久しぶりに映画の梯子〜『パヴァロッティ 太陽のテノール』+『ミッドウェイ』~

この連休初日は、TOHOシネマズ日本橋で久しぶりに映画2本を観ることに。鑑賞前にお気に入りモーニングを頂こうと、勇んでミカドコーヒー日本橋店に立ち寄りました。ところが、コロナの影響でモーニングの提供を控えている由。そこはめげずに、ブレンドLサイズと厚焼きトーストを注文、カフェで寛いだ週末の朝を迎えました。

11:20〜13:30 『パヴァロッティ 太陽のテノール
15:00〜17:30 『ミッドウェイ』

三大テノールのひとりとして一世を風靡したパヴァロッティの初のドキュメンタリー映画と来れば、見逃すわけにはいきません。東京でも上映館の限られる1本目の『パヴァロッティ』は、この機を逃してはきっと後悔しそうです。TOHOシネマズ日本橋はDORBY ATMOS(+200円)を備えた上映館ですから、リアルな音響が堪能できます。数々のエピソードと23名ものゆかりの人物へのインタビューを通して、パヴァロッティの生い立ちや人となりが浮き彫りにされていきます。

父親はパン職人でアマチュアテノール歌手でした。その父を慕い、やがて小学教師を辞めて歌手への道を歩み始めるパヴァロッティ。タバコ工場で働く母親の「あなたの声は(お父さんと違って)心に響く」という言葉が、パヴァロッティの運命を決定づけたに違いありません。

25歳で『ラ・ボエーム』の詩人ロドルフォ役を務めると、トントン拍子でスター街道を爆進します。1968年のニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューもロドルフォ役でした。1972年2月、メトロポリタン劇場で上演されたドニゼッティの歌劇『連隊の娘』に出演、パヴァロッティはトニオ役のアリアでハイC(高いハ音)を9回、易々と歌い上げ大喝采を浴びて名声を獲得、「キング・オブ・ハイC」という異名を恣にします。パヴァロッティは、インタビューで度々腹筋や横隔膜の使い方に言及していますが、その歌唱技術は天賦の才という他ありません。少ない息継ぎで遠くまで朗々と響く発声ができるのは、完璧な<ベルカント唱法>を身につけていたからなのでしょうか。

1990年7月のローマ・カラカラ浴場における三大テノールによる競演シーンは鳥肌ものです。200人を超える大編成オーケストラを率いる指揮者のズービン・メータも競演者のドミンゴカレーラスも実に楽しそうでした。思わずスクリーンに向かって拍手しそうになりました。『トゥーランドット』第3幕カラフのアリア「誰も寝てはならぬ」や『ラ・ボエーム』の「冷たい手を」をはじめとするパヴァロッティ18番の楽曲は、レジェンドとして永遠に輝き続けることでしょう。

この映画がテノール歌手としてのサクセスストーリーと共にスポットを当てたのは、前妻との出会いに始まる女性遍歴と子供たちや孫への惜しみない愛情でした。とりわけ印象に残ったのは、10年以上にわたって生徒であり秘書兼愛人だったソプラノ歌手マデリン・レニーとの関係でした。パヴァロッティの傍に長くいた同業の彼女こそ、最大の理解者であり全盛期を支えていたのだと感じました。一方、40年近く連れ添った前妻アドゥア・ヴェローニの「あの声に恋しないなんてありえないわ」という言葉も印象的でした。

弾ける笑顔、手ずからパスタ料理を振る舞う庶民感覚、慈善活動への傾注、ジャンルを超えた音楽コラボなど、パヴァロッティの豊かな人間性を裏づけるエピソードは事欠きません。無条件に人を信じたというパヴァロッティは、だからこそ、大勢の人の心を虜にしたのでしょう。

オペラの主人公は大抵死んでしまう。ドニゼッティのコメディオペラ「愛の妙薬」の陽気な百姓役が好きだと言うパヴァロッティにオペラファンなら誰しも親近感を抱くはずです。エンドロールにはゆったりとした「オー・ソレ・ミオ(「私は太陽」)」が流れます。太陽のような人という称号がパヴァロッティほど似合う人を他に知りません。

長くなりましたので、2本目『ミッドウェイ』については別の機会にレビューしたいと思います。