松本清張再び〜鉄道の旅から映画「ゼロの焦点」へ〜

NHK BSプレミアム新日本風土記スペシャル「松本清張 鉄道の旅」(2020/5/8放送) を見ながら、松本清張は同時代の世相や空気を切り取る才能に長けた作家だなとあらためて感心しました。おまけに、ブックタイトルの付け方が実に上手い。「点と線」、「ゼロの焦点」、「砂の器」等々、清張作品に嵌って以来、記憶から離れません。寝台特急はもとより、昭和の鉄道への郷愁も作品の捨て難い魅力のひとつです。

出世作「点と線」に登場する寝台特急「あさかぜ」が運行を開始したのは、1956(昭和31)年のこと。翌1957年から雑誌「旅」誌上で「点と線」の連載が始まります。昭和31年度の経済白書で一躍脚光を浴びたのは「もはや戦後ではない」というフレーズ。6年半に及んだ占領統治を経て、奇跡的な戦後復興を遂げた日本が新たな時代に移行する時代の空気を、作家松本清張は鋭敏に嗅ぎ取っていたに違いありません。

ブルトレの先駆けとなった「あさかぜ」(当時、山陽線蒸気機関車が牽引)を逸早く取り上げただけではなく、東京駅に日参しホームを歩き回り時刻表を丹念に読んで、13番線ホームから15番ホームを見渡せる4分間に気づきます。そのわずかな空白の時間に複数の目撃者が居合わせるというシュチュエーションをミステリーに仕立ててしまう作家の類い稀なる想像力には、脱帽するしかありません。


次に番組は、やせ断崖とも能登金剛とも呼ばれる自殺の名所を舞台にした「ゼロの焦点」にスポットを当てます。2009年に再映画化され話題になった「ゼロの焦点」のモチーフは、「砂の器」と見事に重なります。新しい時代を迎え、人々は過去の不幸な出来事や体験を乗り越え、豊かな暮らしを取り戻そうと懸命に働きます。なかには、望外の成功を掴む者も現れます。「ゼロの焦点」の裕福なマダム(中谷美紀)や「砂の器」の作曲家和賀英良(加藤剛他多数)がその典型です。彼らは時代の潮流に巧みに乗ったかに見えますが、ふとした出会いを契機に訣別したはずの忌まわしい過去の呪縛から逃れられなくなります。

そこには、新しい時代から取り残された人々の懐かしい記憶や故郷訛りがあるだけで、妬みや嫉みといったネガティブな感情の発露はありません。成功者が惧れたのは、彼らの馬鹿正直さや純朴さだったのです。救いようのない結末にしばし読者はやり切れない思いに囚われることになります。たとえ時代が駆け足で行こうとも、旧い時代にしがみついて生きるしかない人や時代から置き去りにされてしまう人が少なからずいることを、戦後の闇とともに、松本清張は意識してプロットの中心に据えて揺るぎません。

ゼロの焦点」の連載時のタイトルは、「虚線」だったそうです。新妻禎子(広末涼子)の結婚相手鵜原憲一(西島秀俊)は、赴任先の金沢で亡くなった戦友の名を騙り別の女と暮らしていました。禎子が失踪した夫の足取りを追うべく金沢に向かった際、乗車したのは急行「北陸」(2010年廃止)。夫の行方を執拗に追えば追うほど、新妻の知る夫は虚像に過ぎなかったことが明らかになります。夫の輪郭は、ぼやけやがて手の届かない処へ消えてしまいそうです。そこまで進めば、「ゼロの焦点」というタイトルは腑に落ちたも同然です。