江戸時代の生活文化を知りたければ「ニッポンの浮世絵」展へ

ファッション文化の発信地といえば原宿、そんな原宿のど真ん中に世界有数の浮世絵専門美術館があるのをご存じでしょうか。街の喧騒から少し離れたラフォーレ原宿の裏手西側にその「太田記念美術館」があります。14000点を超えるといわれる収蔵品は、元東邦生命会長の五代目太田清蔵氏(1893~1977)が半世紀にわたって蒐集したものです。

本来庶民の娯楽のひとつだったはずの浮世絵の秀作の多くが、何故、海外に流出することになったのでしょうか。背景には江戸幕府の崩壊があります。幕藩体制の崩壊で禄扶持を失うことになった武家や好事家が生活に困窮して浮世絵を手放し、初摺の美品や一級品が相当な規模で海外に流出しました。さらに第二次大戦直後には、生活苦から資産家が骨董品を放出したため、浮世絵も相当数海外に渡ったといわれています。

遡る2016年にサントリー美術館で開催された「広重ビビッド」展は、財界の重鎮、原安三郎氏のコレクションが基になっていました。太田氏や原氏ら実業家のお蔭で我々は質の高い広重や北斎の名作を見ることができるのです。

「ニッポンの浮世絵」と銘打った今回の展覧会は、2020年東京オリンピック開催に合わせて開催されるはずでした。コロナ禍の影響で開催時期が歳末になったようです。作者に着目した展覧会と違って、浮世絵に描かれた日本的な題材がテーマです。取り上げられた題材は、相撲や歌舞伎など庶民の娯楽にはじまり、富士山や桜、気象(風や雪)、グルメまで多岐にわたっています。さほど広くはない会場には外国人の姿もあって盛況でした。

カメラのなかった時代、鋭い観察眼で江戸の風俗を活写した浮世絵は貴重な歴史の記録でもあります。歌川芳員の「勧進角力取組図」(1858年)を見れば、江戸時代の大相撲は屋外で開催されていたことが判ります。月岡芳年の「風俗三十二相 むまそう」(1888年)には美味しそうな魚(海老?)の天婦羅を食べようとする女性が描かれ、座敷に置かれた縦縞の蕎麦猪口は今に伝わるものと寸分も違いません。歌川広重の「冨士三十六景 武蔵小金井」(1858年)には玉川上水の両岸に満開のヤマザクラが描かれ、手前の幹の洞から富士山が覗いています。広重の富士にも、北斎の「富嶽三十六景」に勝るとも劣らぬ奇抜な構図が選ばれています。

名所旧蹟から、人々の暮らし、季節感、様々な風俗まで、対象にとことん迫る浮世絵を眺めていると飽きることがありません。出品数を抑えたこうした特色のある浮世絵展が好みです。

会期は12月13日まで。