40もの政党が乱立)が成立し、ナチ党による一党独裁体制が確立します。雄弁で清廉だったというヒトラーに絶望的な状況打開策を託した有権者の判断はあながち間違いではなかったのです。ヒトラーは、党首就任後有能な側近を登用し次々と成果を収めていきます。

1936年のベルリンオリンピックの記録映画を作成した女性監督レニ・リーフェンシュタール財政再建に尽力し天文学的インフレを退治した財務大臣ヒャルマル・シャハトがその一例です。ヒトラーは適材適所の人材登用を以て難局を打破していったのです。有名な高速道路網「アウトバーン」もこの時代に古参ナチ党員にして土木技術者だったフリッツ・トートが主導して作り上げたそうです。ほかにも、VWの生産、労働環境の改善、社会福祉の拡充など諸施策がヒトラー政権下の果実と言えそうです。

もしヒトラーが政権担当5年で退いていたら、偉大な政治家として後世に名を残したという指摘があるくらいです。池内氏には『ヒトラーの時代ードイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのかー』(中公新書)という著書があります。本書は随所に誤った記載があって大変残念なことに歴史家から辛辣な批判に晒されていますが、歴史教科書から学べないヒトラーの政治家としての功績に光を当てた点で一読の価値ありと申し上げておきます。