【2021年三月大歌舞伎】仁左衛門の『熊谷陣屋』

三月大歌舞伎第二部を鑑賞、3年ぶりの『熊谷陣屋』でした。前回は2018年2月の高麗屋三代同時襲名興行の折、熊谷次郎直実を十代目幸四郎が演じました(妻相模は魁春)。

今回の直実役は、当代きっての立役十五代目片岡仁左衛門です。幕開け、舞台下手に<一枝を切らば一指を切るべし>と書かれた制札が現れます。義経の命で掲げられたこの制札こそ、このお芝居の鍵を握るモチーフなのです。熊谷直実は、主君義経の暗示(一枝=一子)に従い、一子小次郎の首を刎ねて、平敦盛(実は後白河法皇の御落胤)の身代わりとします。史実では、源氏と平家が激突した「一ノ谷の戦い」において平家の公達・平敦盛は十六歳で討ち死にしていますが、直実が討ったのは我が子だったという大胆な創作が加わって、『熊谷陣屋』(本外題は『一谷嫩軍記』)が成立するのです。「嫩」は 発芽して最初に出る葉の謂、小次郎も16歳の若武者という設定です。

最大の見せ場は、義経の首実検で我が子の首を差し出す直前、逆さにした制札を直実が屋敷の縁に向かって突く場面。

<花によそヘし制札の面。察し申して討ったるこの首。御賢慮に叶ひしか。但し、直実過りしかさ御批判いかに>

見得は九代目團十郎型。制札で妻相模(孝太郎)と平敦盛の母藤の方(門之助)の視線から首を遮る一方、主君のために我が子を手にかけた痛切な想いを短い台詞に託します。義経の言葉が発せられるまでの刹那、息が止まりそうになります。それまで、ともすれば戦の話を威圧的に語っていた直実が一転、苦渋の入り混じった表情を顕わにするのです。主君を前にして、忠義を尽くしたことを報告すること以外、一切の感情を押し殺さねばならない場面をどう演じるべきか、名手仁左衛門の台詞廻しと表情の奥に深い洞察があったに違いありません。

詳細は省きますが、石屋の弥陀六(平治の乱の際、幼い頼朝や義経を救った弥平兵衛宗清で後悔の念に苛まれている)を演じた歌六が好演でした。弥陀六は自身の温情が平家を滅ぼす遠因になったことを終生悔やんでいます。宗清の顔を覚えていた義経は、その恩に報いるかのように、藤の方と鎧櫃に隠した本物の敦盛を弥陀六に託します。仮令、敦盛が生き永らえたとしても、平家の再興はありません。歴史の表舞台から静かに消えた敦盛同様、弥陀六もまた苛酷な運命を受けとめるしかないのです。

幕切れは、直実の「幕外(まくそと)の引込み」となります。九代目團十郎が登場人物全員の引っ張りによる幕を改め、直実だけを花道に残すようにしたのだそうです。出陣を伝えるドンドンという遠寄せの音に笠で耳を塞ぎ、直実はよろめきながら師と仰ぐ法然のもとへ向かうべく退場していくのです。小次郎を喪った相模の悲痛、弥陀六の修羅悔恨、義経の決断、そうした余韻を引きずりながら、熊谷直実の胸中をあえてクローズアップさせる演出は見事な創意工夫だと思います。時を経て役者が変われば、『熊谷陣屋』に新たな息吹が注がれます。21世紀を迎えてもなお歌舞伎が輝きを喪わないのは、温故知新の精神が常に息づいているからでしょう。

【追記~2011/3/11朝日夕刊の劇評より】
第2部の「熊谷陣屋」は、昨年8月の再開場以来、一幕としては最長の90分(←見応えがありました!)。通常の時間なのだが、久しぶりに時代物らしい量感を堪能できる(同感)。仁左衛門の熊谷は歌舞伎座では16年ぶり、細部にわたって演出が周到に吟味されている。息子の首を介しての夫婦の心情、出家する熊谷が主君義経に「堅固で暮らせよ」と声を掛けられた時の雷にうたれたような畏れの反応、花道の引っ込みで遠くに戦場の音を聞く放心などが、仁左衛門円熟の姿として長く記憶に残るだろう。