2020年の桜は散らずに待ってくれているのに

週明けの月曜日、朝日新聞朝刊に掲載された千鳥ヶ淵の写真(写真1枚目)と添えられた小見出し「桜隠し・花いかだ競演」が粋でした。不要不急の外出自粛中のため、楽しみにしていた千鳥ヶ淵のお花見はやむを得ず取り止め。カラー写真でなかったのは残念ですが、この紙上観桜会で救われました。季節外れの春の雪と花筏の絶妙の取り合わせに気づいた記者のセンスに脱帽です。上信越から東北地方で使われるという「花隠し」という季語は初耳でした。

先週末は、近所の家電量販店へ行く途中、井の頭池の桜(写真2枚目2020/3/28撮影)だけは愛でてきました。テント張りの警察官詰所こそ設けられていましたが、七井橋から例年のように池の周囲のソメイヨシノを拝むことができました。この日は花曇り、「花曇」に似た季語に「養花天(ようかてん)」という季語があります。気温はやや低め、雲が低く垂れ込めていましたが、この日は風が殆どありませんでした。見頃を迎えた桜は、幸い、強い風雨に見舞われず、まだ散らずにいてくれます。「養花天」とは文字通り花を育んでくれる空という謂でしょうか。

 <来年も咲くから今年のお花見は遠慮しましょう>という呼びかけに違和感を覚えます。2020年節目の桜は一度限りなのですから。最後に桜を詠んだ古今の名歌のなかからお気に入りの二首をご紹介しておきます。西行法師(1118~1190)の『山家集』に収められている「春」の歌170首のうち、103首が桜を詠んだものです。武士を捨て法師となって3年間隠棲したのは吉野山、奥千本には「西行庵」が遺されています。素性法師(生年不詳~910年)は桓武天皇の曾孫にあたり、三十六歌仙のひとりです。

西行法師「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」(山家集

素性法師「見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける」(古今集