マンガの聖地<豊島区立トキワ荘マンガミュージアム>を訪ねて

昨年7月7日、漫画家の梁山泊といわれたトキワ荘が復元され<豊島区立トキワ荘マンガミュージアム>(豊島区南長崎3-9-22)として甦りました。去年は結局行けずじまい。最近、ようやく現地を訪れる機会がありました。

トキワ荘といっても、ミレニアル世代やZ世代は知る由もないはずですので、そのあらましをご紹介しておきます。1952年12月に豊島区椎名町に建設された木造2階建てアパート(賃貸された2階部分は10戸)がこのトキワ荘です。1982年12月に解体されるまでの30年間、手塚治虫赤塚不二夫をはじめ数多くの新人漫画家が暮らしたため、その当時「マンガ荘」と呼ばれていたそうです。自然発生的に新人漫画家が集まったわけではなく、学童社という出版社が自社雑誌「漫画少年」に連載を抱える漫画家に入居を斡旋したことがそもそもの経緯のようです。といっても、入居にあたっては相応の画力が求められたそうで、後にトキワ荘から大勢の有名漫画家が輩出したのは決して偶然ではないようです。

トキワ荘の賃貸スペースである2階部分がそのままマンガミュージアム2階に再現されています。共同便所や共同炊事場を覗けば、当時の暮らしぶりが具に分かります。女性漫画家(水野英子)も居住していたとは少々驚きです。我が貧乏学生時代の木造2階建ておんぼろアパートもトキワ荘と似たり寄ったりで、真ん中の板張り廊下を挟む形で居室が並んでいました。トキワ荘の居住スペースは押入れや入口部分を除けば4畳半(7.4㎡)、当時はこの程度のスペースがデフォルトだったのです。無名の新人漫画家たちのトキワ荘ライフにタイムスリップすれば、そのまま我が貧乏下宿ライフと重なってしまいます。当時、下宿仲間で廻し読みしていた松本零士の漫画『男おいどん』の主人公大山昇太こそ、四畳半暮らしのシンボル的存在だったのです。ユニットバス・エアコン完備のワンルームマンション暮らしが当たり前の今日、かかる四畳半ライフは今の学生さんにとって想像を超越した世界なのかも知れません。

マンガミュージアムは、旧トキワ荘の跡地に近い南長崎花咲公園の一角に建設されました。都内各所にある美術館や博物館とは一線を画するユニークなミュージアムだといっていいでしょう。2階部分は無料(現在:事前予約制)で開放されており、1階部分には有料の企画展示室とマンガラウンジ(無料)があります。

マンガミュージアムから歩いて数分の場所にトキワ荘マンガステーションという無料スペースがあります。時間が許せば、立ち寄って、トキワ荘出身漫画家のコミックを読んで過ごすのも愉しいでしょう。