山崎弁栄上人没後100年記念企画展を振り返って~会場は長良川画廊・東京ギャラリー~

今年もあと3日、2020年は新型コロナウイルスの地球規模の感染拡大で世界が一変した年でした。生命を脅かされるような辛い経験をすると人生観が変わるとよく言われます。戦後75年、日本が再び戦場となることこそありませんでしたが、地震や風水害は繰り返し日本列島を襲ってきました。こうした不可避の天災地変と共に、科学技術への過信がもたらした福島原発事故や今年のコロナ禍を見るにつけ、つくづく人間は無力な存在で、未来は予測不能なものだと思い知らされます。

そんな思いに駆られていた師走、山崎弁栄上人没後100年記念展を企画した長良川画廊・東京ギャラリーに足を運びました。今年7月にオープンしたばかりのこのギャラリーは、外苑東通り・六本木五丁目交差点を徒歩で北へ数分下った、六本木の喧騒から少し離れた一角にあります。

7月中旬、思わぬご縁から、画廊店主であり山崎弁栄記念館館長(注)を務める岡田晋氏と出会い、知己を得ました。氏が所蔵する太宰治の掛け軸が媒してくれたお蔭で、その後、親交を重ねることになります。記念展の図録に論考を寄せられた批評家の若松英輔氏と岡田氏が昵懇の間柄だったことにも不思議な縁を感じます。というのも、近年、若松氏の著作に深く傾倒してきたからです。山崎弁栄上人没後100年という節目に、上人の敬虔なる信仰心が発露する数々の仏画と、帰依する対象こそ違えど同時代人内村鑑三の書画に出会えたことは、ある意味、仏神のお導きなのかも知れません。

山崎弁栄(やまざきべんねい)上人(1859~1920)は、千葉県柏市の農家に生まれ、21歳で出家、浄土宗に帰依します。その後、厖大な一切経を読破し、35歳でインドへ渡り、3ヵ月余り聖地を巡礼しています。近代化を急ぐ明治政府の号令一下、廃仏毀釈運動が勢いづき、仏教徒の多くが信仰を失う不幸な時代にあって、弁栄上人は、自身の念仏三昧体験に基づく「光明主義」と呼ばれる一派を興し、布教に努めました。

世界的数学者の岡潔は「私たち、上人を知るほどの人みなには釈尊の再来としか思えない。」と語っています。上人を崇敬するのは、仏教徒にとどまりません。価値観が大きく変容する時代にあって、宗派を超えて慕われ敬われた上人は、如来の放つ明るい光明へと迷い苦悩する多くの人を導いていきました。寸暇を惜しんで描かれたという夥しい数の仏画は、そうした人々に捧げられたものです。会場で目にした「阿弥陀三尊来迎図」に描かれた三尊の穏やかな眼差しと典雅な佇まいに、心が洗われる思いでした。

先の見えない混沌とした時代だからこそ、心の安寧を取り戻そうと人々は惑い塗炭の苦しみを味わいます。無常を受け容れるだけでは心の清澄を取り戻すことは叶いません。山崎弁栄上人が遺した言葉(岩波文庫『人生の帰趣』)や仏画に触れて、阿弥陀如来の叡智と慈悲に歩み寄れば、希望の曙光が差し込んでくるに違いありません。

*(注)山崎弁栄記念館:〒500-8073 岐阜市泉町16 山本ビル1階

人生の帰趣 (岩波文庫)

人生の帰趣 (岩波文庫)